言霊と恋心

 予備室は相変わらず、要の普段使用している陰陽師の仕事道具が揃っている。人形に使っている紙には墨汁でなにやら祝詞が書かれているし、お札らしきものも存在している。薄緑は今時だと銃刀法違反になるせいか、厳重に風呂敷でくるまれて端に寄せられていた。

 要は予備室に持ってきていた火鉢で鉄瓶のお湯を湧かしつつ、「それで」と尋ねてきた。


「君からいきなり相談とは珍しいね。いったいなにかあったかな?」

「ええっと……うちの学校って鬼門がいろいろとまずくって、邪気とか鬼とかが出やすいんですよね?」

「そうだね。だから陰陽寮から俺が派遣されてきたし、君にも応援を頼んだけれど。それがどうかした?」

「ええっとですね……友達から聞いたんですけど、今学校でおまじないが流行っているらしいんですよ」

「おまじない?」


 要の形のいい眉が吊り上がった。それに十和子はビクッと肩を震わせつつも、話を続ける。


「紙いっぱいに悪口を書くっていうおまじないですよ。それを鏡に貼り付けておくと、好きな人と相思相愛になれる……みたいな。ただ、なんかその紙を見たとき、すごく嫌な感じがしたんですよ……もちろんいきなり悪口いっぱい書かれた紙を見て気味が悪かっただけなのかもしれないですけど」

「……君は正しいよ、とても」


 そう言いながら要は鉄瓶を取ると、それを急須に注いでお茶を淹れてくれた。漂ってくるのは香ばしい匂いで、どうも玄米茶を淹れてくれたようだ。差し出された湯飲みから、十和子は「ふうふう」と息を吹きかけながら手に取っていると、要は「はあ」と机にもたれかかった。


「この手のまじないっていうのは、大概は女学生を客層に選んだ雑誌がつくったでたらめだけれど、まずいんだよ。それが」

「まずいって……でたらめなのに、まずいんですか?」

「ああ。第一にここは鬼門。邪気が集まってくるところで、強い言葉を繰り返し使い続けると、強い言葉が変質して、おまじないから呪いに転じることがある」


 そう言われ、十和子は紙を見たときに感じた、得体の知れない感覚を思い返した。


(てっきり……【死ね】って言葉がびっしり書かれていたから怖くなっちゃったのかと思ったけれど……もしあれが、もっとおそろしいなにかだったとしたら? そもそも邪気を吸って呪いになったって、ますます放置してたらまずいんじゃ……)


 十和子がそう思いつつも悩んでいる中、要が「第二に」と指を二本折り曲げる。


「呪いになりかかっている中で、鏡を持ってくるのがまずい。鏡というのはね、【かみ】の間に【が】が入っているんだよ。つまりは【神】の【自我】。呪いが鏡に集まったら、たちまち悪神に転じやすいのさ」


 西洋圏では、神づくりというと大事になってしまうが、とかく日本ではなんでもかんでも神にしてしまう風習が存在する。

 悲劇の英雄は怨霊にならぬように、神として丁重に祀るし、物を大切に使い続けて百年経てば神になるとされている。

 なによりも貧乏神のように、家に招けばたちまち福を逃がしてしまう妖怪のような存在までもが「神」とされているのだ。

 なにかの拍子に、神は生まれる。

 特に鏡は、三種の神器の中にも存在するほどに、神に近いものとされている。

 鬼門の邪気といい、言霊といい、神づくりの条件は揃い過ぎていた。

 ……それこそ陰陽師がいなければ対処できないような事態にまで、発展しつつある。


「それ……! 無茶苦茶まずくないですか!?」

「ああ、まずいさ。なによりも強い言葉……人を不快にさせたり怖いと思わせたりする言葉には、力が宿る……最初は言霊と言っても大した力はないだろうが、それが独り歩きし出したら大変なことになる。おまじない自体は、新しいおまじないを広めることでこれ以上広がることを食い止めることはできるだろうが。問題は今広がってしまっている言霊だ」

「……なんとかなりませんかね」


 湯飲みをぎゅっと十和子が握りしめると、要は小さく唸り声を上げた。


「こればかりは、俺たちでどうこうできるうちに始末するしかないさ」


****


 ひとまず、ふたりで黄昏時に校庭で落ち合うことにし、一旦家に帰る中、「十和子ちゃん」と誠に誘われる。


「今日は暇? 最近要さんとばかりつるんで、寂しいわね?」


 そう言われて、十和子はあわあわとする。


「要さんとお話するのは楽しいけれど、別に誠ちゃんをないがしろにしている訳では……」

「ふうん……まあいいわ。一緒にあいすくりんを食べに行かない?」

「えっ? うん。いいよ」


 どうせ黄昏時までは暇だからと、十和子はあっさりと了承して、誠と一緒に喫茶店まで出かけていった。

 明治時代までは高級菓子だったあいすくりんも、大正に入れば工業化が進んで買い求めやすくなり、喫茶店で安価で女学生も食べられるようになった。

 まだ東京の高級喫茶店のようなメロンソーダみたいなはいからなものはなかなか食べられないが、グラスに盛られたあいすくりんを学校帰りに食べるのは、女学生の楽しみのひとつである。


「いただきまーす……おいしい」

「うん、おいしいわね」


 喫茶店には十和子と誠のように、あいすくりんを「おいしい」「おいしい」と食べる女学生で溢れかえっていた。

 そうやって食べている中。


「あ、あの……!」


 ひとりの女の子が、誰かに必死で声を掛けているのが目に留まった。耳隠しの髪型にしている彼女は、今朝見かけた鏡のおまじないを使っていた子であった。


「よろしかったら、これを読んでくれませんか!?」

「自分に……ですか?」

「はい!」


 彼女の話しかけている先には、学生服の男性が立っていた。

 短く刈り込まれた髪、鋭い目つき。大学生にしては物々しいところからして、陸軍学校の学生だろうかとあたりを付ける。

 この時代、未婚の男女が話をするというのは珍しかった。誠のように婚約者と文通ばかり続けているのも珍しいが、結婚するまで顔合わせすることもないというのがほとんどで、学生時代では隣で歩くことすら滅多にないという状態だった。

 恋を叶えるというのは、この時代とかく物珍しかったのである。


「まあ……素敵。恋文ね」


 誠はそれをうっとりとして眺めている。

 エスにも興味があるが、文学少女である誠は、男女の恋愛にも普通に興味を示す。ただでさえ、舞台やキネマにでも出向かない限りはその手のものを拝むことができないものだから、それを間近で見たらこんな顔にもなるだろう。

 十和子は「珍しいものもあるものねえ」とあいすくりんを一生懸命食べながら見つめている。彼女はまだその手の情緒が疎かった上に、未だに釣書が来ないような体たらくだから、感心が薄いのであった。

 恋文らしい封筒を受け取った男子学生は、それを手に取ると、おずおずと女学生に口を開く。


「よろしいんですか?」

「はい……!」

「……ありがとうございます」


 うっすらと男子学生は笑った。それに頬を紅梅のように染め上げた女学生は見つめている。

 絵になる光景であり、誠はそれを「きゃあ」と言いながら眺めているが。

 十和子は今朝に覚えた違和感を感じていた。


(なんだろう……普通は祝福するところだと思うのに……なんでこうも違和感がするんだろう?)


 あの大量にびっしりと書かれた文字。

 そして要の言っていた言葉が頭によぎる。


『呪いになりかかっている中で、鏡を持ってくるのがまずい。鏡というのはね、【かみ】の間に【が】が入っているんだよ。つまりは【神】の【自我】。呪いが鏡に集まったら、たちまち悪神に転じやすいのさ』

(悪神……あっ……!!)


 思わずガタンと十和子は立ち上がると、喉を広げて叫んだ。


「奥に入って……!!」


 ふたりは驚いた様子で十和子のほうに振り返り、思わず奥に一歩入った途端。

 車が耳をつんざくような音を立てて、喫茶店に突っ込んできたのである。辺りで悲鳴が響き渡り、ふたりは驚いてその場に座り込んでしまっていた。

 女学生は十和子に気付いたのか、こちらに小走りで駆け寄ってきた。


「あ、あの……! 今朝といい、今といい……ありがとうございます!!」

「いえ、いいのよ。ふたりとも、今日は危なくないように帰ってね」

「はい!」


 女学生も男子学生も、十和子に対してペコペコと挨拶をしていた。誠は騒然とする店内の中で、空になったグラスを指先で弾いた。


「すごいわね、十和子ちゃん。剣術を嗜んでいたら、反射神経がよくなるの?」

「う、ううん……わたしも必死だったから、なにがなにやら……」

「そーう?」


 誠は暢気だったが、十和子は内心心臓をバクバクと鳴らせていた。

 彼女には、あの女学生が無意識のうちになにかを引き寄せているのが、【見えて】しまっていたのだ。


(あれって……人魂のときと同じで……他の人には見えないんだ……)


 すぐに警察官が飛んできて、店主に事情聴取をしている。客は慌てて支払いを済ませると警察にひと言ふた言質問をされてから出て行く。それらを見ながら、あれだけの出来事で誰もが車が突っ込んできたのを知っているのに、彼女が出していたなにかが見えていなかったことに、十和子はぞっとする。


(あれが……鬼門の力……邪気が強くなるって、こういうことなのね……)


 ふたりも支払いを済ませると、警察に質問される。十和子は「車が突っ込んでくるのが見えたので、跳ねられかけた女学生さんたちに声をかけました」と伝えると、警察官はピクンと眉を持ち上げた。


「はねられかけたふたりは?」

「警察が来る前に帰って行きましたけど……同じ学校の子ですけど、名前は知りません」

「……ありがとう」


 ふたりが保護されますように。

 そう思いながら、十和子は空を仰いだ。


(あの子は、ただ自分の恋を叶えたかっただけなのに、厄介なものを産んでしまったなんて後悔つくりたくないじゃない……!)


 自然と十和子の拳に、力が入った。

 十和子は誠に「危ないから、ちゃんと帰ってね!」と言って別れてから、急いで学校へと舞い戻った。

 もうしばらくしたら黄昏時……なんとしても、生まれてしまった悪神を倒してしまわないといけないのだから。

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