念糸 24
普通なら、容疑者を連行するのは別の馬車であるが、サーシャとレオンの乗る馬車にルクセイド・ハックマンも乗せられることになった。
ハックマンを狙う黒魔術から、彼の存在を隠ぺいする魔術を維持する魔力コストを小さくするためだ。
彼を守るため、馬車は一旦、『塔』に向かうことになった。
親衛隊の朱雀離宮より、魔力攻撃には圧倒的に強い。しかもサーシャがいてもいなくても、結界を維持できる。
「キンブル製糸商会を経営していたのは祭司だな?」
レオンに問いかけられて、ハックマンはおびえたようにうなずいた。
殺されかけたことにショックを受けているらしくて、かなり放心している。
「念糸を作らせ、それによって作った『花瓶敷』を兄の部屋に置いたのも、祭司の指示で間違いないか?」
「……はい」
ハックマンは頷く。
「黒魔術を付与する魔道具は実に効率的ですが、やはりエドランから?」
「違う。私が作った」
「それは、すごい」
思わずサーシャは賞賛してしまう。
この国では黒魔術を『禁忌』としているため、当然、研究もあまりさかんではない。そんな中、自力で魔術付与の道具を作ったということは、かなりの実力の持ち主だ。
「アルカイド君」
レオンは呆れたようだった。
サーシャは思わず明後日の方角に目をやる。
「花瓶敷を作ったのは、君の研究結果を確かめたかったからかね?」
「もちろんそれもあったが」
ハックマンは首を振る。
「金が欲しかった」
「金?」
「黒魔術の研究は金がかかる。より深く研究をしようと思うと、成果を売りに出していかねばならん」
ハックマンは悪びれるどころか、当然と思っているようだ。
「金は誰が出している?」
「それは」
顧客の名を明かすのはさすがにまずいと思ったのか、ハックマンは言いよどむ。
「あなたを殺そうとしている人をかばうおつもりですか?」
「え?」
「おや、気づいてないのですか? なんのために私が結界を張っているのか、ひょっとしてわかっていなかったとか?」
サーシャは大げさにため息をついた。
「ちょっと待ってくれ」
ハックマンは戸惑っているようだった。
「黒魔術を君ほど使える人間はいない。だから切り捨てられることはないだろう……と、思っているのかね? 君の代わりなどいくらでもいる。その証拠に、マリアという女性が君に襲い掛かったのは、術のせいだろう?」
レオンの言葉を理解したハックマンは蒼白になった。
「そんな、バカな」
「それとも、君はほかにも狙われる心当たりがあるとでも?」
ハックマンは首を振る。
「依頼をしてきたのは、ブリックス伯爵だ」
「ブリックスか……」
レオンは大きく息をついた。
「ご存じで?」
「神殿派の急先鋒ってやつだな」
レオンは肩をすくめる。
「成り上がりで、金も持っている」
「つまり、野心家ということですか」
サーシャは納得した。
貴族の中にも序列がある。爵位は当然、その序列に関係するが、実際はそれだけではない。
新興貴族はどうしても軽んじられる傾向がある。
それを覆すために、神殿を担ぐのだ。
「依頼されたのは、花瓶敷だけですか?」
サーシャはハックマンに問いかける。
キンブル製糸商会で働いたトムの話から推察するに、かなりの量の念糸が製造された。現物を見ていないが、おそらく、糸を撚るときに使われた魔道具で術式を変えていたと思われる。
花瓶敷そのものは、いわゆる『特注品』であろうが、念糸を駆使すればかなり汎用性の高い術具となるだろう。
「花瓶敷を数枚と、テーブルクロス、タペストリーを作っていた」
ハックマンは素直に答える。
「それらは、『誰』という指定はなく、直接ブリック伯爵に渡したから、その後どうなったかは知らない」
基本的に付与していたのは、信仰への恭順らしい。
黒魔術の品とはいえ、信仰を煽るだけの術式であれば、よほどのことがない限り誰も気づかないであろう。
そもそも特注品の花瓶敷も、サーシャでなければ気づかなかった程度の術だ。
ただ、効果は薄いとはいえ、毎日少しずつ影響を受ければ、無害とはいいがたい。
「神を守るためには必要なことだった。黒魔術を知らずして神は守れない」
ハックマンは言い切る。
自分の行為を正当化したいというだけではなく、本当にそう思っているのだろう。
「もしそうだとすれば、神とはずいぶんと惰弱ですね」
「な?」
「黒魔術がなぜ『禁忌』とされているか、祭司のあなたが知らないはずはありません。人の心を捻じ曲げたり、操ったり、時には人を殺したりする力がなければ、守れない神など、崇める価値もないです」
サーシャは吐き捨てる。
「あなたは、ただ禁断の魔術の神秘に魅せられただけです。その追及のために、その力を行使したかった。素直にそう言えるなら、助ける価値がある。でも、すべてのことを『神』の名で許されようと考えているのなら、あなたはどうしようもない屑です。あなたのしたことは『神』の名とやらを貶めただけ」
サーシャは、大きく息をついた。
研究者として越えていけない一線を踏み出してしまう心境はサーシャにも理解できる。だが、それはあくまで『本人』の欲望だ。その責任を『神』に預けてしまった時、人はどこまでも残酷になれる。
「アルカイド君の言う通りだ。それに、死にそうな君を守ったのは『神』じゃない」
レオンがわずかに口の端の片側を上げる。
「そのあたり、ゆっくり考えるのだな。これは私の予想だが、神殿に君を救う気はないだろう」
金を出したのはブリックスだろうが、おそらくは神殿の内部に指示を出した人間がいるはずだ。
そして、その者は、すべての不祥事をハックマン一人の責任にして事件を終わらせようと企んでいるに違いない。
レオンは車窓に目を向ける。
月明かりに照らされた宮殿が見えてきた。
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