鳳凰劇場 9
アリア・ソグラン伯爵令嬢からの聞き取りを終えると、サーシャとレオンは一旦、朱雀離宮に戻った。
そのまま関係者への聞き込みに行ってもいいが、レオンとしても部下に指示を出す必要もある。
──それにしても、いつまで私はここにいるべきなのかしら。
当たり前のように会議室の椅子に腰かけながら、サーシャは首をひねる。
机の上には書類の束とティーカップ。
現場の魔素を視るというサーシャにしかできない仕事は終了した。ここから先は、単なるハッタリ要員でしかない。
無論レオンのそばについているぶんには、宮廷魔術師としての仕事と言えなくもないけれど。
「それで劇場についてですが、スタッフしか使わない階段も存在しておりました」
レオンはサーシャの向かいの椅子に腰かけて、マーダンからの報告を聞いている。
会議室にいるのは、レオンとマーダンとサーシャの三人。
レオンの執務室ではなく、会議室が使われているのは、この報告会にサーシャも参加することが前提になっているからだ。
「それから、階下でエドン公女の名を呼んだ『女』ですが」
マーダンが片眉を器用に上げた。
「おそらくは、どこかの侍女と思われます。細身でこげ茶色の髪をしており、眼鏡を着用しておりました。そばに主人は同行していなかったようでして」
「つまりどこの誰かは、わからないと?」
「はい。声を上げた女性に注目していたものはおらず、気が付いたら既にいなかったらしいですので」
「確かに、人が落ちてくる光景の方が衝撃的だな」
レオンは腕を組んだ。
「女性はどこに立っていましたか?」
「階段脇にいたそうです。ギリギリ上が見えそうな位置です」
マーダンがサーシャの問いに答える。
「イーサン・ロバル氏は、階段を指さして叫んだ女性の声で、アリア・ソグラン伯爵令嬢が落ちてくるのに気が付いたらしいです」
「しかし、ロバルはアリア・ソグラン以外の人物を見ていない、ということだったな」
「はい。それから周囲の話をまとめますと、声がしてから、思ったより落下速度が遅かったとのことです。ロバル氏の魔術の発動が早かったのではないかと、皆は思ったようですが。ロバル氏本人もそう言っておりました」
「それは、アリア・ソグランが飛行の術を使ったからだろう」
「声を合図に、突き落とすための魔術を使ったのかもしれません」
サーシャは顎に手を当てる。
魔道具を使わず、階段の下と上で意思疎通を簡単に測るにはそれが一番簡単だ。
魔道具を使ったなら、多少なりとも『魔素』が残る。時間がたってしまって分からなくなった可能性もあるが、わざわざ『証拠』が残るような手は使わないだろう。
「それなら、叫ぶ女性は魔術が使えなくても構いません。大事なのは、印象に残らないことです」
「印象に残らない?」
「はい。どこにでもいる侍女という風体。珍しくないありふれた髪色。顔の印象は眼鏡だけ。どこの誰かを特定されないために、非常に計算しての人選でしょう」
「計算してか?」
「偶然の可能性もありますけれど」
サーシャは肩をすくめる。
「おそらく眼鏡は伊達でしょう。眼鏡をとればそれだけで、印象は変わりますから」
「位置取りをうまいことやって、簡単に抜け出したということか」
階段の上がどんな状態だったのかはわからなくても、風の魔術でゆっくりと落下するアリア・ソグランの姿はホールにいた人間が皆見ている。
インパクトのある光景に、誰もが吸い寄せられ、最初に声をあげた人間がどう動いたのか覚えている者がいなくても不思議はない。
「事故が起きた後、係員が駆け付けたのは、少し後。その前に出口から帰ってしまった客もかなり多く、そのまま逃げ延びた可能性は高いですね」
マーダンはため息をついた。
係員が駆け付け、親衛隊を呼んだのはさらにその後だ。
逃げるチャンスは十分にあった。当初、係員も捜査員も『事故』の可能性が高いと踏んでいたのだから、ざるも同然だっただろう。
「実行犯はおそらく、従業員の格好をした者でしょう。客の通らない階段を使ったのだと思います」
「まあ、そうだろうな」
頷きながら、レオンは険しい顔で名簿を見る。
「神殿ゆかりの人間はいるな」
「ソグラン嬢が観劇の予定を話したという方ですか?」
「違う。違うが、別段、秘密事項でもあるまい」
レオンはにやりと笑う。
「殿下、それはどういうことですか?」
話についていけないマーダンが説明を求める。
「ソグランの侍女、そしてラビニア、ラビニアの護衛のケルビンが、従業員の姿を目撃している。それから、ソグランが劇場を訪れることを決めたのは、わずか三日ほど前。その日程を知っている者の数は少ない。ソグランは、ホーク・デゥル、ヨナ・レーゼン、イライザ・オーティンの三人に話したらしい」
「その三人が怪しいと?」
「いや、誰も劇場に来た様子はない。ただ、その三人が誰にも話さないということはないだろう」
レオンはわずかに口の端を上げた。
どうやら、笑ったようだった。
「マーダン、劇場に行って、従業員を調べろ。制服が盗まれたりしていないかもな。それから先ほどの三人に聞き込みを頼む。アルカイド君は、私と一緒に来てもらおう」
マーダンはメモを取り、頭を下げて出て行った。行動が早い。パッとしない風体ではあるが、優秀なのだなと、サーシャは失礼なことを思う。
レオン率いる親衛隊は、精鋭部隊だ優秀なのは当たり前だろう。
「殿下、どこへ行くのかうかがっても?」
「ビルノ侯爵家だ。かの家はとても信心深いことで有名でね。あの日、劇場にも来ているから、少し気になる」
レオンは名簿を指さす。
「グレイス・ビルノ侯爵夫人ですか」
サーシャはため息を思わずつく。
グレイス・ビルノは社交界では有名な女性で、一癖も二癖もある人物だ。宮廷魔術師であるサーシャもよく知っている人物だが、正直苦手だ。
「露骨に嫌な顔をするのだな」
レオンが呆れた声を出す。
「あの方は他者を見下す方で好きではありません」
サーシャは正直に話す。
信心深く、慈善事業をしているという話だが、本人が見せる他者への態度は、随分と人を蔑んでいる。社交界で、彼女にいじめられ、泣いている令嬢をサーシャは何人も見た。
サーシャ自身も、女性の宮廷魔術師ということで、かなり侮られ、馬鹿にされたことがある。
「本人の態度はどうあれ、ビルノ夫人は間違いなく慈善家だぞ?」
「承知しております。ただ、私に向かって吐かれた暴言がそれで消えるものではありませんから」
サーシャは肩をすくめた。
実はいい人と言われても、嫌なものは嫌だ。
「大丈夫です。ご本人の前では顔に出しません。私は大人ですから」
「なるほど。では、相手は君に任せよう。私は夫人が苦手でね」
わずかにレオンの口の端があがる。
どうやら笑ったらしかった。
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