鳳凰劇場 2

 レオンに呼ばれて執務室にやってきた、フィリップ・マーダンはパッとしたところのない青年だった。こげ茶色の髪と瞳。美しくもなく、醜くもない凡庸な顔。

 魔力はそこそこ高そうだが、調査をするというより、『攻撃』が得意そうだ、とサーシャは男を値踏みする。

 マーダンは、部外者であるサーシャを歓迎していないようだった。

 いくら宮廷魔術師は魔術師として『格上』でも、首席であるルーカス・ハダルならいざしらず、サーシャのような小娘が自分の捜査に『ケチ』をつけにやってきたと思えば、当然なのかもしれない。

「それで、何をお知りになりたいので?」

「魔素は二種類だったのでしょうか?」

「どういう意味ですか?」

 マーダンは顔をしかめた。

「いえ。この状況下なら、魔素が三種類あってもおかしくないと思いまして」

 サーシャは眼鏡のフレームに指をあてた。

「つき落されたアリア・ソグラン伯爵令嬢は、国でも有数の魔術の使い手です。落ちると思った瞬間に何らかの『対処』をご自身がとっていても不思議はないのではないかと」

「咄嗟のことで、詠唱が間に合わぬということもあるのでは?」

 レオンが口をはさむ。

「それはそうです。不意打ちの行動ならなおさらそういうこともあるでしょう。しかし、一応は確認された方がいいのでは?」

「それは、どういう」

 マーダンは首を傾げる。

「今回の件が『狂言』の可能性もあるのではと、思ったまでです」

「狂言?」

 レオンの眉間にしわが刻まれた。

「はい。公女殿下を陥れるため、最初から仕組まれたモノという可能性はゼロではありません」

 サーシャは軽く息を継いだ。

「もちろんどんな手練れの魔術師でも、咄嗟に対応できないということはあります。まして、アリアさまは、たまたま光の魔術師ではありますが、私のような専門職の人間ではありません。光魔術以外はあまりお使いにならないとも聞きますから、何の反応もとれなくても不思議ではありませんが」

「つまり、そんな咄嗟の時に都合よくイーサン・ロバルが救出したことも怪しいと?」

 レオンの瞳がきらりと光った。

「……そこまではなんとも。私は魔術のことしかわかりませんので、背後関係について調べるのは、殿下をはじめ親衛隊の方の管轄になりましょうから」

「なるほど。マーダン、どう思う?」

「一理あるかと。ただ、詠唱途中に呪文を中断した可能性もあり、今わかっていることだけで、『狂言』というのは難しいと思います」

 マーダンは肩をすくめる。

「それは現状で、公女が犯人と言えないのと同じではないかと」

 サーシャは指摘した。

「なんにせよ、一度劇場を見せてください。私なら見つけられるものがあるかもしれません」

「ほう? 現場は既に荒れているのではなかったのか?」

「何か見つかると思ったから、私をよばれたのですよね?」

 サーシャの言葉で嫌味を言うレオンに、サーシャは口の端をすうっとあげてみせる。

「お前を呼んだわけじゃない。私はルーカスを呼んだのだ」

「私で駄目なら、ハダルさまでも無理ですよ」

 サーシャは自信たっぷりに微笑んだ。




 鳳凰劇場は、宮殿近くの一等地にある。

 先の帝妃、亡くなった皇太后が芝居好きで、かなり投資をしたらしい。

 帝都で一番格式の高い劇場で、皇族もよく訪れることで有名だ。

 今日は、休演日なので、人の姿はない。

「殿下、捜査はもう終わったのではないのですか?」

 当直の者からレオンが直々に調査に来ると聞いて、慌てて飛んできた劇場支配人が、へこへこと頭を下げる。

「いや、私はまだ現場を見ていない」

 相変わらず無表情のレオンの顔からは、何一つ感情が読み取れない。

 レオンに同行したのはサーシャと、マーダンの二人だ。皇族にしては護衛が少ないように思えるが、マーダンは魔術だけでなく剣もできるのであろう。それにレオンはこの国でも有数の剣士で、魔術師でもある。サーシャとて、宮廷魔術師だ。剣こそできないけれど、皇族の護衛に選ばれても問題ない実力を持っているのだから、これ以上の人数はいらない、ということなのだろう。

 一番は、大人数で押しかければ注目を浴びてしまうというのが理由だろう。

 アリア・ソグランの事件はあまりにも世間に知られてしまっている。親衛隊が何度も劇場を再捜査しているというのは、格好がつかない。

「そ、それでしたら今ご案内を」

「いらん。鍵だけ開けてくれれば、後は勝手にやる。帰る時に声をかけるから、その辺で待ってろ」

「は、はあ」

 支配人は困ったような顔をしている。

 とはいえ、正式な理由もないのに、皇族に否を唱えることはできないだろう。

「マーダン、案内しろ」

「こちらです」

 マーダンはランタンに火を入れて、歩きだした。

 劇場には魔石を使って灯す『魔道灯』があるが、それを使うと、『魔素』が出る。少しでも現場を荒らさないためには、魔道具は使わないのが無難だ。

 とはいえ、事件のあと、既に公演は何度も行われていて、魔道灯は使用されている。

──今さらな気がする。

 サーシャは一人、内心で呟く。

 どうせ呼ぶなら、事件直後に呼んでほしかったと思う。それならば、サーシャは犯人を特定することだって可能だった。

「この階段です」

 ボックス席に向かう階段下のホールに立つと、マーダンが指をさす。階段は壁際にあった。幅はそれなりに広い。

「イーサン・ロベル氏はどの位置に立っていたのですか?」

 魔素のことも大事だが、基礎的な状況をまず把握しなくてはいけない。

 サーシャはマーダンに尋ねた。

「そこです」

 マーダンが指を指したのは、階段を下りてすぐの位置だ。

「目撃者は?」

「落ちてくるのを見たと言える人間は少ないですね。人はこのホールにそれなりにいたようなのですが」

 サーシャはホール全体を見回した。

 このホールには、一般客は来ない。ボックス席のいわば『金持ち』しか入れない場所だ。

 床には赤い絨毯が敷き詰められていて、壁にはしゃれた魔道灯がつるされている。

 全面壁でおおわれているが、吹き抜けの天井部分には採光用のガラスがはめ込まれていて、思ったよりも明るい。

 ボックス席に向かう階段上は、階段のすぐ下でなければほぼ見えない造りだ。

「あの。公女の姿を見た人はいるのですか?」

「わかりません。ただ、アリア・ソグラン伯爵令嬢が落下した瞬間、『ラビニアさま!』という女性の叫び声を聞いたものがいます」

「それが誰かは、わからんのか?」

 レオンは苛ついたように口を開く。

「はい。しかし、アリア・ソグラン伯爵令嬢が落下した後、騒ぎがおさまらない時にラビニア・エドン公女が階段から降りてきたのは間違いないです」

 マーダンは淡々と話す。

「それなら、エドン公女は白だ。令嬢を突き落としてすぐに降りてきたら、真っ先に疑われることがわからぬほど、愚鈍な女性ではない」

「それはもちろん、承知しております。ただ、噂というものは『勝手に』広まるものですから」

 マーダンは肩をすくめる。

「アリア・ソグラン伯爵令嬢は、お一人で観劇に?」

「いえ。侍女が一人いっしょでした。なんでもボックス席にソグラン嬢が忘れ物をしたとかで、侍女が取りに戻った時に、事件が起こったということです」

 マーダンの説明に、サーシャは顎に手を当てた。

 今を時めく光の『聖女』である、アリア・ソグランが侍女と二人で観劇というのがピンとこない。

「ソグラン令嬢は無類の芝居好きでしてね。年間シートまで持っているそうですよ」

「伯爵家は随分と羽振りがいいのですね」

 年間シートというのは、いつ、いかなる公演も好きな時にも『席』をあけておくための契約だ。

 ボックス席をおさえるにはそれなりの金額になる。

「アリア・ソグランは『聖女』として人気だ。スポンサーはいくらでもいる」

 いかにもつまらない、というような口調でレオンが答える。

「だいたい状況はわかりました。では、現場を見せていただきます」

 サーシャはにこりと笑い、眼鏡をゆっくりと外した。



 

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