魔眼の宮廷魔術師は眼鏡を外し、謎解きを嗜む
秋月忍
鳳凰劇場 1
サーシャ・アルカイドは、眩しい朝の光に目を細めながら、白亜の建物を見上げた。
長い黒髪を一つに束ね、白地に金糸の入った宮廷魔術師のローブをまとっている。年齢は二十になるが、小柄で化粧っけもないせいで、年より若く見られることの方が多い。大きな眼鏡をしているため、顔の印象は眼鏡にもっていかれるが、顔立ちは整っている。
ここは第二皇子レオンの住む、朱雀離宮だ。
離宮といっても、皇帝の住まう宮殿からそれほど離れていない。
比較的装飾が少ない建物ではあるが、窓には希少なガラスが入っている。
サーシャは、入り口に立つ門兵に書類を見せ、開け放たれた扉をくぐった。
この離宮は、皇帝の祖母である皇太后が晩年に移り住んだ場所だ。皇太后が亡くなってのち、皇子がこの離宮の主となった。現在は当時よりかなり増築され、大きくなっている。
皇子が離宮に移った理由は、第一皇子であるマルスとの不和などが挙げられているが、実際は宮廷が手狭という理由が一番だ。
皇子は現在、親衛隊を率いており、帝都の警察業務を一手に引き受けている。
ここ朱雀宮は、親衛隊のオフィスを兼ねているのだ。宮に隣接した武骨な建物は、隊兵達の宿舎と道場になっている。
受付で持ってきた書類を渡すと、しばらくそこで待たされた。
親衛隊の事務所があると言っても、宮殿は出入り自由ではない。
ほどなくして、サーシャは奥の皇子の執務室へと案内された。
「宮廷魔術師、サーシャ・アルカイドでございます」
部屋に入ると、サーシャは丁寧に頭を下げた。
「私はルーカスを呼んだはずだが?」
執務机に座ったままこちらを向いたレオンが、静かに疑問を呈した。
こげ茶色の短い髪で端整な顔つき。ただし表情は全く動かない。
美形の皇子にもかかわらず、彼の異名は『死神皇子』。特に彼が非道であるということはなくて、単純に『見た目』からだ。
皇太子である第一皇子が輝くような笑顔の人だけに、対照的である。
「ルーカス・ハダル首席宮廷魔術師は、現在皇帝陛下のお仕事で手が離せません。そこにもそう書いてあると思います」
執務机の上に置かれた書類には、ハダルの代わりにサーシャが派遣されると書いてある。
「どうしてもハダルさまにとのことでしたら、あと七日ほどお待ちいただくことになりますが」
「ふん」
たぶん、気分を害しているのだろう。ハダルに依頼をしたということは、よほど厄介事をかかえてのことに違いない。
親衛隊にも魔術師はいる。彼らの手に負えないからこそ、宮廷魔術師を呼んだのだろうから。
「どういたしますか? 私は別に帰っても構いませんが」
サーシャは言葉だけは丁寧に暗に自分はどうでもいいのだということを伝えてみる。
「まあいい。わからなければ、現場を荒らさず、ルーカスを呼んできてもらおう」
レオンは妥協することに決めたようだった。
「アリア・ソグラン伯爵令嬢が鳳凰劇場の階段から落ちたのは知っているか?」
「ええ、まあ。かなり話題にもなりましたし」
サーシャは頷く。
アリア・ソグランは、光属性の魔術使いだ。希少な『治癒』魔術が使えるということで、神殿が皇太子マルスの婚約者候補として担ぎ出した女性である。
問題は、マルスには既にラビニア・エドンという公爵令嬢と事実上の婚約関係があったことだ。
いかにアリアが希少な魔術の使い手だとしても、公爵家を無視するわけにはいかない。
現在、両者は水面下で権力闘争を行っている。
そんな中、先日アリアが、劇場の階段から落ちた。大きな怪我はなかったが、たまたま、同じ公演をラビニアも見に来ていたため、エドン家がアリアを襲ったという噂が広がっている事件だ。
「エドン公女がやったことではないかと噂になっているのは、存じております」
マルスを巡って、二人の令嬢の間にトラブルがあってもおかしくはない。
「貴殿は、どうみる?」
「さあ? 私はどちらの令嬢とも顔を合わせた程度ですから、なんとも言えません」
サーシャは答える。
「そもそもソグラン嬢は無事なのです。そこまで大きな事件ではないと思いますが」
人が死傷したような事件ではないのだ。もちろん殺人未遂事件には違いないが、宮廷魔術師をわざわざ呼ぶほどのことだろうか。
「エドン公爵は事実無根だと立腹している。放っておくと内部抗争が激化しかねない」
ラビニア・エドン公女が無実であるなら、当然この噂は腹立たしいものだろう。
「左様でございますか」
宮廷魔術師を呼びつけるには、いささかオーバーではあるが公爵家の要請で動いているというのなら、納得だ。
「私がこちらに参りました理由は?」
「魔術の痕跡を発見した。だが、それ以上のことが分からない。実地検証をしてもらいたい」
「なるほど」
サーシャは頷く。
「でも、現場は既に荒れておりますよね?」
事件があったのは、五日前。
劇場は今も公演している。当然現場が保存されているわけがない。
「魔術など使われることのない場所だ。魔素の欠片くらいあるだろう」
レオンは当たり前のように答える。
五日も過ぎて痕跡が残っているような魔術であれば、アリア・ソグランはおろか周囲の客にも死傷者が出るのが定石だ。魔素を探しに行くのはいくら何でも現実的ではない。
「なるほど。それでハダルさまは私にこの話を振ったのですね」
サーシャは大きくため息をつく。無理難題であるが、サーシャならできるとハダルは思ったのだろう。サーシャとしては面倒きわまりないが。
「これを見ろ」
サーシャの不満に気づかないかのように机に乗っていた書類の束を、レオンは突きだした。
「拝見いたします」
サーシャは受け取った書類に目を落とす。
調査担当の魔術師が書いたものだろう。詳細な取り調べ結果が記入されている。
おそらく漏れはない。かなり優秀な魔術師が丁寧な仕事をしている。
この調査が正しいのであれば、アリア・ソグランは間違いなく何者かに『風魔法』によって、背を押されたと思われた。
魔術を使うと、魔素というエーテルの廃棄物が残る。上位の魔術師ほど魔素は残りにくいが、それでもゼロではない。使ってすぐであればある程度の魔力の個性がわかる。が、時間がたってしまうとそれは難しい。この調査記録を見ると、当初、『魔術』が使われたことは想定されていなかったらしい。
風魔術の『魔素』は周囲に漂っていたらしいが、それは落下中のアリア・ソグランを救うために、偶然そこに居合わせた護衛騎士イーサン・ロバルが使用したものだと思われていた。
魔力の個性を見分けるのは、かなり熟練の魔術師である必要があるので、少し魔術が使える程度の一般捜査員では、判別がつかなかったのであろう。
魔素は時間がたつと再びエーテルに吸収されてしまうため、わからなくなる。まして、風の『魔素』は宙をただようため、残存しにくい。
「魔術が使われたとすぐにはわからなかった、つまり人が直接突き落としたか、もしくはアリア・ソグラン嬢が足を滑らせたという『見込み』で捜査が行われたということでしょうか」
「まあ、そうだな」
レオンが頷く。
「初動の段階では深刻な事件として扱っていなかったのは事実だ。失態と言えば失態ではあるがここまで公女が容疑者だと噂が広まるとはおもっていなかったのだ」
「状況証拠はそこまで、ラビニア・エドン公女を指しているのですか?」
「……そういうわけではない。とはいえ、関与していないとする決定的な証拠もない」
「つまりお手上げというわけですか?」
「そのために、宮廷魔術師を呼んだのだ」
その言葉に、思わずサーシャは天井を仰ぐ。
「それでは、まず、この調書をお書きになった魔術師に会わせてください。それから、劇場に参りましょう」
「承知した」
レオンは手元の呼び鈴に手を伸ばした。
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