第8話 子供たちとの別れ、そして、再会

 それからは、楽しく平和な毎日が過ぎて行きました。

授業にも集中してできるようになって、どんどん勉強も進んでいきました。

昼休みは、子供たちといっしょに遊んで、楽しい日々が続いていました。

 そして、一年がたとうとしたとき、事件は起きました。

私は、その日もいつものように天使くんとアクマちゃんと登校すると、職員室に入りました。

「牧村先生、ちょっといいですか」

 私は、天狗校長に呼ばれました。

「そろそろこの学校に来て、一年ですね」

「そうですか。もう、一年になるんですね」

 私は、感慨深い気がして、今まであったことを思い出していました。

「実はですね、あなたに転任の話がありましてね。貴方のご両親とも相談したんですが、やはり、あなたは人間だから、人間の学校に転任した方がいいということになったんですよ」

 私は、天狗校長の話が、頭に入ってきませんでした。

頭から水をかけられたような気がして、一瞬頭が真っ白になりました。

「あの、それって……」

「来週を持って、この学校から転任となりました。次の学校は、別の小学校です。もちろん、人間のね」

 私は、一瞬にして、思考回路が停止しました。転任て、この学校にいられなくなるということなのか?

「あ、あの……」

 私は、言葉が出てきませんでした。余りに突然のことで、頭が働きませんでした。

「こちらとしても非常に残念ですが、あなたの将来のことを考えると、やはり、人間の通う普通の小学校のがいいと思うんです」

「イヤです。この学校から出て行くなんて、イヤです」

「気持ちはわかりますが、あなたの将来の……」

「私は、この学校が好きなんです。あの子たちが好きなんです。別れるなんて

イヤです」

 私は、天狗校長の机に両手を突いて、はっきり言いました。

私は、子供たちの先生です。卒業というなら、喜んでお別れするでしょう。

先生なら、転任というのも仕方がないことです。でも、この学校は、普通の学校とは違います。

卒業でもなく、一方的に、転任なんて、そんなこと受け入れることは出来ません。

「残念ですが、それは、決まったことでして、私としても残って欲しいんですけど……」

「そんな……そんなのイヤです。あの子たちと別れるなんて、イヤです」

「わかりますが、あなたの将来のためです」

「私の将来は、この学校でずっと子供たちと勉強することです」

「次の学校は、ここに決まってます。これが、正式な通知です」

 天狗校長は、私の話も聞かずに、一通の紙片を私に見せました。

私は、それをじっと見つめて、手に取ると、握りつぶしていました。

「この話、お断りします。私は、転任なんてしません」

「これは、仕方がないことなんです。人間のあなたが、いつまでも妖怪や

バケモノの子供たちの先生は、できません」

「どうして出来ないんですか。私が、人間だからですか?」

「そうです。あなたは、この学校で、十分すぎるくらいのことをやってくれました。ホントに感謝しています。今度は、自分のために人生を歩んで下さい。ありがとうございました。お疲れ様でした」

 私は、言葉を失いました。私は、フラフラしながら自分の机に座ると、

全身から力が抜けていきました。

「牧村先生、あなたは、今まで本当によくやってくれました。俺からもお礼を言います。でも、後は、任せて下さい。子供たちを立派に育てて見せます」

 隣のカラス先生の話も、耳に入りませんでした。

「子供たちには、後で話をします。わかってくれると思いますよ。だから、

笑って、お別れしてください。そうですね。あなたの送別会もやりますか」

「やめてください。そんなこと、しないでください」

 私は、天狗校長の話を遮って、大声を出しました。

「まだ、私は、この学校から出て行くつもりはありません」

 私は、そう言って、教室に行きました。

教室に入ると、いつものように、子供たちは元気に騒いでいます。

 いつものように、朝の挨拶と出席を取るのに、今の私は、教壇に立ったまま、何も言えませんでした。

顔を上げて、子供たちの顔を見られませんでした。

「どうしたの、美久先生」

 一番前の席に座っている、カカシくんが言いました。

「なんでもないの。それじゃ、出席を取ります」

 私は、出席簿を開いて、名前を呼びます。

「一つ目くん」

「ハーイ」

「三つ目くん」

「ハイハイ」

「カカシくん」

「は~い」

「傘バケくん……」

「ハーイ」

「……」

 私は、これ以上、名前が呼べませんでした。もうすぐ、この子たちとお別れ

すると思うと、名前を呼ぶことが出来ませんでした。

「美久センセ、どうしたの?」

 人魚ちゃんが言いました。それでも、私は、声が出てきませんでした。

「美久先生……」

 雪子ちゃんが心配そうに声をかけます。

「ごめん。なんでもないの。人魚ちゃん」

「ハイ」

「雪子ちゃん」

「ハイ」

 私は、顔を上げて、涙がこぼれないように我慢しました。

どうにか、全員の名前を呼ぶと、一時間目の国語の授業です。

 私は、犬男くんに本を読んでもらいました。でも、その間、私の心は、ここにあらずの状態でした。

私は、何も考えられませんでした。よほど、私の様子がおかしかったのでしょう。敏感なアクマちゃんが言いました。

「美久センセ、どうされたんですか?」

「美久先生」

 私は、呼ばれてもすぐに気がつきませんでした。

「ごめん、みんな、自習してて。本を読んでて」

 私は、教室を飛び出して、どこに行くわけでもなく、校庭を走って、森の中に入っていきました。

私は、どうすればいいの? みんなと笑ってさよならするなんて、絶対出来ない。

お別れするなんて、淋しすぎる。それも、自分のためだなんて、そんなのわからない。せっかく、みんなとなかよくなれたのに。

せっかく、人間を信じてもらえたのに。

今日まで、みんなとたくさん勉強して、ここまで来たのに。

私だけお別れなんて……

 私は、大きな桜の木の根元に膝を抱えて、座って顔を埋めていました。

自分は、どうするべきか、いくら考えても答えは出てきませんでした。

 そこに、カラス先生がやってきました。

「牧村先生、授業はどうしたんですか?」

「カラス先生……」

「教室に戻った方がいいんじゃないですか。子供たちが心配しますよ」

「カラス先生、私は、どうしたらいいんですか?」

「さっきの転任の話ですか? それなら、答えは出ているでしょ。牧村先生は、今までよくやってくれた。今度は、人間の子供たちのために、がんばって下さい」

「もう、私は、いらないって言うんですか?」

「そうじゃない。あなたの役目は、終わったということだよ」

「終わったんですか?」

「そう、人間のあなたは、ここまでということです。後は、妖怪やバケモノ

同士、我々でやります」

 私は、終わりと言われて、すべてが目の前から消えてなくなるような気がしました。

「そうですか。わかりました。終わりなら、仕方がないですね」

 私は、力なく立ち上がると、教室に戻りました。

教師に戻ると、天狗校長が教壇にいました。

「牧村先生、どこに行ってたんですか? 教室に来たら、あなたがいなくて、子供

たちは心配してたんですよ」

「すみませんでした」

「それで、今、牧村先生のことを子供たちに話したところなんです」

「そうですか」

 私は、無気力に返事をしました。

すると、子供たちから、思いもかけない言葉を聞きました。

「美久先生、またね」

 私は、脳天を打ちのめされたと思いました。

子供たちは、私を引き止めてくれると思っていました。私と別れるのをイヤだと言ってほしかった。

そう言うと思っていたのに、またねと明るい顔で言われたのが、ショックでした。

「美久センセ、今まで、ありがとうございました」

 私は、学校にも、子供たちにも、裏切られたと思いました。

やっぱり、妖怪なんだ。バケモノなんだ。人間じゃないから、別れる時の感情というのはないんだ。そう思うと、もう、涙も出ませんでした。

「みんな、一年間、ありがとうね。みんなのことは、忘れないから。元気でね」

「美久先生も、元気でね」

 そう言われたとき、私は、気持ち的に開き直れました。

もう、私の居場所は、ここにはない。私の役目は終わったんだ。

私は、人間の世界に戻る。それが当たり前で、本当の居場所なんだ。

そう思うと、気持ちも楽になりました。

 

 それからの授業は、淡々と進めて、子供たちとは普通に接していても、なにかが違うという感じで自分自身の笑顔がウソのような気がしてきました。

 給食の時間も、いつもより楽しくありません。

子供たちは、いつも通りワイワイ楽しそうに食べているのに、私は、なんだか

一人ぼっちになっている気がしました。

 放課後になって、私は、天使くんとアクマちゃんを待って、いっしょに帰ります。ところが、二人は、私のところにくると、またしても信じられないことを言いました。

「もう、美久センセのウチには、行かないから。今まで、お世話になりました」

「美久先生、今まで、ありがとうございました」

 二人は、表情変えずに、ペコリと頭を下げると、私の返事も聞かずに、職員室を出て行きました。

一瞬、何が起きたのか、理解できませんでした。

「待ってよ、どうしてよ。なんで、なんで…… 私のことが嫌いになったの?」

 私は、かすれた声で言いながら、職員室を出て、二人の後を追いました。

でも、二人の姿は、もう見えませんでした。

 この日の帰り道、一人で帰る時も、涙が頬を伝いました。

絶望というか、私の心は、もう、バラバラになった気がしました。

 ウチに帰っても、ガランとして、私とインコのピーちゃんしかいません。

もうダメだと思った。来週まで、心と気持ちが持たない。

体も頭も追いつかない。明日で辞めよう。こんな調子では、もう、学校に行けない。子供たちにも会えない。いえ、会いたくない。私は、そう決めました。

 そして、翌朝、私は、初めて学校にいったときと同じスカートに白いシャツのスーツに着替えて登校しました。

職員室に行くと、天狗校長に言いました。

「おはようございます」

「おはようございます。牧村先生」

「あの、すみませんけど、今日で、辞めさせて下さい」

 天狗校長は、少し間をおいてから、落ち着いた声で言いました。

「そうですか。残念ですが、子供たちには、私から言いますよ」

「いえ、自分で言います。子供たちには、私から言います」

「そうですか。わかりました」

 私は、お辞儀をすると、出席簿を持って、教室に向かいました。

教室に入ると、子供たちがいつものように騒いでいました。

「みんな、席について下さい」

 私は、教室を見渡し、全員の顔をみながら言いました。

「先生は、今日で、この学校を辞めることになりました。今まで、みんなと楽しく勉強できて楽しかったです。ありがとうね。みんなのことは、忘れないからね」

 そこまで言って、子供たちを見ました。なにか言ってくれると期待したのです。ところが、子供たちは、何も言いません。

「どうしたの? 最後になにか言うことはないの?」

 静かな間ができてしまったので、私から聞いてみました。

「別に」

「美久センセ、またね」

 返ってきたのは、それだけでした。

「そう…… そうよね」

 なんて淋しい最後なんだろう。こんなはずじゃなかったのに……

それでも、今日は、最後の日なんだから、泣かずに笑って終わろうと思って、

家を出たはずなのにやっぱり、熱いものがこみ上げてきました。

「それじゃ、最後の授業しようか」

 私は、そう言って、教科書を開きました。一時間目は、算数です。

子供たちは、いつものように、ノートを開いて、私の話を聞きます。

黒板に数字を書いて、足し算の問題を書きます。

「それじゃ、この問題を、雪子ちゃん、前に出て書いてくれるかな」

「ハイ」

 そう言って、雪子ちゃんが前に出て、問題を解きます。

「ハイ、その通り。正解です」

 私は、そう言って、雪子ちゃんを褒めてあげました。

雪子ちゃんは、ニコッと笑って席に戻ります。

 授業は、いたって普通に進みました。私だけが意識をしているみたいなので、平常心を保ちます。

給食の時間がやってきました。これも、子供たちといっしょに食べる給食は、これが最後だと思うと感慨深い。

思えば、最初のころは、人間が食べられないものばかりが出てきました。

そんなことを思っていると、私の分の給食を持って、八つ手女さんがきました。

「あら、すみません。また、間違えちゃいました。すぐに、取り替えますね」

 見ると、そこに並べてあったのは、とても人間が食べられる献立ではありませんでした。

見ると、子供たちのトレーには、カエルの目玉のスープ。トカゲのケチャップ炒め。ハエサラダ。コオロギパンとネズミのオシッコミルク風味、私が初めて赴任してきた日に見た給食でした。

「ハイ、人間の牧村先生は、こっちでした」

 持ってきたのは、これもあの時と同じ、ミートボールのあんかけ、筑前煮、

野菜サラダ、牛乳とコッペパンとバターでした。

私は、夢を見てるのかと思いました。そんなバカな。給食の献立が元に戻ってる。

時間が戻ったのか、それとも、これがホントに現実なのか、一瞬わからなくなりました。

「それでは、手を合わせてください。いただきます」

「いただきます」

 そう言うと、子供たちは、おいしそうに給食を食べ始めたのです。

何でよ…… どうして、給食の献立が元に戻ってるの……

おかしくない? 給食の献立は、人間の給食だったはずなのに、どうして私だけ違うの?

「どうしたの、美久センセ、食べないの?」

 アクマちゃんに言われて、ハッとしました。

「どうして、私だけ献立がみんなと違うの?」

「だって、美久センセは、人間でしょ。このスープ、飲める?」

 アクマちゃんに言われて、頭がパニックになりそうです。

「飲めないでしょ。だから、美久センセだけ違うのよ」

 私は、愕然としました。これじゃ、元に戻っただけで、今まで私のしてきたことは、なんだったのかわからなくなりました。

今日が最後の日だから、みんなと食べる最後の給食なのに、こんなはずじゃなかったのに……

悲しいというより、悔しくなりました。私の心の中は、嵐が吹き荒れていました。

 楽しいはずの給食を楽しめないうちに、昼休みが終わりました。

一度、職員室に戻ると、天狗校長が言いました。

「牧村先生、顔色が悪いですよ。元気がないですね」

「いえ、大丈夫です」

「最後の授業なのに、その様子では、とても勤まりそうもないですね。お帰りになって構いませんよ」

「とんでもない。最後まで、やります」

「しかし、そのような顔で、子供たちの前に立つのは……」

 今の私は、どんな顔をしているんだろう。天狗校長の言うように、そんなに

顔色が悪いんだろうか。

そう思っていると、隣のカラス先生が、鏡を出して私の顔を写して見せました。

「こんな顔をしているんですよ。牧村先生、美人が台無しじゃないですか」

 鏡に映った顔は、自分でも信じられないくらい、血の気を失っていました。

「これが、私……」

 今の私は、こんな顔をしていたんだ。こんな顔は、子供たちに見せられない。

まるで生気がありません。死んだような顔でした。とても自分とは思えません。

「わかりましたか。牧村先生、最後まで授業が出来ないのは、残念ですが、お帰りになられたほうがいいです」

「そう……ですね。わかりました」

 私は、ガックリと肩を落として言いました。

「それじゃ、カラス先生、子供たちを連れてきて下さい」

「わかりました」

 カラス先生は、教室を出て行きました。

「校長先生、今までお世話になりました。こんな形で最後を迎えましたが、

ありがとうございました」

「いいえ、あなたは、立派に最後までやり遂げました。お疲れ様でした。こちらこそ、ありがとうございました」

 そう言って、天狗校長は、深々と頭を下げました。

私は、机の引き出しから、自分の物を整理して、かばんに詰めると、職員室を出て行きました。

 校舎から出ると、子供たちとカラス先生が見送ってくれました。

「牧村先生、お疲れ様でした。お元気で」

「カラス先生も、お元気で。子供たちをよろしくお願いします」

 私は、そう言って、カラス先生に手を振りながら言いました。

「みんな、元気でね」

 私は、大きな声で言いながら手を振りました。

なのに、子供たちは、何も反応がありませんでした。

誰も口を開く者はいませんでした。淋しい最後だなと思いながら、妖怪学校の

入り口である祠を出て行きました。

最後に振り向いて、もう一度、手を振ってみました。すると、そこには、もう、誰もいませんでした。

 私は、祠から出ると、抜け殻のような体で、自宅に帰りました。

「ただいま、ピーちゃん。また、一人ぼっちになっちゃった」

「ピピピ……」

 ピーちゃんの鳴き声が聞こえるだけでした。

「何で、こうなったんだろう……」

 私は、リビングに目を移すと、天使くんとアクマちゃんと遊んだ、双六や

トランプがそのままになっていました。

私は、それを片付けました。見ているだけでつらくなるからです。

「なんでだろ。おかしいな。なんで、私、泣いてるんだろ」

 ゲームを片付けていると、涙が落ちてきました。

「ヘンなの、私、どうかしちゃったのかな……」

 独り言のように呟いて、そのままトランプを握り締めたまま、声を殺して

泣きました。

その夜、私を心配したパパとママが帰ってきました。

メールも電話も、私は無視していたのです。携帯電話が鳴っても、出なかったのです。

 私は、部屋に戻って、ベッドに膝を抱えて、ずっと泣いていました。

「美久、どうしたんだ?」

「美久ちゃん、どうしたの。ここを開けなさい」

 私は、誰にも会いたくなくて、鍵をかけて蹲っていました。

部屋の外では、パパとママが私を呼んでいます。

「大っ嫌い。パパもママも、嫌いよ。なんで、私が学校を辞めなきゃいけないの?」

 私は、大きな声を出して、パパとママを怒鳴りつけました。

「お前のためだ。しょうがないじゃないか」

「そうよ、あなたは、やっぱり、人間の学校に行かなきゃいけないのよ」

「なによ、勝手なこと言って。私は、あの子たちが好きなの。あの学校が好き

だったのよ」

「なにを言ってるんだ。お前は、人間じゃないか。いつまでも、妖怪だのバケモノを相手にしていられないだろ」

「勝手なこと言わないで。最初に、あの学校に行けといったの、パパじゃない」

 ドア越しに言い合いになりました。

「もう、いいじゃないか。お前は、やるべきことをやったんだ。このへんでいいだろ」

「よくない。いいわけないじゃないの。まだまだ、あの子たちとやることあるのよ」

 こうなると、私は、止まりませんでした。今まで溜まっていたものが、一気に噴き出ました。

「美久ちゃん、わかって。あなたは、人間の学校に行くべきなのよ」

「そんなのわかんない。私は、もっとあの子たちといたかったのに……」

 そう言うと、私は、泣き崩れて、初めて大声で泣きました。

それきり、パパもママも何も言いませんでした。

 もう、どうでもいいという気になって、何もする気も起きません。

「この学校に、行っちゃおうかな……」

 私は、新しい赴任先の学校のチラシをチラッと見ながら言いました。

でも、それを手にすると、私は、ビリビリに破いてゴミ箱に捨てました。

「先生、辞めようかな」

 私は、そう思って、泣きぬれた顔を上げました。

外は、暗くなって、まるで私の今の心のようでした。


 それから数日は、何もする気が起きず、部屋に閉じこもりました。

パパもママも、それきりウチには帰ってきませんでした。

 食事をしていても、お風呂に入っているときも、一人になると、部屋がすごく広く感じます。

あのころは、いつも天使くんもアクマちゃんもいました。三人で笑って、食事をして、お風呂に入ってゲームをして、寝るときもいっしょで、ウチには笑いが

耐えませんでした。それなのに、今は、静まり返っています。

「ピーちゃん、また、一人になっちゃった。淋しいよ、みんなに会いたいな」

 私は、インコのピーちゃんに話しかけました。

リビングに飾ってある、みんなと撮った集合写真を見ると、そこに写っているのは、なぜか、私一人だけで、子供たちも天狗校長もカラス先生も、消えていました。

「なんで消えてるのよ…… なんで、私だけなの……」

 その写真を見ると、また、涙が自然と溢れてきました。

授業をしたこと、遊んだことが思い出します。

 お泊り会でみんなと枕投げをしたこと、肝試しで泣いたこと、池の中に落とされたこと、楽しかったことが思い浮かびました。

夏は、池で泳いだりもした。冬は、みんなで雪だるまを作ったり、雪合戦もしました。

歌を歌ったり、森の中で走り回ったりもしました。

どれも楽しかった思い出です。それが、全部、ウソだったというか……

みんな忘れてしまったのでしょうか。私は、全部、覚えてます。

はっきり思い出せます。忘れるわけがありません。忘れたくもありません。

 子供たち、一人ひとりの顔を思い浮かべると、また悲しくなりました。

「今頃、みんなどうしてるかな……」

 ちゃんと勉強しているのか。元気でやっているのか。気になって仕方が

ありません。

一つ目くんと三つ目くんは、仲良くしているのか?

バケ猫ちゃんと犬男くんは、ケンカしてないか。

人魚ちゃんと河童くん、カワウソくんは、どうしているのか。

カカシくん、傘バケくんは、元気にしているのか。

霊子ちゃんも幽子ちゃんも、キツネくんもみんな学校に来ているのか。

気になりだすと、いたたまりません。

天使くんに会いたい。アクマちゃんの顔が見たい。みんなの顔が見たくてたまりませんでした。みんなの声が聞きたい。楽しかった笑い声が聞きたい。

そう思うと、自然と足が動いて、山道を歩いて、祠の前に立っていました。

 もちろん、行ったところで、もう、私は中には入れません。

「会いたいよぉ…… みんなに会いたいよぉ」

 私は、呟きながら、思いました。それが、私の本心です。

私は、暗い道を泣きながら歩きました。ウチに着くと、パパとママが帰っていました。

「どこに行ってたの?」

「心配したんだぞ」

 私は、パパもママも顔を見たくないので、無視して自分の部屋に行こうと

します。

「待ちなさい。お前、新しい学校は、どうするんだ?」

「そんなの行かない。先生も辞める」

「美久ちゃん、何を言ってるの」

「もう、どうでもいいの」

 私は、そう言って、階段を駆け上がりました。

「美久、待ちなさい」

 パパが後を追ってきました。でも、私は、ドアを閉めてカギもかけました。

「美久、出てきなさい。話を聞きなさい」

「イヤッ、こないで。話なんか聞きたくない」

「美久」

 私は、もう、何もかもがイヤになりました。

私は、ベッドに倒れこむと、枕に顔を埋めました。

「美久ちゃん、アレが聞こえる?」

 ママの声がしました。

「美久ちゃん、あの声が聞こえないの?」

 もう一度ママが言いました。

私は、枕から顔を上げました。すると、私の耳に、聞いたことがある声が聞こえてきました。どこかで聞いたことがある歌でした。なんの歌だったけ?

でも、聞いたことある。

私の知ってる歌だ。それに、この声。まさか……

 私は、窓を開けて外を見ました。そこで、信じられない光景が目に飛び込んできました。


『きらきらひかる そのかおは いつもたのしく げんきよく あかるくすごす まいにちを みんな いっしょに ぼくらのがっこう ようかい ようかいがっこう』


 玄関の前に、あの子たちがいました。そして、妖怪学校の校歌をみんなで歌っていました。

忘れようとしても、忘れられない、私の可愛い子供たち。

 一つ目くん、三つ目くん、雪子ちゃん、幽子ちゃん、霊子ちゃん、

カワウソくん、人魚ちゃん、バケ猫ちゃん、河童くん、犬男くん、キツネくん、

カカシくん、傘バケくん、ろくちゃん、天使くん、アクマちゃん。

子供たちの姿を見ると、私は、部屋を飛び出して、靴も履かずに外に出ました。

「美久先生ーっ」

「美久センセ!」

 子供たちが私に駆け寄ります。

私は、その場に跪くと、子供たちが私に抱きついてきました。

「会いたかったよ、美久先生」

「美久センセと、また、勉強したいジョ」

「美久先生がいないと、つまらないニャ」

 みんなが泣きながら私に言いました。私は、子供たちを抱きしめて、頭を撫でます。なのに、私は、言葉が出てきません。言いたいことはたくさんあるのに、何も出てきませんでした。

私は、ただ、子供たちを抱きしめながら、一人ひとりの顔を見るだけでした。

「やっぱり、美久センセがいないと、学校に行っても、おもしろくないの」

 アクマちゃんが言いました。

「ねぇ、美久先生、また、学校に戻ってきてくれない?」

 天使くんが言いました。私は、大きく首を縦に振ります。

「ごめんね。みんな、ごめんね」

 やっと出た言葉が、これが精一杯でした。

「美久先生、みんなで書いたんだよ」

「美久センセが戻ってきてくれるように、絵を書いたのよ」

 そう言うと、子供たちが、私を書いた絵を見せてくれました。

私は、一人ひとりの絵を見ながら、もう、涙が溢れて止まりませんでした。

「お上手よ。みんな、とっても、上手に書けたわね。みんな100点よ」

 お世辞にも上手とはいえない下手な絵ばかりです。

でも、今の私には、100点以上の価値がある絵でした。

「ありがとう。みんな、ありがとう」

 私は、もう一度、子供たちを抱きしめました。

忘れてなかった。子供たちも私の事を忘れてなかったんだ。それがうれしくて、言葉はもう要りません。その気持ちだけで心が一杯になりました。

あの子たちの絵を見れば、それがわかります。

 そこに、子供たちの後ろから、カラス先生が現れました。

「牧村先生、あの時は、すみませんでした。戻ってきてくれませんか。

やっぱり、俺だけじゃ、子供たちの相手をするのは無理です。牧村先生が

いなきゃ、ダメなんです。戻ってきて下さい」

 カラス先生は、そう言って、頭を掻きながら言いました。

「牧村先生、この子たちが、どうしてもあなたに会いたいって、聞かないんですよ。やっぱり、この子たちには、あなたが必要のようです。これは、正式な通知です」

 そう言って、私に差し出したのは、妖怪学校の正式な採用通知でした。

「校長……」

「戻ってきてくれますね。牧村先生」

「ハイ」

「やったー!」

「また、美久先生と勉強できるワン」

 子供たちが一斉に喜びを体中で表現しました。バンザイするカワウソくんと

キツネくん。飛び上がって喜ぶ人魚ちゃんとろくちゃん。カカシくんと

傘バケくんは、抱き合って飛び跳ねていました。

一つ目くんと三つ目くんは、顔が涙で濡れていました。

「また、よろしくお願いします」

 私は、天狗校長に深々とお辞儀をしました。

「カラス先生、また、お世話になります」

「イヤイヤ、世話になるのは、俺の方ですよ」

「みんな、また、よろしくね」

 私は、子供たちに言いました。私は、泣き腫らした顔で無理に笑いました。

すると、天使くんが私の裾をつかんで言いました。

「また、美久先生のウチに行ってもいい?」

「もちろんよ」

 わたしは、その場にしゃがんで天使くんの顔を見ながら言いました。

「ヤッターっ」

「アクマちゃんは、どうする。また、私のウチにくる?」

「しょうがないわね。行ってあげるわ」

 アクマちゃんは、相変わらず素直じゃありません。

でも、顔は、笑っていました。このやり取りが、私は、好きでした。

「天狗校長、どうやら、我々が間違っていたようでしたね」

 パパが天狗校長に話しかけました。

「そのようですね」

「ウチの娘が、ここまで子供たちに慕われているとは、思いませんでした。

また、お世話になります」

 ママがそう言うと、天狗校長に頭を下げたのです。

「イヤイヤ、牧村先生は、ホントによくやっていました。こちらこそ、戻ってきてくれて、うれしいです」

 よかった。これで、すべてが丸く収まった。私も学校に戻れる。

天使くんとアクマちゃんと暮らせる。ホントによかった。

「よし、それじゃ、お前たち、もう一度歌うぞ。牧村先生も、いっしょに歌ってくれますね」  


『きらきらひかる そのかおは いつもたのしく げんきよく あかるくすごす まいにちを みんな いっしょに ぼくらのがっこう ようかい ようかいがっこう』


 子供たちが妖怪学校の校歌を歌い始めました。

もちろん、私も歌いました。大きな声で、歌いました。私の一番好きな歌。

私は、子供たちといっしょに、何度も歌いました。

 私は、この夜の事は、一生忘れない夜になりました。


 翌朝、私は、早く起きて学校に行きました。

足取りは軽く、自然と早足になっている自分に気が付きました。

 早く、みんなに会いたいと言う気持ちが、そうしているようでした。

そして、山について、祠の中を潜ります。

目の前には、妖怪学校がありました。私は、戻ってきた。

もう一度、戻ってきた。

「あーっ、美久センセがきたぞ」

「美久先生!」

 子供たちが一斉に校舎から手を振りながら出てきました。

「みんなーっ」

 私は、しゃがんで子供たちを迎えました。

「美久センセ、みんな待ってたんだよ」

「ありがとね、みんな。さぁ、教室に行こうか」

 私は、戻ってきた。この学校に。私の居場所。大事な私の子供たち。

また、ここで、楽しく勉強したり遊んだり出来るんだ。普通のことが、こんなにもうれしいなんて思わなかった。

 私は、職員室に向かいました。

「校長、カラス先生、また、よろしくお願いします」

「ハイ、こちらこそ、よろしくお願いします」

 そこに、八つ手女さんと包帯先生もやってきました。

「牧村先生、やっぱり、戻ってきてくれたな。あなたがいないと、子供たちに

元気がなくてね」

「そうなのよ。給食も食べてくれなくてね。今日から、牧村先生も同じ献立

ですからね」

 私は、そんな言葉を聞いて、うれしくなると同時に、身が引き締まる思いがしました。そして、久しぶりの教室に行きました。

教壇から見る子供たちの顔は、みんな元気一杯でうれしそうでした。

「みんな、また、よろしくね。それじゃ、出席を取ります」

 このときが、一番好きな時間でもあります。

「一つ目くん」

「ハイ」

「三つ目くん」

「ハーイ」

「人魚ちゃん」

「は~い」

「雪子ちゃん」

「ハイ」

「霊子ちゃん」

「ハーイ」

「幽子ちゃん」

「は~い」

「犬男くん」

「ワン」

「ワンじゃなくて、ハイですよ。バケ猫ちゃん」

「はいニャン」

「ニャンは、いりませんよ。キツネくん」

「はい」

「河童くん」

「ハーイ、ここでゲロ」

「わかってます。カカシくん」

「ハーイ」

「傘バケくん」

「ハイハイ」

「ハイは、一度でいいのよ。カワウソくん」

「ハイ、いるジョ」

「いるのは、わかってます。ろくちゃん」

「は~い」

「首は、伸ばさなくていいからね。天使くん」

「ハイ」

「いいお返事ですね。アクマちゃん」

「ハ~イ」

「全員いますね。それじゃ、一時間目の授業を始めます」

 私は、妖怪学校の先生。私の可愛い子供たちは、みんな妖怪、バケモノ、

オバケ、幽霊です。でも、私は、この子たちが大好きです。私の大事な場所。

大事な教室。これからも、私は、この学校で子供たちの先生として、がんばっていきます。気持ちを改めて、今日も授業に入りました。

「では、一時間目は、国語です。ノートを開いて」

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