第3話 襲撃

 青白いLEDライトがカーゴ内を照らす。目の前に座るリンチは、絶え間なく膝を揺すっていて落ち着かない様子だった。吹雪は止む様子は見られない。分厚い装甲に囲まれていてもごうごうという吹雪の音が聞こえていた。

「この……装甲は大丈夫なのか?」

 膝を揺すっていたリンチが不安そうにアランを見た。アランが回答してもいいものか数秒迷っていると、助手席の方から陽気な声が響いた。

「安心しなよ。こいつはキャリバーの弾も弾き返すんだ。エールフランスのファーストクラスより安全だぜ?」

 ニコの言葉にもリンチはなお視線を不安げに彷徨わせていた。アランは見かねて声をかける。

「周辺道路は既に封鎖済みです。護送の情報もごく一部にしか知らされていません。ご安心を」

 それでも、彼はそわそわと身体を揺するのを止めない。傍らに座るミルズが表情を険しくした。

「何か心配事があるのか」

 腹の底に響く声にリンチがぶるりと一際身体を震わせる。震える唇が小さく動いた。

「か、カルテルは……必ず私に報復を仕掛けてくる。絶対に。あ、あんな悲惨な死に方なんかごめんだ……」

 カルテルは裏切りを決して許さない。裏切者には凄惨で残酷な死を与える。それはアランも嫌というほどに理解していた。手足を切断され性奴とされた女性。強酸のプールに生きたまま投げ入れられた子供。全てが、カルテルに反逆者のレッテルを貼られた構成員の家族の末路である。反逆者とされた当の本人は、家族が苦しむさまをまざまざと見せつけられてから殺されるのだ。到底、こんな残酷な事は人間の所業ではない。DEAとの共同捜査を経験してきたミルズは、教官時代にカルテルに関する知識を教えてくれた。

「我々の任務はお前を無事に送り届ける事。それだけだ」

 ミルズの静かだが毅然とした言葉に、リンチが黙った。アランは彼がかつて任務で仲間を失った事を知っていた。その高過ぎる代償に任務を完遂させた事も。

 【レオ】と呼ばれ始めたのもこの頃だ。犠牲を払ってでも任務を完遂させる非情な男だと噂は一人歩きしていた。

 だが、彼が毎年欠かさずに殉職した隊員の墓参りをしている事は、アラン含め直属の隊員数名しか知らない。

 風が鳴る音、エンジンの振動だけが無言の車内に響いている。リンチは未だそわそわと身体を揺らしていて、アランはそれをじっと見つめていた。

 その時、車体がガクンと大きく揺れた。リンチが「ひっ」と悲鳴を上げ、近くの手すりに縋り付いた。

「どうした」

 ミルズが運転席に声を掛ける。

「分かりません。後輪部分に何か引っかかっているようです」

 リズがミラーで後ろを確認しながら言った。

「俺が行きますよ。隊長」

「頼む。アラン。ニコのバックアップをしろ」

「了解」

 ニコが助手席から外へ出る。次いでアランもハッチを開けた。たちまち凄まじい風と雪が黒い装備に纏わりつく。ゴーグルを装着し、彼を探す。

「アラン。こっちだ」

 声の方へ向かうと、左後輪をライトで照らしながらしゃがみ込むニコを見つけた。「ニコラス、何かありましたか?」と聞くと、ニコはアランにライトを持つように言い、自身は後輪の裏側へ潜り込んだ。ニコの指示でライトを照らす。ややあって、ため息を吐きながらニコが這い出てきた。

「ダメだ。有刺鉄線が絡んでやがる。アラン、ワイヤーカッターを持ってきてくれ」

 恐らく、雪で倒れた有刺鉄柵が見えなかったのだろう。後ろには朽ちた杭が引きずられるように連なっていた。

「了解しました。こちらアラン。左後輪に廃棄されていた異物が絡まった模様」

 速やかにミルズとリズに連絡を取り、外側の収納部からワイヤーカッターを出した。ぶつぶつと文句を言っているニコにそれを手渡そうとした、時であった。

 吹雪とは違う、空気を切る様な鋭い音を聞いた気がした。

 次の瞬間、渡そうとしていたワイヤーカッターが手から吹き飛ばされ、強い痛みが走った。それと同時にニコが見えない何かに殴られたかのようにもんどりうって倒れた。

 冷たい汗が背中を伝った。手の痛みが現実を物語っていた。

「敵襲!」

 叫びながら装甲車の下へ転がり込む。荒い息と自分の鼓動が嫌に大きく響く。倒れたニコの方を見た。気を失っているようだが、微かに胸が上下している。右上腕部から出血が見られた。

 《アラン、どうした!》

 無線からミルズの声が聞こえた。

「狙撃です! 西側から狙撃を受けました! 詳細な方向は不明。ニコラスが負傷しました」

 《ニコの様子は》

「ここから視認できる範囲では命に別状はないようです」

 《よし、ニコを回収しろ。ここは市街地の為発砲は出来ないが、出来るだけバックアップする》

「了解」

 極度の緊張が、アランを襲う。吹雪はやみそうにない。何故、この視界不良の中でほぼ正確に狙撃できたのかという疑問がわき上がる。

 視線を巡らせる。どこかにスナイパーがいるはずだった。

 《アラン……》

 覚醒したらしいニコが、アランの方を見ていた。ざらざらと雑音を響かせた無線から聞こえる声は酷く弱弱しい。

「ニコラス! 喋らないで!」

 手振りを交えて彼に声をかける。

 《車底部に発煙筒があるはずだ……》

 ハッとして顔を上げる。すぐそばに赤い発煙筒が設置されていた。

 迷わずそれを取り、車体に叩きつけると、赤い光と煙が上がり始めた。

 あとは風だ。風上にそれを放る。うまく目隠しになってくれればいい。

 風向きが変わった。二人を、車を覆うように煙が流れてくる。アランはその煙の帯に隠れるように這い出ると、ニコを担ぎ上げカーゴのハッチを開けた。ヴン、という不気味な風切り音が聞こえ、すぐそばの雪が弾け飛んだ。

 渾身の力でニコを中に入れ、自分も転がり込む。ガン! という音と共に装甲がへこむのを見てぞっとした。

「出せ! 出せ!」

 ミルズが運転席に叫ぶ。エンジンがうなりを上げて急発進し、慌てて倒れたニコに被さった。衝撃が二人を襲う。ごろごろと床を転がり、止まった。

「ニコラス! 無事ですか!」

 アランが傍に倒れたニコを見た。ミルズが素早く抱き起し、装備を外すのをただ見ることしかできなかった。

「大丈夫だ。ニコ。右腕をかすっただけだ。今止血する。待ってろ」

 ミルズは落ち着かせるように腕の中のニコに声をかける。だが、それを見たリンチが震えながら喚き散らした。

「見ろ! 結局はこうなるんだ! カルテルからは絶対に逃げられない!」

「黙れ!」

 アランは思わず怒鳴っていた。煮えくり返りそうなほどに、腹が立っていた。この男以前に、仲間を守れなかった自分に対して。

 リンチがびくりと怯えた眼でこちらを見ていた。

「それ以上、何も言うな。アンタをぶん殴っても解決しない」

「よせ。アラン。任務に集中しろ。雑音は全て遮断しろ。貴様は何者だ」

 ミルズの厳しい声と視線に、アランは我に返った。

「すみません。隊長」

「お前は優秀だが、まだ若い。苦難を経験として吸収しろ。お前に足りないものだ」

「はい」

 厳かなミルズの言葉は、何よりも重い物だとアランは感じた。同時に、彼に己の命を預けてもいいとさえ思っていた。

「隊長」

 ヘルメットを外され、手当てを受けていたニコが蒼白な唇を小さく震わせた。

「おそらくアンチマテリアルライフルだ。かすっただけとはいえ、ひでえもんだ。こんな銃はそれしか考えらんねえ」

 傷を見る為に切り裂いた袖の下の肉はかなり抉れていたが骨まで達していないのが幸運だった。この吹雪の中、風圧の影響を最小限にとどめられる銃は数えるほどしかない。それも大口径かつ大型のライフル。

「リズ、ルートAからルートDへ変更。出来るだけ地下や遮蔽物の多い場所を通れ」

 ミルズが運転席のリズに下知したが、リズは戸惑ったような声を上げた。

「ですがそれだと奇襲のリスクが……」

「命令だ。事は一刻を争う。お前にしかできん。頼む。リズ」

 リズは息を飲むように押し黙った後「了解」と答えた。彼女はミルズの意図を汲み取ったのだろう。ハンドルを切り、車線を変更したようであった。外が見えない以上、アランにもどのルートを通るのかは解らない。ガタガタとした振動からあまり舗装されていない道だという事は感じられた。

 ガン、ガン! という音と共に車体の装甲がへこむ。大口径のライフルを並走しながら撃っているのか。そうだとしたら正気の沙汰では無い。

 リンチはカーゴの隅で身体を小さくして震えていた。邪魔にならなければそれでいい。彼にはもう暫く隅で震えていてもらおう。

 メディカルキットから医療用ステープラと絆創膏、包帯を取り出し、血塗れのニコの腕を取り清浄綿で拭う。

「少し痛みますよ」

「痛いのは趣味じゃないんだけどな痛ぇ!! もっと優しくやってくれよルーキー!」

「それだけ騒げれば大丈夫ですね」

 包帯を巻きながら、アランはそっけなく言った。

「平気か、ニコ」

 小さな覗き窓から周囲を警戒していたミルズが声をかけた。

「ええ。何とか。ですが利き腕をやられました」

「無理はするな。だが、配達先まで辛抱してもらうようになる」

「勿論です」

「アラン、ニコの代わりはお前が務めろ」

「了解」

「俺の相棒だからな。女を扱うように優しく扱ってくれよ」

「わかってます」

 ニコからレミントンM700を受け取る。スナイピングの成績は彼ほどではないが、アランは同期の中では抜きんでていた。

「ですが隊長、この悪天候のなか、あそこまで正確に狙撃できたのが俺には引っかかるんですよ」

 傷の痛みに顔を少し歪めながら腰を下ろしたニコが言った。アランも同意見だ。この護送は三チームに分かれて計画されている。無線は全てスクランブルがかけられ、本物のパッケージは隊員達にも直前までどの車両に運ばれるか知らされていない。極秘中の極秘作戦であった。

 その情報が漏洩したと言うなれば、考えられることは一つ。

「信じたくない事だが、こちら側に内通者がいる可能性がある。この任務の性質を考えればな」

 確かにそうだ。だが、内通者がいるとなれば、かなり深層部にカルテルの毒が染み込んでいるという事になる。アランは唇をかみしめた。

「悔しい気持ちは解る。だが切り替えろ。我々は任務を遂行し、生きて帰還せねばならん」

 その通りだった。ミルズの言葉に己の未熟さを思い知らされた。

「申し訳ありません」

「貴様は優秀だ。だが、前だけ見るな。あらゆる真実を疑え。牙を突き立てる相手を見誤るな」

「はい」

 訓練校時代に刷り込まれた言葉だ。我々は軍人ではない分、敵を見誤ってはならない。虚構を見極めろ。真実と事実は違う。

 その引き金を引くのは貴様自身の決断だ。

 車両は市街地を抜け、地下高速道路へ入った。大手自動車会社のCEOの肝入りで始まったその事業は、二〇一八年の初めにロサンゼルスにて初めての地下高速道路が開通してから今やアメリカ全土の動脈となっている。

 今日は悪天候の為、全面通行止めとなっている。一般車両がいないだけかなりマシだったし、吹雪から解放されはしたが、また別の不安要素がある。待ち伏せ、奇襲だ。

 高さ五メートル、幅は二車線。路肩の幅員は二メートル弱。かなり狭い。

 一定の距離に設置されている分離帯の柱が不気味な風切り音を発していた。嫌な予感が、アランの脳裏によぎった。

 腹の底に響き渡る様な轟音が車内に響き、アランの脳を揺さぶった。

 後部の窓を開け、後ろを見る。灰色の煙が視界を覆う。煙の帳から真っ黒な大型四輪駆動車が現れた。

「クソ! 敵襲だ!」

 ロケット弾が高い音を立ててこちらに飛んでくる。運転席のリズが盛大な悪態をついて車両を大きく横に揺らした。

 ズドン、という地響きと共にアランとニコ、そしてリンチの、ミルズの身体が壁に叩きつけられた。

「ロケットランチャーだと!? 奴らは何て物を持ってやがるんだ!」

 リズが吐き捨てながらステアリングを切る。

 アランは後部の窓に張り付いて様子を見た。煙がそこかしこから上がっている。濛々と上がる煙から飛び出すように、黒いジープとピックアップトラックが猛然と追ってきていた。ガラスは全面がスモークが貼られていて中は一切見えない。

「二台います! 一台は六時、もう一台は対向に!」

 アランは確認出来る限りの情報を報告した。

「何故こちらの動きがわかる! クソ!」

「隊長!」

 リズがミルズを見る。アランも彼を見つめた。

「現場指揮官の判断において交戦を許可する。各員、戦闘に備えろ」

 圧倒的に不利な局面だという事は、各々分かり切っていた。アランは手にしていたM16のグリップを強く握りしめた。

「ニコ、ショットガンは使えるか」

「ちょっと、無理ですね……グロックなら何とか……」

「判った。お前はシールドでパッケージを守れ。リズ、合図したら急ブレーキをかけろ。俺とアランで奴らの相手をする」

「了解」

 三人が異口同音に言った。質問は無い。この状況においても全員がミルズを信頼している証拠であった。

「き、君達正気か!? 私は大事な証人だぞ!? 私に何かあったらどうしてくれるふがが」

 何やら喚いているリンチにミルズが黙れ、と落ちていたぼろ布を口に突っ込んだのを見てアランは少し緊張がほぐれた気がした。

 RPG7は通常一発で装填が必要になる。時間がかかっているのを見ると、使い慣れていない可能性もある。

 ライオットシールドを手に戦闘の準備をする。防弾性には優れているが、どれだけ持つかは分からない。ミルズがカーゴの扉のレバーに手をかけた。

「スリーカウントで俺がハッチを開ける。お前はひたすら撃て。いいな」

「はい」

「全員で生きて帰る。必ずだ」

 いつか、この人のように自分もなれるだろうか。この極限の状況の中、アランは思った。

「スリー、ツー、ワン……撃て!」

 バン! と勢いよくハッチが開く音と共に轟々と風が吹き込む。その音に負けないくらい、アランのM16の銃声が響き渡る。マズルフラッシュが暗い車内に映写機の光のように瞬いた。

 予想外の反撃にジープが横にふらついた。アランは運転席を狙って銃撃し、ミルズも共に応戦を始めた。

 敵の車両からもサブマシンガンの銃撃が襲う。だが、パワーウインドウを少し下げ、手だけを出した状態では命中精度は著しく低い。

 アランはニコに借りたレミントンを構えた。ライオットシールドにレミントンのバレルを乗せ、スコープを覗く。いくら防弾のフロントガラスだとしても、M16の銃弾を集中して同じ場所にぶち込めば、普通のガラスと同じだ。弾を打ち込んだ場所が白く罅が入っている。丁度、運転手がいる位置。そこを狙い、引き金を引いた。一発。二発。三発。レミントンの重い反動が肩にずしりと来た。

 四発目を撃とうと狙っていた時、ジープがおかしな挙動を始め、中央分離帯に猛スピードで激突した。

「やったな!」

 ミルズが声を上げた。

 もう一台いるはずだ。だが、ここからは見当たらない。

「左よ! もう一台いる!」

 リズの声に二人が素早く反応する。

 見ると、左の対向車線を並走していたピックアップトラックの荷台に人影が見えた。肩に担いだ長い筒状の物をこちらに向けている。「RPG!」とミルズの怒鳴り声が響き、トラックからエアコンプレッサの空気が抜ける音が聞こえたかと思ったら、アランの視界が爆発音、そして激しい衝撃と共にぐるりと回った。

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