第52話 分断と焦燥

 シオンとシルフィーネは空気を体で切り裂きながら、迫りくる奇獣兵から騎兵と共に逃げていた。少し前まではフィオナによって食い止められていたが、膨大な数なので次第に以前と変わらぬ様子で追いかけてくる。


 奇獣兵に殺されたのか、一般兵士の姿はない。魔術師と騎兵だけが奇獣兵から逃げることが出来ていた。


「……」


 殿として残ったフォルスとフィオナのことを心配しながら、シオンは無属性魔術の『探査』を発動し続けて広範囲を警戒する。このまま追いかけてくるのが奇獣兵だけなら問題ないが、何か他もいたら危険だ。


 隣にはシルフィーネがいる。警戒しすぎて損することは無い。砂埃が後方で舞い上がり、地響きが空気に伝わる。後ろの様子を見て、シオンは奇獣兵の体力は無限なのかと勘繰ってしまった。


 流石に生物である以上、体力が無限なわけがない。だが、速度が遅くなっているようなことは一切ないように見える。魔術師であれば大丈夫かもしれないが、騎兵にとっては重要だ。


 なぜなら、騎兵は馬に乗っている。その馬の体力が無くなったら必然的に騎兵は動けなくなってしまうからだ。魔術によって馬の身体能力を引き上げてるとは言え、騎士の魔力が底を突いたらお終いなのだった。


「どのぐらの数だ…?」


 ポツリと呟いて、シオンは迫りくる奇獣兵の数を数える。もちろん正確な数を数えられるわけがないので、概算に過ぎない。


 魔力を目に集中させて、瞳を動かして頭の中で刻んでいく。十、五十、百、二百…それ以上いるのは確実だ。


「ざっと…千…?」


 元がどのくらいいたか分からないが、千という数は多すぎる。騎士一人で奇獣兵一体、魔術師一人で奇獣兵三体。もちろん、騎士と魔術師が連携すればそれ以上の数を一斉に相手することは可能だ。


 それに、こちらには魔術師が八百、騎兵が四百もいる。だから多いとはいえ、勢いだけ何とかすれば奇獣兵を相手に打ち勝つことが出来るかもしれない。


 希望が湧き上がるのを覚えながら、シオンは思考する。最優先はシルフィーネの安全、次点でこの場にいる味方の安全。最後に自分の安全だ。


 思い上がりではなく、シルフィーネを一番守れるのは自分だとシオンは思っていた。だから、シルフィーネを誰かに任せて自分が奇獣兵を食い止める、ということはあまりやりたくない。


 仮にこの場にフィオナやフォルスといった、信用が出来て自分と同等以上の実力がある人がいるのならば安心して任せられる。だが、残念なことにそのような人はこの場にいなかった。


 シオンは隣を並走しているシルフィーネに目を向ける。横顔しか見えないが、不安そうで緊張している様子だった。


「シルフィーネ」


「……?」


 名を呼ばれ、シルフィーネは不思議そうにシオンに顔を向ける。いつもの勝気な様子は鳴りを潜め、年相応の表情をしていた。


「このままだと騎兵が限界を迎える。だからどこかで反撃に出たい」


 思考をそのまま口から垂れ流していく。


「けど最優先なのは君の安全だ。だから俺は君の傍にいる必要がある」


「…私なら大丈夫よ。あなたに守られるほど弱くないわ」


 虚勢か強がりか分からないが、シオンの言葉にシルフィーネは異を唱える。そんなシルフィーネにシオンは肩をすくませた。


「弱くはないのは分かってる。けど…念のためだよ。あの化け物以外の敵が現れた時のね」


「……」


 奇獣兵も危険だが、まだ対処できる。なぜなら、何が危険か、どのような相手なのかということが分かっているからだ。


 それよりも、まだ姿を現していない敵の方を警戒しなければいけない。これで大したことがない相手なら笑い話にできる。しかし、仮にシルフィーネの安全を妥協して、強大な敵が現れたら取り返しがつかなくなってしまう。


 起こりうる確率が低かったとしても、少しでも可能性があるのならば気を付けなければいけない。常に可能性を考慮して、常に警戒する。何が起こるか分からない現状において、当り前のことだった。


「さて…どうしようか」


 どの選択肢でもそれぞれ異なる危険性がある。何を取り、何を捨てるのか。シオンは決断しなければならない。膨大な数の可能性を脳裏に浮かべ、その可能性を選択した時の未来を想像する。


「よし…シルフィーネ。これから縦深防御をする」


「縦深防御?」


「うん。縦深防御…つまり、逃げながら敵に攻撃して化け物の前進を遅らせるっていうことをする」


 様々な懸念を考えた結果、妥協案として思いついたのが縦深防御だ。ただ、今回の場合は敵が奇獣兵なので異なる点はある。しかし、やり方を少し変えればいいだけなので難しくなかった。


「基本的には魔術師が上空から攻撃して化け物の前進を妨害。騎兵は…化け物と地上戦をするには不利だから放置かな」


「シオンはどうするのよ」


「俺は最後尾で魔術を放ち続けるよ。もちろんシルフィーネもやってくれるよね?」


「もちろん。やらないわけがないわ!」


 頼もしくシルフィーネは答える。


「流石。じゃあとりあえ―――――」


 


「こんにちはー」


「―――っ⁉」


 突如虚空から現れた男が挨拶と同時に回し蹴りをシオンに放った。あまりにも突然の事で、シオンは反応できずに吹き飛ばされてしまう。


「シオンっ!」


 シルフィーネが顔に焦りを浮かべて叫ぶ。そして、シオンを蹴り飛ばした男に向かって魔術を放とうとする。しかし、轟轟と燃え盛る爆炎が遠くから向かってくるのを見て、防御に切り替えた。


 シオンは奇獣兵の波に飲まれ、シルフィーネは一人残される。それでも何とか冷静さを保つシオンだったが、視界の端に映った二人の男を認識して顔色を変えた。


「まずい…!」


 一人は以前、奇襲を仕掛けてきた謎の男。もう一人は見たことがない魔術師。おそらく帝国の魔術師だろう。


 だが、問題はそこじゃない。自分に奇獣兵と帝国の魔術師が殺到してくることが問題でもない。問題なのは、シルフィーネへ向かって行った帝国の魔術師だった。


 一言でいえば、強い。内包する魔力の量と密度、どれも他の魔術師とは隔絶している。シオンは今の自分の実力は六星にも届くかもしれないと思っていた。実際、かなり正確な認識だ。


 だが、そんなシオンから見てもあの魔術師は強いと感じる。全力で戦っても勝率は七割もいかない。更には、姿を消す男もいる。シルフィーネも十分な実力者だが、あの二人には敵わない。


「くそっ…邪魔っ!」


 ワラワラと群がってくる奇獣兵を氷漬けにする。魔術を放ってくる帝国魔術師を氷槍で撃ち落とす。しかし、終わりが見えない。脱出してシルフィーネの元へ駆け付けようとしても、奇獣兵と帝国魔術師によって妨害される。


 こんなに焦るのは初めてかもしれない。今まではどこか他人事で、誰かが危険な目に陥っても一定の余裕があった。


「シルフィーネ…!」


 九百を超える奇獣兵と二桁の帝国魔術師。限りなく死地に立っているシオンはシルフィーネの事を心配する。自分のことなどどうでもいい。


 荒れる呼吸、沸き立つ焦燥。

 いつもは凪いでいる思考の海が荒れている。


 遠くで昇る炎柱を横目に、シオンは拳を握り奥歯を嚙み締めた。

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