第9話 蘇る記憶

 声は押し殺したままメイが続ける。

「美田園さんが財布がないって言い出した。委員長、あなたが彼女の親友ならまずどうする?」

 問われて、なごみは少し考えた。

「まずは……一緒にお財布を探すかな」

「それが普通でしょ。じゃあ、原田さんはあのときどうしたか覚えてる?」

「美羽はあのときは確か——、あっ、円香にお説教してた。なんであなたっていつもそう、って感じで」

 暗闇で、ふふっとメイが笑った気がした。

「そう。あのとき原田さんは美田園さんの財布の行方を全然気にしていなかったのよ。お説教するにしても、普通はまずは一緒に探しながら言うよね。でも原田さんはそうしなかった」

 今日は月が出ている。職員室の窓にかかったシャッターの隙間から月明かりが筋となってメイの横顔を照らしている。

「なぜ——だろう」

 なごみには今ひとつピンとこなかった。

「簡単な話。あのとき美田園さんのお財布は原田さんが持っていたからよ」

 メイがなごみの方を「わかる?」という顔でチラリと見た。

「ちょっと待ってよ。じゃあやっぱり美羽が円香の財布を盗ったって、あなたはそう言いたいの?」

 なごみはメイを睨んだ。だが、月明かりに反射したメイの目は笑っていた。

「だからあ。私は事件なんかなかったって言ったじゃん。忘れたの?」

 呆れたようにメイが小さくため息をついた。

「あのとき原田さんは、何回注意しても、いつも大事なものでも出しっぱなしにしてる美田園さんにわかってもらおうとして、お財布を隠したんだと思う。多分、原田さんのポッケの中にね。だから、一緒に探そうとさえしなかった。すぐに返すつもりだったからね」

 ああ、そういうことか。

「じゃあ、なんで美羽はすぐに——」

「そう。すぐに返そうとしてたのに、それができなくなった」

「できなくなった理由……」

 ——ねえ、円香のお財布がなくなったんだって

 突然、多田愛美の声がなごみの頭の中でリフレインした。

「あっ、愛美が大声で言い出して、大騒ぎになったんだ」

 そうだ。そうだった。愛美が言わなかったら、おそらく円香は騒いだりする子じゃない。

 メイが大きく頷いた。

「そう。なかなか記憶力がいいわね。しかもその後すぐ先生まで呼んできて、そんな雰囲気の中で原田さんは言い出しづらくなったんじゃないかな」

 あのときの先生の嫌な顔を思い出した。

「そうそう。先生もいきなりあんな言い方しなくたっていいのに、クラス全員が容疑者だあとか追い込むんだもん。そっか、だから美羽の様子がおかしかったんだ」

 なごみは学校や喫茶店での美羽を思い浮かべた。

「だいたいさ、美田園さんのあの財布に小さい硬貨しか入ってないことなんか、原田さんはよく知ってるでしょ。もしよしんば原田さんが本当にお金が欲しいのなら、原田さんなら美田園さんのリュックにある《お金の入った》お財布の方を狙うでしょうね」

 美羽と円香は二人はいろいろなものをシェアするほど仲がいい間柄だ。相手のリュックに何が入ってるかぐらい知っているだろう。

「だったら、なんで美羽は夜に職員室なんかに行ったんだろう」

 そして、ふとそれが気になった。

「原田さんは返しに行ったのよ、美田園さんのお財布を」

「えっ、円香にじゃなくて、職員室に返しに行ったってこと?」

「うん。普通には返しづらくなった原田さんは、担任の上田先生の机に返そうと思った——」

「上田先生の机に置こうってしてたってこと?」

 わざわざ夜に行ったのは、そういうことか。

「たぶん、今となってはどんな形でも、美田園さんに財布が返ればとりあえずこの件は終われるって考えたんだと思う」

「そっか。確かにね。誰が返したかはわからないけど、円香のお財布が返ってくれば、被害者はいなくなる。それで一件落着ってことか」

 美羽なりに、色々悩んだんだろうな。ちゃんと相談にのってあげれればよかったけど、あのときはそんな雰囲気じゃなかったか。


「でも、そこを上田先生に見つかってしまった」

 メイがボソッと言った。

 誰もいなくなった職員室で、明かりをつけると盗まれたはずの財布を手にした美羽の姿を想像すると、確かに言い逃れは難しいかもしれない。

「美羽は、上田先生には理由をちゃんと話さなかったのかな」

「まあ、上田先生はああいう人だから、原田さんが本当のことを話しても聞く耳を持ってくれたかどうかは、はなはだ疑問ね。しかも——」


 月明かりしかない薄暗い校舎のどこかで、カタリ、カタリとどこかで音がした。風などではない。間違いなく人為的な音が月明かりだけの暗闇に微かに響いた。職員室の扉を少しずつ開ける音だと思われた。

 メイが話をやめた。

 ——来た

 メイがなごみの耳元で囁いた。なごみも体を低くして身構えた。

 衝立の隙間からそっと入り口を伺うと、人影が腰を落としながら職員室に入ってくるのがわかった。そして、ゆっくりと職員室の真ん中付近で止まった。

 なごみは手のひらがぐっしょりと汗濡れていた。

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