第2話 教室は大騒ぎ
「あれえ?」
その全く緊張感のない素っ頓狂な声がしたのは、体育の授業前のことだ。声の主は、
「どうしたの?」
なごみが円香に声を掛けた。
「えっとね、お財布がないの」
そう言いながら、円香はまるでナマケモノのようなスピードで机の中やバッグの中を探っている。
「いつから?」
「ん——、体操着に着替えてね。トイレ行って帰ってきたら——ないの。机の上に置いたんだけどなあ。どうしよう」
相変わらず緊迫感がない。
「ほらまたあ。円香はいっつもそうやって、なんもかんも机の上に放り出してるからだよ」そう言ったのは、円香の後ろの席で、円香の親友の
美羽に叱られて、円香がシュンとなった。
「だってさ、教室だしさ。体育の前にトイレも早く行きたいしさ……」
「だってじゃありません。お金だよ? 教室だからって、そこらに放置してたらダメに決まってるじゃん」
これではまるで、子どもを叱っている母親のようだ。
その時、なごみの前の席の家頭メイがチラリと振り返ってクスリと笑った。いつも教室で一人でいる彼女も、さりげなく聞いていたようだ。
「で?」両手を腰に置いて、美羽がいう。「いくら入ってたのよ」
「300円」と円香の消え入りそうな小さな声。
「お昼のパン代?」
「うん。コインを入れる方のやつよ。普通の財布はちゃんと……」
と、そこまで言ってから不安になったのか、慌ててリュックの底を探し始めた。やがてピンクのキティちゃん柄の財布を取り出し、「あった」と自慢げに円が笑って言った。
それでも、財布がないのは事実だ。
「どこかにしまってるってことは?」
なごみがそう聞くと、円香が「うーん」と首を傾げて考えている。
「体育が終わったら、あとで一緒に探してあげるよ」
美羽がそう言ったとき、話を聞いたのだろう、円香の前に座っているクラスメートの
「ねえ、円香のお財布がなくなったんだって。誰かに取られたらしいよ」
その声が発端となって、みんなが円香の周りに集まってきて、やがて教室は大騒ぎとなった。
「いや、でも300円だし、出てくるかもしれないし——」
円香はあまり騒ぎにはしたくなかったらしく、みんなを止めようとしたが時はすでに遅し。誰かが担任にまで報告に行ったようで、あわてて担任の上田まで駆けつけてしまい、もう後戻りはできそうにない。全員着替えが終わっていたが、おかげで体育の授業は取りやめとなった。
しばらくクラス全員で円香の財布を探したが、結局見つからなかった。
「村都、何か見なかったか」
上田先生は生徒たちをとりあえず自席に座らせて、最初になごみに聞いた。
担任の上田先生は去年の4月に転勤してきた体育の先生で、腕は丸太のように太く、胸板も厚いため威圧感がすごい。この学校で上田先生に注意をされて口答えする生徒をなごみは見たことがない。
「いえ、特には……」
なごみは学級委員長なので、上田先生も最初に聞いたのだろう。円香とは確かに隣の席ではあるが、体操着に着替えをしていたので隣の円香の席にまでは特に注意を払っていなかった。
上田先生は、なごみの返事に小さく頷く。
「いいか。他人のお金に手をつけるなど絶対にあってはいけないんだ。俺は必ず犯人を見つける。だから自分ですと名乗り出るなら今のうちだぞ」
生徒たち一人一人をジロリと睨みつけるように教室中を見回した。至極当然というか、そんな高圧的な言われ方をされて、「はい、すみません」とこの場で名乗り出るものはいないだろう。ましてや、まだ円香がしまった場所を忘れたのかもしれないのだ。盗まれたと決まったわけじゃない。なごみは先生の決めつけるような言葉に少し嫌な気持ちになった。
だが、上田先生はわざとらしく大きくため息をついた。
「なんだ、やっぱり
「あっ、あの……、たった300円なので、その、は、犯人とか……」
突然話を振られた円香が消え入りそうな声で答える。
「いや。こんなことは金額じゃない」上田先生が大きく首を振る。「たった300円とか考えるやつは、平気で万引きもするやつだ。もう一度言う。いいか、先生はこんなことは絶対に許さないからな」
鬼のような形相で上田先生はもう一度全員を見回す。クラス全員がすっかり萎縮してしまい、授業時間が終了するまで、もう誰も口を開くものもいなくなった。
なごみは、決めつけるような先生の様子になんとなく理不尽な思いで教室を見回すと、円香の後ろに座っている美羽が、妙に青ざめたような固い表情でジッと机を見つめて身じろぎもせずに座っているのが見えた。
日頃はとても朗らかな美羽の様子が妙に違和感がある。
——美羽?
そう声を掛けようと思ったが、今は喋れる雰囲気ではなさそうで——
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