偶像と聖典
神崎由紀都
現代クーデター合理論
【私はこの本を憎む。心の底からこの本を憎む。この本は名声、世間が名声と呼ぶくだらぬものを私に与えたが、同時にまた、この本こそ私のあらゆる不幸の原因だったのである】マラパルテ『クーデターの技術』
これまで私は、情念とか理想と言ったものを取り上げてきた。特に「三島文学の『超国家主義』」は、多分に「文学的言語で書かれ(三島由紀夫『文化防衛論』あとがき)」たものである。
三島を語るに際して(それがすべてではないが)二・二六事件を外すことはできない。三島が二・二六事件に連座した青年将校たちの、その情念に注目したのに対し、その精神的指導者たる北一輝は、軍を中心とした権力の奪取を構想していた。階級対立による国家分裂の危機に対応せんとする思想として、また混迷の時代に救国のエリートとしての自覚を得た青年将校たちの精神的支えとして、北は『国体論及び純正社会主義』(一九〇六)と『日本改造法案原理大綱(後「日本改造法案大綱」に改題)』(一九二六)を示した。
『国体論及び純正社会主義』において、この隻眼の〈魔王〉は、社会進化の末に
来るべき新国家構想から高天原的天皇も、本来立脚すべき天皇機関説すら締め出してしまう。天皇は国家という至高の人格の一職分として存在し、国民は自己の能力を総動員して、国家全体に奉仕する。それは民衆の素朴な共同体意識に食い込み、そして明治国家体制が自己存在の正当化のために作り上げた「教育勅語」――天皇を家長とする家族共同体国家に対する挑戦であった。また中国革命の渦中、次第に激しさを増す排日運動に直面、再びその情熱を日本に向けた『日本改造法案大綱』は、天皇大権の発動によって憲法を停止、戒厳令を敷き、国家改造――普通選挙の確立と生産手段の国有化、私有財産の制限等を、国家改造会議と呼ばれる臨時政権下の三年の間にドラスティックに推し進めようとする。国家改造の工程を展開してゆくこの書物の姿は、〈魔王〉北の義理に外れた行為を難詰した〈スサノヲ〉こと大川周明が「義理人情で革命をするんだ」としたのに対して、「義理人情に拘泥して革命ができるか」と、自らその立場を肯定した点にも表れていよう。
北の著作が権力奪取と、来るべき新国家のための国民と天皇の社会的進化(類神人)の工程に己が情熱を注いでいたのに対して、青年将校らは大御心を待つ「癒しがたい楽天主義(「道義的革命の論理」)」と「道義的革命(前掲書)」を求めていたのと合わせても、これは対照的である。北はマキャベリスティックに、一方で青年将校たちはエロティックに天皇というものに接近しようとしたのだ。とは言うものの、その北と弟子の西田税にも、対する青年将校たちにも、当たり前のように濃淡があることは否めないのであるが。
現状の変革に理想や情念は必要だ。なによりもクーデターや革命は、その当事者たちが情熱を持ち、その火を絶やしてはならない。しかし情念や理想で蜂起したのはいいが、それだけでは反動的マキャベリズムに敗北してしまう。ドイツにおいてであればナチ突撃隊を国軍に昇華せしめんと、「第二革命」を叫んだ突撃隊のエルンスト・レームらが、資本家と妥協し、自らの権力強化を謀ったヒトラーの〈長いナイフ〉の前に倒れた。彼らはそれぞれ「目的は手段を正当化する」あのマキャベリズムの前に、時宜を得たように倒れたのである。
待っていてはだめなのだ。ここで一時的に三島由紀夫に話を戻し、もしそれが三島由紀夫を射程に入れて撃つことなのだとしたら、三島が青年将校たちの「癒しがたい楽天主義」を発見して、また自らもそれを実行した三島の〈戦闘的マゾヒズム〉は、結果として三島由紀夫の自決という断崖に到達した。三島はとにかく断崖にまでわれわれを連れ出した。
しかし今後滝田修のいったような第二第三の三島は必要ない。なぜならわれわれを全くひらけた断崖に連れ出すことが三島の役目であり、ひらけた幾分荒々しい風景に残されたわれわれの課題であるから。われわれの行動は三島の最後のように〈戦闘的マゾヒズム〉によってよしとされるものではなくして、社会的進化の末に、来るべき新国家の建設を臨むことである。われわれは三島の行動を凝視しつつも、まさに「シーザーを理解するためにシーザーになる必要はない」のだ。そしてマキャベリズムと対等に、いや相手のマキャベリズムすらねじ伏せてしまうためには、見られるものとしての〈戦闘的マゾヒズム〉を己が中核にあることを自覚しつつ、それでいながら軍事的マキャベリズム的に計画を実行するしかない。
そのような青年将校やエルンストらの、あるいは三島が見い出し・実行した「情念」に対し、クーデターを技法の問題として解剖したのが、イタリアの作家クルチィオ・マラパルテ(一八九八~一九五七)である。
マラパルテは一九二二年、ムッソリーニ率いる国家ファシスト党のローマ進軍に参加、その後もファシスト党員として活動する。しかし、しだいにムッソリーニやヒトラーに対して批判的な言辞を展開し、一九三一年、フランスにて『クーデターの技術』を出版。三三年にはファシスト党を除名処分。リパリ島へ流刑となる。
翌三二年、『クーデターの技術』は、邦訳としては木下半冶訳により改造社から『近世クーデター史論』として出版された。同書は当時国家改造を訴える青年将校・民間右翼にも影響を与えたという。 そして一九三六年、日本では二・二六事件が勃発する。
本書において、マラパルテはファシストの戦術とボリシェヴィキの戦術に共通項があることを提示した。故に、本書はファシスト・イタリア、ナチス・ドイツそしてソヴィエト・ロシアによって、それぞれの理由から発禁処分とされる。一方は「反ファシズムの書物」として。そしてもう一方は「反共産主義の書物」として危険視されたのだ。その扇情的な題名がさまざまな誤解を生んだことが、本書の四十八年版序文に垣間見ることができる。
この本の運命はなんと奇妙なものであったことか。全体主義の政府のもとでは、《完全なる革命家のマニュアル》とみなされて発禁となり、自由で民主的な政府のもとでは、まさに暴力的に国家権力を奪取するためのマニュアルとしてブラック・リストにのせられた。
だがけっして、本書を読めばそれだけではないことはわかってくる。本文冒頭からマラパルテはこう記している。
私の課題は、いかにして現代の国家権力を奪取し、またいかにしてそれを防御するかについて述べることである。……本書で扱うテーマは、あまりにも現代的なもの――言い換えれば、少しもマキャベリ的でないもの――だからである。
実際ほとんど読まれないままに――あるいは誤読されたままに、危険書物としてその烙印を押されたのだろう。単なる反共的書物として寓され、見栄っ張りな人々にページを開いてもらうことすらなく書棚に封印された、あのジョージ・オーウェルの『1984年』の運命のように。と、言って思い煩っても栓のないことである。なによりも先に進むのが務めというものである。
国家の問題を革命という領域で提起している諸政党がある。それは極右、極左の政党、つまり《カティリナ派》、すなわち、ファシストとコミュニストである。
本書でマラパルテはファシストとコミュニストを、その目的へといたる方法が通底するという意味で《カティリナ派》と名づけている。《カティリナ派》はローマ共和政末葉において執政官(コンスル)になること叶わず、直接行動によって野望を成就せんとした政治家カティリナに由来し、非合法的手段によって権力奪取を図る言葉として、ここでは揶揄的に用いられる。
レーニンの戦略ではなく、トロツキーの戦術にこそ注意を払わなければならない、とマラパルテは言う。なぜならレーニンの戦略は一九一七年のロシアと言う国内状況を差し引いては考えることができないのに比べ、トロツキーの戦術は、国内の諸条件や時代に一切左右されることがないからだ。レーニンが大衆を動員した革命を唱えたのに対し、トロツキーは冷静果敢な蜂起戦術にたけた小部隊があればそれで十分だ、とする。
共産主義にとってトロツキーは禍々しい存在である。
権力奪取のために何を準備し、何をなすべきか。
トロツキーの戦術としては、まず専門家を含む秘密攻撃部隊を組織しなければならない。そしてその部隊は、権力機構に精通した蜂起専門家というべき人間の指揮の下、武装した分隊により構成される。またその武装した秘密攻撃部隊の攻撃対象は、国家の神経組織――つまり発電所、鉄道、通信・電話、港湾、ガス、水道――である。
さて、ボリシェヴィキがこうして権力を奪取したのに対し、ファシストたちも一九二二年にそれを実行した。そして特筆すべきは同年十一月のローマ進軍ではなく、同年八月に起こった社会党主導のストライキをファシストたちが鎮圧した事だ、とマラパルテは分析する。
ムッソリーニ率いるイタリア戦闘者ファッシは、議会で三五議席を得てファシスト党(全国ファシスタ党)に改組。黒シャツ隊は政府軍に代わって同年八月、社会党主導のゼネラル・ストライキを鎮圧した。スト破りばかりではなく、このゼネスト中ファショ系労働組合員はストライキに参加した従業員に代わって交通機関の運行を継続、ミラノ市庁を含む社会党系市庁を占拠した。国家の神経組織を、破壊するばかりではなく自分たちの手中に収めていったのだ。
すでに先進国や経済大国という古い外皮がダブついた後進国家に後退しつつある日本において、クーデターは過去のものではなく、リアルタイムで且つ現実的な手段となりつつある――と言えば、多くのものが苦笑か冷笑を浮かべるであろう。なぜなら彼らは未だに日本と言う国が先進国である空想の中にいるからである。そして実態はあらゆる利権に骨抜きにされた無脊椎動物である。そして実体を知らないものは淘汰される運命にある。豚は檻に入れて飼うものである。
「暴力は罷りならん」とする風潮は、確かにひとつの態度ではあるけれど、まさに現在の状況が「暴力は罷りならん」とする議会制民主主義の制度下に醸成された結果であることを捨象してはならない。暴力なしで、いわゆる対話なるものが蔓延し、お茶を濁しているのが現状だ。いや、そもそも対話は成立していない。そして「暴力は罷りならん」としながら、国家の暴力装置は常に国民をその射程に入れている、ということを知らない筈はない。そして政治家は暗殺なしには弛緩したゴムのように緊張感もなく、その場しのぎの社民的改革に終始するしかなくなる。すべては自分たちの延命措置のために。
ここでルーマニアの思想家エミールシオランの言葉を引用しよう。
政治の誘惑に屈するまいとすれば、絶え間なく自分を監視していなければならない。どうしてそんなことができるだろう。わけても、猫も杓子も権力をめざすことができ、自分の野心に存分に羽を伸ばさせることができるという、致命的な悪弊を持つ民主制においては至難のわざである。だからそこには、ほら吹きどもがうじゃうじゃ群れ、おのれの星を持たぬ議論屋が繁殖する。(『歴史とユートピア』)
民主制(デモクラティア)は腐敗に向かって飛び立つ。
ソマリアにおける自衛隊の活動日誌の破棄や賃金構造基本統計調査の改ざん等、これらは永田町に位置する、あのシンメトリーの荘厳な国会議事堂の中で、形成されたのである。情報をかく乱する政府は国民に対して情報戦を仕掛けている。しかもあまりに稚拙な情報戦である。しかし稚拙ゆえに、それは「ナチスよりひどい」国民の敵 であり、政府は国民対国家の戦争における国民の交戦相手であるのだ。そしてそのような政府は、敵として暴力的に破壊される。論理的に似通った者も、やはり暴力的に破壊されるほかはないのだ。
戦後民族派右翼の思想の中には「クーデター合理論」と言う政治思想がある。一九六〇年一月小島玄之が論文として発表したものである。論文の内容は、同時代中に提出された「民族正当防衛論」とともに、「国家・民族の危機を救うためには実力行使もやむを得なし」として、クーデターや非合法手段を正当化するものである。
いちじの出血をおそれ、いかなる病状にも、外科手術を施すことに反対し、内服薬だけに頼ろうとするのは、健康体への回復、長い生命の維持という観点から、正しいといえない。
軍隊が革命化しなければ革命は成功しない。しかも軍隊は革命化する最後の存在だ(丸山眞男)
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