第11話


 眠りから覚めると、トウコは既に着替えを終えていた。


「おはよう、ツムギさん。よく眠れた?」


「……うん」


 よく眠れる訳がない。逃亡生活の最中だし、昨夜はあんな事を考えてしまったから。


 けれども、一眠りしたことで少しは精神的にも体力的にも回復したようだ。身体は軽く、思考もしっかりしている。


「ちょっとシャワー浴びてくる」


「分かったわ。チェックアウトの時間が違いみたいだから、早めにお願いね」


 トウコの忠告を背に受け、私はバスルームに向かう。床が濡れているということは、トウコも朝シャワーを浴びたのだろうか。随分と早起きだ。


 髪を濡れないよう気を使いながら禊ぎを済ませ、体を拭ってバスルームを後にする。


「そんなに急がなくても良かったのに」


「うん……」


 私はトウコの前で服を着て、髪をとかした。


 無防備なトウコ。やろうと思えば、いつだって殺せる。きっといつか、この欲求に耐えられなくなる日が来るだろう。


 逃げなくちゃ。私は私が大切にしているものを守るために、トウコを遠ざけなくちゃダメなんだ。


「昨日の約束。守ってくれるよね」


 服を着た私にトウコが腕を絡める。私の思考を先読みした訳では無いのだろうが、タイミングの良さに背筋が凍る。


 トウコは私を逃がしてはくれないだろう。きっと死の淵まで私と一緒に居る事を望むんだ。


「……うん」


 私は曖昧に返事をしつつ、支度を調える。


「ねえ、これからどこへ行くの?」


「とりあえず、また電車に乗る。昨日の夜は足止めされちゃったけど、もう動いていると思うし」


 ホテルの支払いは部屋に備え付けの精算機で行うことが出来た。フロントで従業員と顔を合わせなくていいのは嬉しい。この手のホテルに女性二人というのは嫌でも目立つだろうし、下手に顔を覚えられても面倒だ。


 支払いを終えると、所持金はおよそ半分になった。このお金で一体どこまで逃げる事が出来るだろう。どこか離れた場所に移動したら、何かしら金策をした方がいいかもしれない。


 トウコの事、警察の事、お金の事。ああ、もう考えるべきことが山積みだ。一体私はいつまでこんな事に追い立てられなくちゃいけないんだ。本当にこの世界は、犯罪者に優しくないと思う。


 ホテルを出て駅へと向かう。町は活気づいており、行きかう人々は様々な表情を浮かべている。ああ、この人たちはきっと善良な市民なんだ。絶対に私と苦しみを分かち合う事の出来ない人たちだ。


 では、トウコはどうだろう。彼女は自らが手を下した訳ではない。けれども、私の罪の一端を担おうと私に執着してくれている。家族や日常、自分の人生を全て投げうって、私について来てくれている。


 いつかトウコは私の理解者になってくれるのだろうか。思えばトウコの存在が無ければ、私はとっくに自首して警察に捕まっていたハズなんだ。


「ねえ、トウコ。昨日の約束の事なんだけどさ」


 私がトウコに言葉を告げる刹那、目の前に二人組の男が現れ道を阻む。


「ちょっといいかな」


 その姿に私は血の気が引いてゆく。二人の男は見慣れた警察の制服に身を包んでいたからだ。


 トウコは今にも気を失いそうな様子で私の腕にしがみつく。そういえば、学校で先生に前田さんの事を聞かれた時も、彼女はこうして私にしがみついてた。


「……なんですか?」


 できるだけ平静を装って、ぶっきらぼうに聞く。この状況をどうすれば乗り切れるのか、頭の中では脳細胞が焼き切れるのではないかと思えるほど、高速で思考がぐるぐる回る。


 いや、まだ終わりじゃない。ただ単に職務質問なだけの可能性もある。日頃、日本の治安を守ってくれてる警察からの協力なんだから、私にできる事なら協力しなければだめだよね。


「君たち、神林燈子君と雨宮紬君だよね? 話を聞かせて貰ってもいいかな?」


「いえ、違います」


 思った以上に悪い状況らしい。そもそも、人を殺した翌日にたまたま職務質問を受ける可能性ってどれぐらいあるんだろう。


「そう、人違いか。それじゃあ、身分を証明できるものって持ってるかな?」


「……すいません、持ってません」


「えっ、持ってないってことは無いんじゃないの? ほら、学生証とか持ち歩いてるでしょ?」


「落としちゃったから交番に行こうと思ってたんです」


「それは大変だね。僕たちが話を聞くよ?」


 警察官の二人組のうち片方は私たちに執拗に会話を続け、もう一人は無線でどこかに連絡を入れている。


「いえ、大丈夫です」


「大丈夫って事はないでしょ?」


 明らかに警察は時間稼ぎをしている。きっと応援を呼んでいるのだろう。


 このままここに居たら、間違いなく警察に囲まれる。完全に私たちを人殺しの犯人だと確信しているんだ。だったら取るべき行動は一つしかない。


「トウコ! 逃げるよ!」


「っ!」


 私とトウコは身を翻して、警察が道をふさぐ方向とは逆の方に向かって走り始めた。

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