第10話
私はトウコにすべてを話す事はなかった。けれども、トウコに伝えたい事は伝えたつもりだ。
「トウコの為に私は前田さんを殺したんじゃないの。私が誰かを殺す為の言い訳がトウコだっただけ。だから、トウコが罪悪感を感じる必要は無いよ」
他人の死に罪悪感を抱くのは人間らしい感情ではないのだから。
「それは……違うと思う」
「ううん、違わない。私は私の為だけに殺した」
首を振るトウコから今にもヒステリーを起こしそうな危うさを感じ、私は抱きしめて彼女を落ち着かせようとする。
きっとトウコは認めたくないんだ。私が前田さんを殺した理由の中心に、自分が居ることを望んでいたんだと思う。
けれどもトウコは、私の推測とは違う事を思っていた。
「ツムギさんは、自分のエゴの為に人を殺せるような悲しい人じゃないわ」
「……」
トウコにとっての私は一体何? どうしてトウコが信じる雨宮紬を無条件に押し付ける事ができるの?
私の中で沸々と怒りがこみ上げる。どうか私を美化しないでほしい。ありのままの汚い私を見て、そのうえで受け入れてほしい。
けれども、それはトウコには酷な事かもしれない。あまりにも純粋すぎて、ふとした瞬間に虚ろいでしまうほどに無垢なトウコ。
「ごめんね。トウコの思う私じゃなくて」
「いいえ、分かってるから。また、私に気を使って……私を帰そうとして嘘をついているんでしょ」
ああ、そういう解釈をするんだ。トウコって健気だなぁ。将来、悪い男に依存しないと良いけど。
「うん……」
私は曖昧な返事をする。けれど、トウコは言葉を続けた。
「私、戻らないから。ツムギさんについていくから……」
「どこまで来るつもり?」
「どこまでも。ずっと一緒に逃げるから」
どうしてトウコはここまで私に執着してくれるのだろうか。私はトウコへの庇護欲を言い訳に、自分の好奇心を満たす事を優先させた。そんな私に、どこまでもついて来てくれると言ってくれる。私が人殺しだという事実も、真っ直ぐに見据えたうえでだ。
きっとトウコは私の為ならば、何だってしてくれるだろう。人殺しの私と一緒に居たいというタガの外れたトウコの事だ、きっと人だって殺してくれる。
私はそんなトウコに、何をもって報いる事ができるだろう。ただ一緒に居るだけでいいのだろうか。このままトウコを私なんかが拘束して、彼女の可能性を潰しやしないだろうか。トウコが私と一緒に居る事で、トウコも捕まったり危険な目に遭ったりしないだろうか。
ここまで考えて、私は今更ながら恐ろしい事実に気づいてしまう。トウコの存在が何よりも大切であるという至極当然の感情。そして、私は自分の好奇心などと宣いながらも、結局のところトウコの身を案じて前田さんを殺してしまったという事。
私にとってトウコと前田さんの存在は等価では無かったんだ。同じ人間だと高をくくっていたけれど、私から見た前田さんの命の価値は限りなく低いものだった。
つまり、あの実験は不完全だった。価値の低い前田さんを殺しても、罪悪感なんて感じるはずが無いじゃない。
そして、私にとって最も価値の高い命は、華奢な身体で私に縋りつくトウコである事は間違いない。
あはは。あははは。今の私、凄い事考えちゃってる。
血の付いたサバイバルナイフは証拠品になるから川に捨てず今も持って来ている。実験の遂行は容易い。
「……どうしたの? すごく怖い顔して」
トウコは私から身体を離し、震えた声で言う。
「ごめんね。トウコを殺す事を考えてた」
「……」
トウコは驚いたような表情をしながらも、黙ったまま私を見る。その様子が何とも悲し気で、ついつい慌てて取り繕う。
「ほら、私が前田さんを殺したのは、前田さんが大切な存在じゃなかったからで……トウコの事を本当に殺すとかじゃなくて、大切な人を殺したらどうなるかなって考えてただけでさ。ええと……」
私は何を言っているのだろう。いや、一体何を馬鹿な事を考えていたんだ。トウコの事を殺せるわけがない。実験するまでも無い。私がトウコを殺したら、一生その罪悪感に苛まれ続けるに決まってる。
もういいじゃないか。人の命は人の手で奪ってよいものでは無い。それで良いんだ。
「ツムギさんにとって、私が大切?」
「えっと……うん」
「それじゃあ、一緒に居てくれる?」
何だか話が変な方向に行ってしまった気がするが、私は素直にその問いへと答えた。
「いいよ。どこまでも一緒だから」
「……約束」
「……うん」
トウコが小指を差し出す。私も小指を差し出し、二本の指を絡めて指切りげんまんをする。
「これでずっと一緒だね」
トウコは久しぶりに笑顔を見せる。私は危うく、この笑顔を永遠に失うところだった。
いや、今回はたまたま正気に戻れたけれど、またあの衝動に駆られる時が来るかもしれない。その時に踏みとどまる事ができるだろうか。
一刻も早く私からトウコを遠ざけなければ。それがトウコを守る一番確実な方法なのだから。
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