尊きは全人馬無事、されど鈴鹿の胃は荒れる

 小倉サマージャンプが全人馬無事で終わり、ゴールラインで見守っていた観客たちから万雷の拍手で騎手と馬たちが迎えられる。全人馬無事、競馬場にてこの言葉に勝るものはないからね。


「なんか、あったかいっすね」

「障害競走は数が少ないし、危険な競技だから走り切っただけでも金星なんだよ。障害の怪我率が少ないといっても、それはレース数が平地競争に比べて限られているってのが大きいだけで、実際には年のレースで五パー近くは競走中止になる馬がいるしね」

「騎手の方は結構頻繁に怪我してますもんね……」


 俺の言葉に音花ちゃんが頷きながら補足する。だからこそ若手を引き込みたいってのがあるんだろうけどね。落馬に関しても平地は速度が出ている状態での落馬、障害では踏切と飛越後の着地ミスでの落馬など怪我の要因が違うのも大きいが。


「石森先生も落馬の経験あるんですかね」

「あの人、第七頸椎と第一胸椎を折って一か月後に復帰してるよ」

「はぁ!?」

「なんならその年に最多勝利障害騎手賞獲ってる」

「……これがリーディングジョッキーか……」


 ただの競馬馬鹿だと思います。吉騎手も全治半年なのに四か月で復帰したりしてるし。頼むから君たちは怪我したらきっちり休んでよね。





 レースも終えたので、ロングアポロへ会うために競馬場内の厩舎へ。

 厩舎内では獣医が目薬を差したり、厩務員が出走後の馬を洗浄したりしていて実に慌ただしい。ロングアポロはそんなケアをすでに済ませているのか、自身の馬房でのんびりと食事をしていた。そんなアポロの世話をしているのは茶髪で羅田厩舎のジャケットを着た女性の厩務員。直接会うのはいつぶりだろう? 年単位で会っていない気がする。


「お久しぶりです鈴鹿オーナー!」

「韮澤さん、こちらに来ていたんですね」


 彼女の名前は韮澤さん。レジェンの厩務を担当していた方である。


「アポロは私の担当ですから。レジェンが引退してからトレセンでも全然会えませんでしたもん、やだ、すっごい懐かしい!」

「お元気そうで何よりです。紹介します、未来のG1ジョッキーの谷野音花ちゃん、大和ほむらちゃん、石田順平君です」

「あらあら、アナタたちが羅田先生が厩舎に所属してくれないかなって言ってた子たちね! 競馬学校卒業したら是非一考してよね! 特に石田君は順平と入れ替わりでアイツクビにするから!」


 ひどい言い草だ。ちなみに彼女の言う順平とは石田君ではなく足立さんのことである。両名とも名前が一緒なんだよね。


「あはは……考えときます」

「アタシは海老の先生に面倒見てもらうので無理です!」

「俺も天王寺先生に誘われているので……」

「ちょっと待って、後者二人の話初耳なんだけど!」


 なに隠れてお手付きにしようとしとんのじゃ、あの二人はよぉ! たまらず、海老原のオッサンへ鬼電しようとしたら、韮澤さんにスマホの画面を覆うように手を添えられる。


「厩舎内では電話はご遠慮ください」

「くっ、わかっていますよ。後で覚えてろあの二人」


 しぶしぶスマホをしまうと、石田君が不思議そうに韮澤へ尋ねる。


「さっきレース前に来たときは気にならなかったんですけど、厩舎内ってスマホって駄目なんですか?」

「スマホに限らず、八百長の疑いがかかるようなことはしちゃ駄目だよ。レース後だとそこまで厳しくはないんだけどね」


 緊急事態が起こる可能性があるから当日になるとわりとそこらへんは緩くなる。レジェンの時も乗り替わりを探すために羅田先生は最終手段で運営局に対して電話してたし。


「ちなみに騎手たちの利用する調整ルームは完全に禁止だよ」

「あ、それは知ってます。不幸ごと以外は外部と連絡取れなくなるんですよね」

「そうそう、トリッターなんてやっちゃだめだよ」

「んふっ」


 俺の皮肉に音花ちゃんが思わず笑ってしまう。ロメール騎手のトリッター事件はなにやってんだお前案件だったからなぁ。

 さて、雑談はここらにして、馬の状態を見せてもらおうか。


「はいはい、ロングアポロ号は現在、脚の熱も足並みに乱れもなく非常に良好な健康状態です。疲れていても飼い食いはいいので回復も早いでしょう。この後の馬運車で栗東のトレセンに運びます」

「次走はもう?」

「すみません、流石に関係者以外にはお伝え出来ません」


 ですよね。まぁ、このまま放牧に出さないなら阪神ジャンプステークスかな。ロングアポロは輸送に強いみたいだし、東京HJかもしれないが。


「そういえば、今年の中山は燃えそうですね」

「ほぉ、といいますと」


 俺の疑問に韮澤さんがニッコリと笑い。


「来るみたいですよ、ロドピス」

「……へぇ……」

「なんか鈴鹿さん拒否反応起こしてるけど、ロドピスって馬の名前?」


 苦痛に歪む俺の表情を見て、石田君がほむらちゃんに顔を寄せて聞く。ほむらちゃんはほんのり、石田君とは逆の方向に顔を横にずらして、


「ロドピスってのは桜花牧場で生まれた障害馬よ」

「天性の才能を持っていてね、海外のアムス厩舎が買っていったの」

「ふーん、海外ってことはお金持ちの馬主さんなんだ。誰が買っていったんだ?」

「アンタが絶対知ってる人よ」


 そういって、ほむらちゃんがスマホを操作し、とある画像を石田君に見せつける。その画像とはユニオンジャック、イギリスの国旗だ。


「この国で一番ピンクのスーツが似合うおばあ様」

「……それって、あの女王陛下……」


 あんぐりと口を開けて俺を見る石田君。わかる、絶句するよね。俺も絶対にレースを見に来るであろう陛下や王室関係者の通訳頼まれるんだろうなと思ってお腹が痛いよ。


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