Jump

 リドルに蹄油を塗りながら、調教の様子を見に来た羅田さんと世間話をする。話題はもちろん、ウチの騎手見習いの三羽ガラスについてである。


「三人とも手ごたえはあったんですね」

「みたいですね。ほむらちゃんも自信満々だったので学力に関しては大丈夫だったようです」


 そもそも大多数が中学生なのに高校生三人が知識で負けるのはどうかと思うが。問題も中学生レベルだし。……羅田さん、目を泳がせるんじゃないよ。

 リドルの蹄油を丁寧に仕上げ、ご褒美の角砂糖を食べさせる。羅田さんはその光景をまぶしそうに見つめ、


「それにしても、彼女たちが騎手試験を受験ですか。時間というのは経つのが早いですね」

「はっはっはっ、そんなこと言ったら再来年には無敗の七冠馬の息子が鳴り物入りで中央出走ですよ。どうです? 今からでも預託先変更しましょうか、双子とセットですけど」

「幸永君の調教師としての試金石にぴったりだと思うのでそのままでお願いします」


 きりっとした表情で言われても、羅田さんの全身からは絶対やめてねってオーラがにじみ出てるんだよなぁ。そんなに女王陛下が怖いかね? 結構気のいいおばあちゃんだったよ。公の場では会いたくないけど。あぁ、羅田さんに聞かなければいけないことがあったんだ。


「そういえば、羅田先生のところのロングアポロですが」

「はい? ロングアポロがどうかしましたか」

「彼は小倉サマージャンプに出走しますよね? 石田君に出走前と後の障害馬の状態を見せてあげたいんですが」

「あぁ、元野球部の彼ですか。構いませんよ、現地で厩舎に入れるように手配しておきます。私は前四つの条件戦全てに監理馬が出るのでお相手する暇がないとは思いますが……」

「羅田先生もてもてですもんね」

「グリゼルダレジェンのおかげですよ。まったくありがたいことです」


 そう語る羅田先生の顔は最初に出会った時とは違う、自信に満ち溢れたものであった。





「んなわけで、試験を頑張ったご褒美として小倉のサマジャンを見に行きます」

「俺もナールディシャンで出るよ!」

「そら中央障害のリーディングジョッキーがグレードレースに出ないわけないでしょう……」


 シミュレータールームで練習をしていた石田君と音花ちゃん、そして彼女たちの先生をしていた石森騎手たち三人に週末の予定について伝える。一名足りないが、まぁ、彼女は補講です……


「石田君が障害にも興味があるということなので、羅田先生にお願いしてロングアポロの出走前と出走後に特別に会うことができます。君たちは馬の状態や様子を生で見て確かめてみてね」

 俺の言葉に元気よくハイと答える二人。石森騎手と俺はうんうんと頷く。


「せっかくだし、今からサマジャンについて勉強しようか。詳しい人もいることだし」

「もう二十回は軽く乗ってるからね! 茶々入れるのは任せてくれ!」

「いや、普通に質問に答えてくださいよ……」


 テンションの高い石森騎手を捌きつつ、最近シミュレータールームに据え置きとなっているホワイトボードをコロコロを転がしてきて黒マーカーのキャップを開ける。


「小倉サマージャンプ、グレードスリーの障害競走だね。そして、小倉競馬場で行われる唯一の障害重賞でもある。コースはこのレース専用の3390メートル、正面スタンド前直線半ばからスタート、一周は約1300メートル、全体の高低差3.8mの障害コースをまずは左回りで一周し、第一コーナーから415メートルある襷コースへ侵入し、残りの一周半は右回りに変わる。襷コースには高低差約2.8メートル、長さ約80メートルのバンケット。最後の直線にある竹柵障害まで、全部で十一の障害が存在し、挑戦馬たちを待ち受けている。最後の直線だけは芝に変わるコース。はい、ここまでで質問は?」


 石田君がシュバッと音を立てて挙手する。


「バンケットって何ですか!」

「登り下りの坂だよ。坂路あるだろ、あれがコース上にあるんだ。山型のほうはリズムが狂いやすくなって崩れやすくなるし、谷型のほうは深すぎて馬の体力が一気に持っていかれるからかなり怖い。まぁ、ここをスムーズに超えてこそ一流ジョッキーってとこかな」

「本人は軽く言っているけど、石森騎手のバンケット攻略は実に見事です。小倉競馬場で生で見ると実感できるんじゃないかな」


 おちゃらけていてもリーディングジョッキーなだけはあるからね。


「もう一ついいですか?」

「構わないよ音花ちゃん、なにが聞きたいのかな」

「失礼かもしれませんが、障害って年に十回しか重賞がないじゃないですか。障害専門だと生活するのは大変じゃないですか? 何故、石森騎手は障害専門に?」


 ズバズバ聞きにくいことを聞いてくるなぁ、ストッパーのほむらちゃんがいないからか。隣の石田君があわあわしているのが実に面白い。慌てている石田君とは反対に、問われた石森騎手は笑顔でニ、三回頷き、ふぅと小さく息を吐く。


「理由は三つある。まず、体重管理が緩い。平地に比べると体重制限に少しだけ余裕がある。加齢で体重が落ちにくくなることを考えるとこれは平地に比べると有利だね。

 二つ目、高速馬場になりつつ日本競馬の平地戦と比較すると障害のほうが多少は安全だから」

「そうなんですか? 俺って飛んだり跳ねたりする障害のほうが危険かと……」

「障害戦は速度が出にくいからね。あとは平地に比べると後続馬が避けやすいってのもあるよ」


 もちろん、イコールで怪我人が出ないってことではないが。


「話を戻すよ。三つ目、俺は障害が好きだから! 以上!」

「……そんな理由で障害専門に?」

「そんな、とは酷いな谷野。いいか、平地は弾丸のように馬と一心同体になってゴールまで突き進むが、障害は馬と一心同体になっちゃいけないんだ。障害において騎手はオートコントロールで慣性制御をする荷物なんだ、命を懸けて障害を越える彼らの背中で飛翔の一切の邪魔をしちゃいけない。俺はそれが遂行できたとき、たまらなく楽しいんだよ」

「……なんか、騎手の人って変な人多いですね」


 そうだよ。騎手って変な人しかいないよ。



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