夜食の話

 俺が菊花賞に向けてリドルの調教を施しているとき、桜花島では別の試練が始まろうとしていた。そう、八月中旬に行われる競馬学校騎手課程の一次試験である。

 今回試験に挑む音花ちゃん、ほむらちゃん、石田君の三人の試練、一番難しいのは体重管理。今年十八歳の彼女達は受験規定により体重を四十九キロ以下に抑えなければならない、音花ちゃんとほむらちゃんは余裕でクリアしているんだが、男で野球部だった石田君が受験を決めたときの体重は六十四キロ、つまり十五キロの減量をしなければならなかった。石田君は四月頭からゆっくりと体重を落としてきたんだが、それはもう苛酷な減量だった。若いのに一日に肉一切れの日だって少なくなかったし、筋肉は脂肪よりも重いので一見するとやつれていっているように見える我が子を見た親御さんが心配して俺の元に連絡をしてくる日だってあった。その甲斐あって、石田君は現在五十キロと少し、八月中旬までに体重を落としきれる計算になっている。

 本当にすごい根性だよ、俺なら諦めて焼肉行っちゃう。この島に焼肉屋ないけど。


 そんな石田君は桜花島に現在住んでおり、月曜日の夜だけ自宅に帰るルーティーンになっている。住んでいるところは俺のアパートの隣の家で、夕食なんかは俺と学生組三人で食べることが多いので、必然的に俺も減量向けメニューに付き合わされることも多々ある。耐えられない日は居酒屋伝説や喫茶スターホースに逃げ込んだりするんだが、最近は調教の予定を立てる仕事だったりが立て込んで碌に食事をする暇もない。本当なら出前でも頼みたいんだが、食事制限をしている音花ちゃんたちに匂いが届く家では食べられない。

 つまり、長々となにを言いたいかというと。


「こら、レジェン。バランは草じゃないって」

 俺が夜食を食べる場所は桜花牧場内になるということだ。伝説の大将に作ってもらった特製弁当を、夜間放牧中のレジェンがいる防柵前で食べるのが最近の日課になりつつある。柴田さんやら大塚さんには行儀が悪いから立ったまま食べるなと言われたので、アウトドア用のテーブルとチェアを持ち出してゆったりと外灯もない放牧場で、ランタンの光だけを頼りにレジェンとイチャイチャしながら夜食をとっている。そんな俺に近づく人が一人。


「あ、社長! 僕も食事ご一緒していいですか!」

「うわでた」

「うわってなんですか、うわって」

 山田君である。彼は広報の仕事が秋のG1シーズンまで落ち着いてきているので定期的に桜花島に帰ってきているのだ。そして都会では摂取できない馬と触れ合ったときに生成されるナニカを彼は吸収して日常に戻っていく、ホントに人間かコイツ。


「それにしても、彼女は元気ですね」

「そうだねぇ、産後の肥えだちもいいし、来年もいい仔を産んでくれるだろう」

「いやぁ、楽しみですね。来年の子供たちを見るまでは死ねませんよ」

 本当に死にそうないので別の意味に聞こえるわ。コイツ残業時間えぐいことになってたから大塚さんに強制休暇をとらされてたからな……


「全然話が変わるんですけど、社長の調教動画がWetubeでとても人気らしいですよ。助手が急上昇ランキングにのって驚いてました」

「ふーん……」

「全然興味なさそうですね」

「一般人が見てどうすんだって話だし……」

「それはそうですけど」

 そもそもリドル用の距離延長調教だから他の馬に転用するのは難しいしね。


「そういや、山田君が音花ちゃんたちを試験に送迎してくれるんだって? ありがとね」

 入学試験は小倉競馬場でも行われるので彼女たちはそこで受験するのである。

「いえ、同じ県内ですからどうってことありませんよ」

「新幹線で博多から小倉まで移動して、そこからモノレールってのは試験前に疲れちゃうだろうから、本当に車での送迎は助かるよ」

 俺の言葉を聞いて山田君が箸をおいて、にっこりと微笑んで。

「社長、ただの保護者になってますね。孫の行く末を心配するお爺ちゃんみたいです」

「せめてお父さんって言え」

 そんなに老けてないわい。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る