新田の現状

「石田君、前傾姿勢になりすぎだ。その騎乗は速度は上がるけど馬を危ない目に合わせるから使わないように」

「はい!」

「音花ちゃんは利き足に荷重かけすぎ。ほむらちゃんは鞭の持ちが緩い! 落とすよ!」

『はい!』


 ダービー前の金曜日、もうすぐ月も変わろうかという五月末。新田騎手が両腕を組みながらシミュレーターにまたがる三人に檄を飛ばしていた。

 明日が土曜日なのに人気ジョッキーの新田騎手が何故桜花島にいるのか。はい、騎乗停止をもらっているからですねぇ!


「よし、いったん休憩。その後は俺とG1コースで模擬レースをしよう」

『はい!』


 うーん、先生役が板についてるけど、この人先週とんでもない斜行をかましたんだよなぁ。今年で癖馬、もとい競馬ができない馬の駆け込み寺だった富士澤騎手が引退することは内々の情報で回ってきている。故に癖馬へ競馬を教えることのできる騎手にお鉢が回る事態になっているのだが、まぁ、そんな鞍を頼まれてイエスと言う騎手は当然だが少ない。

 沼付騎手、吉騎手ら騎乗の名手は教えることはできてもそれ以上に強い馬に乗ってもらうことを要求されるし、本人たちもそちらを選ぶのは至極当然。そして帰結するのは、辛うじて乗ることができる馬に乗り鞍の少ない中堅たちへ騎乗依頼が集中することである。名馬の輝きの裏にはとてつもない数の騎手たちの苦労が隠れているのだ。

 そんなわけで富士澤騎手のお手馬をいくつか引き継いだ新田騎手だったが、天王寺調教師が帽子をぶん投げて大笑いするほどの斜行、正確に言うなれば最内の先行位置から大外に向かって掟破りの地元走りをしてしまった。競馬の関係者は馬に怒れない、故にその非難の矛先は制御できなかった新田騎手に向かい、彼は馬のバチを被って二日間の騎乗停止と相成ったわけだ。

 と、いうことで暇になった彼は俺にどちらが育てたレアシンジュが強いか、例のゲームで対戦するために来島した。せっかくなので対戦ついでにG1ジョッキーの彼に音花ちゃんたちを指導してもらっている。それが現状。

 なお、例のゲームは俺が完勝した。新田騎手は騎乗停止を言い渡された時より悔しがっていた。


「みんな、筋がいいですね」

「そうですね。以前から乗っていた音花ちゃんとほむらちゃんはともかく、石田君は天性のものを感じます。冷静に乗りこなすので吉騎手より幸永騎手に近い騎乗スタイルなのかな」

「あぁ、あの人はプランニングしてから調整するタイプですからね。崩れると弱いですけどハマると無敵タイプってことですか。ま、武さんみたいな天才はなかなかいませんよね」

「吉騎手は戦術でどうこうできるタイプじゃないですからねぇ」


 おっしゃいったろ、勝ったわ、ができる吉騎手が異常なだけなんだが。彼より上の世代には彼よりぶっ飛んでた天才がいるのが競馬の妙だ。幸永騎手の親父さんなんだが。あぁ、もう幸永調教師だったわ。


「富士澤騎手は競馬学校の教官に就かれるそうですね」

「はい、定年の教官と入れ替わりの形で」

「生徒たちにあの癖馬に競走を教える手管が伝えられるのはいいですねぇ」

「自分としちゃ教練中に死人が出ないかどうか不安ですが」

「教練にそんな馬使ったら俺は苦情いれますよ」

「鈴鹿さんがクレーム入れたら普通に通りそうなんでやめてください……よし、休憩終わり。今の休憩時間が連続で騎乗する際のインターバルと変わらないぐらいの時間だ! 瞬間的に行動できるようにタイムキープを忘れないようにな!」

『はい!』

「それじゃ鈴鹿さん、子供たちはもう少ししたら帰しますんで」

「はーい、俺と丹羽さんは先に居酒屋行ってるから万事よろしく頼むね~」


 新田騎手と合わせて来島した記者の丹羽さんは、現在ウェスコッティの双子やディアの特集を組むために写真撮影や厩務員たちへの取材を行っている。夜には彼と居酒屋で合流して飲み会の予定だ。今の時刻は十八時過ぎ、早めの華金は最高だぜ!




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