サンタアニタハンデキャップレース前
『エミューズ! 勝ちました!』
アメリカのサンタアニタパーク競馬場近くのカフェで市古の声が響く。市古は周りの視線をものともせずに、同席していた厩務員やアメリカでの調教師関係者と握手をして椅子に深く腰を下ろした。
『次は俺たちってことですね』
『PPKがいないし余裕っしょ』
海老原厩舎の厩務員とアメリカ現地で補助をしてくれている調教助手が嬉し気にホットコーヒーを啜りながら軽口を叩き合う。
実際、陣営はサンタアニタでは強敵がいても負ける可能性は低いだろうと結論付けている。その理由は―――。
『このレース、牝馬がいませんからねぇ』
サードの弱点である牝馬が出走回避で一切出走しなくなったためだ。鈴鹿も海老原も残りの関係者さえもこの事実に大手を振って喜んだ。ついでにトリッターのトレンドにも載った。
『あとはサードの鞍上が気になるぐらいですか』
『乗り替わりとは一流ジョッキーが乗ってくれますから問題はないでしょう』
前回のアメリカ遠征でサードの背中に乗っていたリヒターは昨年末のスターレットステークスにて落馬、背中にボルトを埋める大手術をして現在療養中。乗り替わりはリーディングに載りはしていないが堅実な競馬をすると評判のいぶし銀騎手のワドルドゥだ。
『ワドさんもいい馬が回ってきてノリノリでしたし、勝てるでしょうが……』
『問題は次走ですよね』
『PPKは間に合うって鈴鹿社長が仰ってましたから』
我がことのように喜びながら市古へ報告した鈴鹿に関係者一同が少しイラッとしたのは言うまでもない。敵に塩を送った上に塩の作り方まで教えているようなものであるから当然だ。
『まぁ、とりあえず今を勝ってから考えましょうよ。捕らぬ狸のなんとやらになりかねません』
『それもそうですね。そろそろ厩舎に向かいましょうか』
現在時刻は現地時間十五時、日本では早朝の八時であった。
『お疲れ様です。サードの調子はどうです?』
カフェから競馬場の厩舎に移動した市古は、自身の声を聞いて馬房からひょこっと顔を出したサードに破顔する。その馬房の横にいたアメリカンサイズの体格をした筋肉達磨が笑いながら市古の問いに答えた。
『おう、元気いっぱいだぜ。海老原からも連絡が来てそう答えといた』
『この土日だけで管理馬が八頭も出走するのにあの人も元気ですねぇ』
『むしろ疲れすぎてハイになってるんだろうよ!』
がっはっは、とサードの鼻を撫でながらアメリカでの調教師ブライアンが大笑いをする。調教師同士わかるものがあるのだろうと市古は納得することにした。適当に言ってるだけだとも感じたが、大人なので表には出さない。
『ライバルの調子はどうでした?』
『ラスターバッジはえらく調子が悪そうだった、最悪出走取り消しもあるかもな。他はズバ抜けていいってのはなかったが、悪いのもいなかったって感じだ。サードなら八十パーセントの走りで完勝できるな。競馬のイガッサってのも頷ける』
『イガッサじゃなくて衣笠ですよ』
球界の名手を文字った二つ名がアメリカにまで知られるようになったことを喜んでいいのかどうか市古はわからなかった。
『話は変わるが、さっきサンブルエミューズの走りを見せてもらったが……。ありゃなんだ?』
『……ああ、社長が教えた雨女走りですね』
『雨女走り!? 相変わらずお前さんのとこのトップはとんでもない名前を付けるな!』
身近にいる関係者が一番そう思ってますと、市古は心の中で思った。
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