そしてやってくるもの
様々なことが変わりゆく桜花牧場で去っていくものも多いが、新たにやってくるものがいるのもまた事実。
二月上旬、俺にとって待望の出来事が起きた。
「大丈夫かな! ねぇ大丈夫かなぁ!」
「うっさい! アンタ何頭も取り上げてきてるんだから全然平気だってみりゃわかるでしょ!」
尾根さんに読みかけの雑誌を丸めたもので頭をぶっ叩かれる。俺の石頭には効かないが。
「差をつけるのはダメなんだけど! やっぱレジェンの出産は別のモンなんだよ!」
「だったら大人しく見守ってなさい! 逆子でもないし異変も全くない! 明け方までにはポロっと産まれてくるわよ!」
「あー、ちいと静かにしてもらえんと仮眠が取れないんですがね……」
そう、待望の出来事とはレジェンの第一子出産である。
馬房の中に設置してあるカメラを通して一昼夜交代しながら異常がないかを見守っている。温厚なレジェンと言えど出産時には流石に気が立つみたいだしね。
今は午前三時前。柴田さんと尾根さんと俺で仮眠を取りつつ監視を続けていると、レジェンの出産が静かに始まった。
出産用の馬房に移動して四日程だがスムーズに破水し、少しずつ仔馬の脚が見え始めてきた。
「鹿毛だ」
「黒鹿毛と鹿毛の子供なんだから鹿毛、青毛、栗毛のどれかしか産まれないわよ」
「白毛もあるじゃん」
「例外中の例外でしょ、どんな確率よ」
尾根さんと俺がモニターにかじりつきながらキャイキャイ吠える。なんだかんだ尾根さんもレジェンの出産に興奮しているようだ。
基本的に馬に嫌われる獣医師だがレジェンは懐いていたから、彼女にとっても特別な馬なんだろう。
「白毛が産まれるってのはアルビノって奴でしたっけ」
柴田さんがボリボリと腹を掻きながら尋ねてくる。完全に目が覚めてしまったみたいだ。面目ねぇ。
「違うよ。アルビノじゃなくて白変種、横文字で表すならリューシズムだね」
「何が違うんです?」
「アルビノはメラニン生合成が遺伝子情報から欠如してる状態、つまり真っ白なキャンパスで絵具なしで絵画を描いてるのがアルビノよ。
たいしてリューシズムは全く別、キャンパスの色は別々だけど絵具で真っ白に塗ってるだけなの。ね、別物でしょう?」
「はー、そうなんですね」
「ちなみにアルビノとリューシズムの見分け方は簡単だよ。
メラニン生合成が出来ないからアルビノは瞳孔が真っ赤になるんだ。リューシズムは変わらないからね」
「厩務員をする上で全く必要の無い知識だから覚えとかなくていいわよ」
苦笑する柴田さんがスッと立ち上がる。ハンガーにかけていた上着を纏うと外に向かおうとする。
「どちらへ?」
「事務所でコーヒー淹れてきますよ。大仲にはキッチンないですから」
ヒラヒラと手を振りながら柴田さんは闇の深い外へ消えていった。
目を離せない俺と尾根さんに気を遣ってくれたみたいだ。俺たちは厩舎に隣接してる大仲で監視をしているが、今度ケトルとペットボトルウォーターを用意しておこうか。
「頑張れ~、もうちょっとよレジェン~」
尾根さんは身体半分まで出てきた仔馬とレジェンに念を送りながら応援する。
俺も神様に祈りながら出産を見守る。
柴田さんがコーヒーを淹れた水筒を大仲に持って戻ってきたときに見たものは、出産が無事に終わり手を取り合って喜びの舞を踊る俺と尾根さんだった。
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