旅立ち
夕食から二時間ほどが経ち、不意にホースパークの厩務員から連絡が入った。
「ごめんね、二人とも。ちょっと急用だ」
共同部屋になりつつある一階の一部屋に掛けてあったコートを掴んで退室する。
……のは許されず。両腕をほむらちゃんと音花ちゃんにひっつかまれた。
「離してくれないかい?」
「酷い顔です。何があったか教えてくれませんか?」
「そんな顔で出かけられると気になって眠れません!」
優しい子たちだ。
「ホースパークのクローバーがもうもたないそうだ。今から看取りに行く」
だからこの言葉を伝えるのがつらい。
「クローバーって……」
「乗馬で活躍してた子ですよね。体調不良でお休みしてるって聞いてましたけど……」
病気なら治せる。だが、俺やアプリ、手帳でも治療できないものはある。
「寿命だよ。年齢を重ねて身体全体に機能不全が起きていた。
二週間もよく頑張った。最期に立ち会って褒めてあげないとね」
何も言えずに沈んだ表情を作る彼女たちに一言だけ告げて外に出る。
山田君が迎えに来てくれるそうだ。本当にフットワークが軽い男だよ。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ホースパークの厩舎で静かに横になるクローバーを見る。厩務員が泣きそうな表情で哺乳瓶を使って口元に水をやり、クローバーもそれを必死に飲もうとするが……。
彼らの傍に屈みこんで聴診器を当てる尾根さんが首を振る。
「朝焼けは見ることができないでしょうね」
彼女のその言葉に厩務員が我慢できずに嗚咽を漏らしながら哺乳瓶を持っている方とは逆の手でクローバーの首を抱く。
山田君は驚いたことに泣いていない。ギャン泣きすると思ったんだが。
「アタシができることはもうないわ。パークの事務所で待ってる」
「ありがとう」
道具を左手に抱え、右手をひらひら振りながら尾根さんは厩舎の外の闇に消えていった。
「尾根さんは強いですね」
「俺らと違って見てきた死の数が段違いだからね。俺たちに気を使わせたくなかったんだろう」
医療の現場で死神が隣に居続ける状況が常の彼女にとって、死は平等に訪れるものだと割り切っているのだろう。
無論、悲しんでいないわけではない。だが死が近づいているのに泣きわめく医師など信用されないから表に出さないだけだ。
「僕は……。どうにも堪えてますね」
「だけど泣いてない。君なりの譲れないものがあるんだろう?」
山田君はふっと笑って。
「昔、家で飼っていた猫が病気で死んだとき決めたんです。お別れするときは絶対泣かないって。
泣いちゃうとこれから旅立つっていうのに僕らのことを心配させちゃうじゃないですか。最期なんです、笑って旅立ってほしいと僕は思います」
「それは、とっても素敵な考え方だと思うよ」
本当に。別れは絶対に来るものだから。
ホースパークで乗用馬として活躍したクローバー、十七歳。
親愛なる厩務員の懐に抱かれ、日の明けぬ午前二時三十六分。永眠。
ホースパークに設置された献花台には数多くの花が添えられた。
火葬された彼女の骨の半分はダイヤモンドに加工され、ホースパーク博物館の一角で彼女の人生を記したプレートと共に安置された。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます