傑物の遺言
菊花賞が終わって数日後。俺たちは北海道の洞爺湖町にある目黒牧場にお邪魔していた。
引き取り期限の差し迫っていたレインクルッセを借りる予定の牧場区画へ輸送するためである。同行者は柴田さんの弟、事務対応の件で大塚さんの二名。俺含めて三名以内に抑えなければ馬運車に乗り切れないと事前に知らされていたので柴田さんはお留守番だ。役割的に挨拶をしなければいけない俺と書類代行の手続きがある大塚さんは必須だしね。
レインクルッセを馬運車に載せてはるばる二時間の旅をしてやってきた目黒牧場。車を敷地内に乗り入れると車いすに乗せられた目黒さんと、おそらくお孫さんであろう女性が俺たちを待ってくれていた。
車から降りて俺は目黒さんに挨拶する。
「菊花賞ぶりですね。お加減はいかがです?」
「快調ですよ。孫が心配するので車いすに座ってはおりますが馬の曳き運動だって軽々こなせます」
嘘だな。数日しか経っていないのに明らかに全体的にやつれている。本当は喋るのだって辛いのではないだろうか。
本人が隠したいのなら俺はそれを尊重するが。
「それはよかったです。ご厚意に甘えてレインクルッセを運ばせていただきました」
「厩舎で一番上の倅が支度を整えております。そのまま連れていかれて大丈夫ですよ」
「ありがとうございます。レインクルッセを降ろしてから改めてお伺いします」
「ゆっくりで構いませんよ。時間だけは余っておりますから!」
ほっほっほっ、と笑いながら母屋の方へ移動していく目黒さん。お孫さんの申し訳なさそうな表情は隠居の老人に付き合わせてすみませんとでも思っているのだろうか?
再び馬運車に乗り込んで、運転手の柴田さんの弟に先ほど聞いたことを又伝える。
了解ですと弟さんは車が入れるギリギリのところに停車して、レインクルッセを降ろす準備を始めた。
「大塚さんは先に母屋に行って書類の話を聞いててもらえる?」
「承知しました。社長はいかがされますか?」
「レインクルッセの厩舎入りを見たらすぐに向かうよ。流石に弟さんの経営までは口を出さないからさ。
俺たちがしてあげるのは迅速に書類をまとめて開業ができるまでって柴田さんとも決めてる」
彼の心意気に免じて開業までは俺たちが手を貸しているけど、本来ならば農協や役場に助言してもらいながらゆっくり進めていくものだ。冷たいようだが、俺にとっては他人な彼にこれ以上深入りすることは経営者として許されない。
逆に言えば柴田さんが手を貸すことを縛る気もないので、本当にピンチになれば彼が口を出すだろう。
レインクルッセを厩舎まで連れて行き、弟さんは目黒さんの長男とこれからについて話すというので、俺と目黒さんの次男は母屋へ向かうことになった。
道すがら気になったので目黒さんのことを聞いてみる。
「先日お会いした時から、目黒さんの具合はかなり悪くなっているみたいですが」
ピタリと次男の方が足を止める。あまり言いたくないような表情で口を開いた。
「……年は越せないだろうと、お医者様が」
「それは……」
「もう遺言ももらっています。競走馬事業は赤に踏み込んだなら即座に畳めと。
爺の道楽を死ぬまで通したのだからお前らまで固執する必要はないと」
覚悟の上か……。確かにオーナーブリーダーは収入が安定しない。子供達には苦労をしてほしくないよな。
「ですが」
「はい?」
「私たちは親父がいなくなっても、競走馬の生産を辞めませんよ。
親父が旅立っても、親父の目指した天皇賞への夢はなくなりませんから」
……傑物の子供ってのは偉大な背中を追ってしまうものかねぇ。
嫌いじゃないけどさ。
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