敗因
「負けたねぇ」
「いやはや、完敗ですね。社長から見て今回の敗因は何でしょう?」
市古さんが手帳を開いて、俺の言葉を書き留める準備をする。敗北の言い訳に俺の発言を盾に使う気だね…。全然いいけど。
「簡単なことだよ。条件がすべて逆風だ。スタートが微妙だったり、斤量差ってのは些細な事さ。いや、斤量差は些細じゃないか」
あっはっは、と笑うが市古さんはメモを取る体勢をしてピクリとも笑わない。
「逆風ですか? 失礼ですが、ショートの体調などは完璧に近かったのですが」
「体調はね。市古さん、ロンシャンと東京の二競馬場の違いが判るかい?」
「……、芝ですか?」
「そうだね。日本は野芝、洋芝に比べて水分が少なく踏ん張りがききやすい。日本のレースが高速馬場になりやすいのはこれが原因だ。
ところが洋芝はクッション性が高くて力が伝わりにくい、本来なら日本で走りなれたショートは不利だ。そこで海老原調教師はある作戦に出た。市古さんも知ってることだよ」
「そんなことありましたか…?」
二人でしゃべりながら歩いていると海老原のオッサンが待っている厩舎に到着した。ちょっと嫌味でも言ってやろうかと思ったが…。
「え、海老原先生どうしたんですか!?」
市古さんが驚いた声を出す。
両肩を深く落とし、ガチ凹みをしているオッサンを見て嫌味を言うのをやめた。多分関係者の中で一番凹んでるわ。
「おう、お疲れ…。立てた作戦全部裏目に出たな…」
「しょうがないでしょ、そもそも勝ち目のほうが小さかったんですから」
「それでも勝つのが調教師の仕事だからよ…。あー、やっちまったなぁ…」
「あの、海老原先生はなぜこんなに落ち込んでいらっしゃるので? 負けたとはいえ二着アタマ差ですよね? 先ほど言っていた作戦とやらのせいですか?」
「うん、市古さん最近忙しかったから紙面での報告よく見てないでしょ? 実は蹄鉄打ち換えてるんだショート」
「そういえば報告だけ聞いたような…。でもそれが一体?」
俺は笑ってレース後の目薬を終えたショートに近づき、足を上げるように脚を軽く叩いてお願いする。ショートはぴょこっと左前脚を上げた。
足裏の蹄鉄をスマホのカメラで撮って市古さんに見せる。
「見えるかい? 普通の蹄鉄より細身で鋭くしているだろう? 鋭利に加工し芝に対して深く刺さるようにしているんだ。洋芝用に加工を頼んでいたんだよ」
「なるほど、でもそれが何故敗因に?」
ふーっ、と溜息を吐いてオッサンが立ち上がる。表情を見るに吹っ切れたようだ。
「ここ三日ほど晴れだったからだよ。俺とアンちゃんの予想じゃ雨が一日ぐらい降ってくれて多少なりとも水分を含んでいると思ったんだがな」
「残念ながらターフは完全に乾燥して、結果として蹄鉄の変更はマイナスになりましたね」
「なんというか、喧嘩はするわ雨は降らんわで遠征としては全く運がない結果だったな。ショートは頑張ってくれたけどよ」
俺と海老原のオッサンは二人で顔を見合わせて笑いあう。俺の背後でショートも嘶いた。
「理由はわかりましたが、何故蹄鉄一つで負けたんです?」
市古さんが問う。
「鋭利すぎてパワーのあるショートじゃターフの奥まで刺さって、抜くのに力がいるんだよ。雨で柔らかくなっていたなら楽に芝ごと踏みつぶして踏ん張れる完璧な蹄鉄だったんだけどな。」
「合金を使った蹄鉄が高すぎて、クラブの予算では遠征地で打ち換え変更出来ませんでしたからね。私所有の馬なら簡単に打ち換え判断できましたが、この場で市古さんに判断してもらうのはなかなか酷です。そのまま勝てる可能性だって低くはなかったですしね」
「実際レギオンがいなけりゃ打ち替えしないのが正解だ。環境、天気、蹄鉄、そのすべてが逆風でもそれ以外の馬を踏みつぶせるポテンシャルをショートは持ってる」
「負け惜しみを言ってもしょうがないですよ。次に期待しましょう」
ガリガリとメモを取っていた市古さんが顔を上げる。どうやら会報誌に書く内容はまとめ終えたようだ。そのままオッサンと俺に一つ質問をぶつけてくる。
「最後に、お二人は次走を何にするべきだとお思いで?」
「そりゃあ…」
「検疫とかありますしね。決まってるみたいなもんですよ」
次走は2500の右回り芝、ショートのパフォーマンスが完全に発揮されるレース。
その名は、有馬記念だ。
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