グリゼルダレジェン列伝:後編
ジャパンカップから引退まで
グリゼルダレジェンの2039年最後の目標はジャパンカップに定められた。
2039年のジャパンカップは凱旋門覇者のシースタイル、イギリスクラシック三冠馬イッツソーラック、ブリーダーズカップターフ勝者レターオブサンクス、バイエルン大賞勝者アルバコア、そして変則クラシック三冠を見事に勝利したグリゼルダレジェンの誰が勝ってもおかしくない優駿ばかりが集ったレースとなり、日本の各陣営もこのレースに出走させようと抽選倍率は約三倍になる異常事態も巻き起こすほどの熱気だった。
当日、会場である東京競馬場は初の入場抽選を行う。それでも入り切れなかった観客は競馬場の周りでスマートフォンなどを使用し観戦し通行の邪魔になるなど、ある種の社会現象にまでなった。
十五時四十五分、ゲートが開くとグリゼルダレジェンは絶好の好スタートを切り、大逃げの状態を作り出す。その姿は先日引退したレアシンジュを思わせるものであった。
そのまま一切ハナを譲らずに海外馬四頭と吉が駆るグレイトフルエリーと団子になりゴールイン。グリゼルダレジェンがワールドレコードで1着、他の五頭はタイム差なしの名勝負となった。なお、3着が同着だったので、三連単が元返しという中央競馬でも初の珍事に見舞われた特殊なレースでもあった。
ジャパンカップ出走後、鈴鹿が競馬関係者のみを集めた記者会見でグリゼルダレジェンの来期引退を発表。理由は、「激走のダメージは極力抜いてきたが根治は不可能で、出走は半年に一度のペースの全力疾走が怪我をしない現実的なライン」と主張。「これまで応援いただいたファンの皆様の期待にお応えすべく、来期の春秋グランプリを走ることを決定した」と続けた。
これに対する反応は様々で、特定の動物愛護団体からは怪我のリスクがある状態の馬を走らせるなど言語道断などといった抗議が殺到したが、鈴鹿は「愛護と言いつつ、補助金で自身らが豪遊する獣の喋る言葉は分からない」と逆に糾弾して、収賄や横領等の証拠を警察に提出し、愛護団体からの非難の声は消え去り、鈴鹿は警察からの感謝状を受け取った。
2040年、阪神で行われた宝塚記念。
このレースは主戦騎手の浅井が落馬による右手負傷で騎乗できず、ライバルであったレアシンジュの主戦騎手であった新田が乗り替わりで騎乗することになる。
最初こそ新田が鞍上に居ることに戸惑いを隠せなかったグリゼルダレジェンではあったが、いざレースとなると新田の騎乗技術とグリゼルダレジェンの賢さで見事なコンビネーションを見せ、挑んできた39年度の菊花賞馬アーヴルテラスや40年度のクラシック馬たちをなぎ倒して一着を獲得した。
そして、運命の最終戦である有馬記念。事前に行われたファン投票では57万9940票を集め堂々の一位を獲得。この記録は過去最多で未だに破られていない。
羅田が自らのノウハウを全て注ぎ、完璧に仕上げたと言い切ったグリゼルダレジェンの馬体は輝いており、別厩舎の厩務員たちからも絶賛され、誰もグリゼルダレジェンの勝利を疑わなかったほどのものであった。
時代を築いた名馬であるグリゼルダレジェンの引退と言うこともあり、中央競馬協会は大々的にCMを放映。キャッチコピーは「レジェンドVSルーキーズ」と銘打ち、船橋法典駅では左にグリゼルダレジェンの写真を載せ、対になるように残りの出走馬たちが一頭ずつ相対するようになっているポスター[*11]を掲示するなど過去最高に力を入れた宣伝を行っていた。
肝心のレースはナモトダービー、アクリームアルター、テムタバラードが前を握るとハナの取り合いで後方有利なハイペースになり、中山の短い最終直線に入るとグリゼルダレジェンが速度を上げゴール前の坂の途中でハナに立ち、後続と三馬身差をつけて堂々の入着。格の違いを見せつけての引退となった。
その後行われた引退式では、羅田がグリゼルダレジェンに騎乗しパドック一周、そのままターフに移動して浅井が騎乗してコースを一周し、ホームストレッチで関係者が全員挨拶した。その際、鈴鹿の発した「夢は終わりません、受け継ぐものがいる限り夢は輝き続けます」は翌年の流行語大賞にノミネート[*12]された。
引退後
グリゼルダレジェンは引退後、育った桜花牧場に戻った。
そのまま戦いの疲れを癒した後、アメリカの種牡馬パッキーボーイをつけるために渡米した。
七冠馬とダートの優駿の交配と言うことで業界内からは注目されている。
ナツヒヨリとの関係
オーナーである鈴鹿は、高知競馬の代表的な馬であったナツヒヨリを勝たせるために陣営に協力した際、サボり癖があったナツヒヨリの性格を矯正するためにレアシンジュとグリゼルダレジェンと併走させた。
それが功を奏したのかナツヒヨリの競走能力は向上し、見事に一勝を上げて引退した。
併走中に仲間意識が芽生えたのか、ナツヒヨリの調教が終わり高知競馬に戻る際にはグリゼルダレジェンにしては珍しく寂しがる仕草を見せたと、桜花牧場広報長である山田の著書「桜の馬処」には記載されている。
大外馬
グリゼルダレジェンは大外が多いことで有名である。
七戦を走ったG1競走に限っても、阪神ジュベナイルフィリーズ、東京優駿、宝塚記念、有馬記念と四回も大外を引いている。その上で無敗で競走を終えたこともあり、競馬関係者はグリゼルダレジェンの地力の高さを認めている者も多い。
[*]ポスターは一枚ずつ上段に「伝説VS○○」、下段に別々のキャッチコピーが書かれており、レース終了後にオークションで販売されたポスターの値段は、一番高いもので百八十万円にも上った。
[*12]厳密にはこの通りではなく「○○は終わりません、受け継ぐものがいる限り〇は〇〇〇続けます」と改変された、いわゆる鈴鹿構文として流行した。
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