悪魔の提案

「申し訳ございません、お待たせしました」


「いえ、そちらも大変でしょうから」


 レース中に起こった事件の後処理についての話し合いで俺は中央競馬協会に出向いた。

 そう、事故じゃなくて事件だ。十勝山騎手が故意に馬を操作しオウカセカンドにチャージ≪たいあたり≫をしたことは明々白々。競馬において珍しい刑事事件として扱われることになった。


「それで今後の出走の件なのですが…」


「直接お伝えさせていただいたように、クラブ所属馬は事件の完全決着を確認するまで日本競馬に出走させるのを控えさせます。

 このまま、なぁなぁで済ませようとするならば日本競馬からの撤退もあり得ますね」


「そ、それは…」


「私たちは馬の命を預かっています。今回の事件は競走馬と騎手の両者が死ななかったからまだよいものの、足立騎手は偶然柵に当たらなければ亡くなっていた可能性の方が高かったんです。

 流石に騎手の命まで担保できません」


「……、おっしゃる通りです」


 何も言い返せないよな。事実だから。


「以上の事から、少なくとも桜花クラブは全ての解決。まぁ、関係者全員の身辺精査もしくは主犯の逮捕がなされるまでは海外出走をメインにします。

 これはお金ではなく馬たちの命を守るためです。勘違いしていただきたくないのは中央競馬に遺恨があるわけではありません、事態が終息すれば再び戻ってくることをお約束します」


 身辺検査は現実的じゃないから主犯の逮捕を目標にすべきだろう。十勝山も全部自白しているみたいだし時間はそうはかからないかもしれないが、それでもダービーまでには間に合わないな。


「あの、我々から聞くのもおかしな話かもしれませんが、海外レースはどちらに出走予定で?」


 当然聞いてくるよな。


「オウカサードはアメリカのクラシック三冠に挑みます。距離の適正でケンタッキーダービーとベルモントステークスだけですがね。

 オウカショートは凱旋門を目指します、まずはニエル賞が目標ですね。

 ファーストは距離が合わないのでサセックスステークスに向かいます」


「おー…、しかしクラシック登録はもう」


「予備登録はしておきましたから」


 日本に限らずクラシック競走は事前に登録しておかないと出走できない。出たいからはい出ますは制度的に無理なのだ。

 本来は指定のクラシック競走からかなり前に登録しておかないといけないのだが、追加登録もしくは予備登録と呼ばれる追加の参加申請をすることで無事に出走抽選に入ることができるのだ。

 だったら後で追加登録したほうが分かりやすいんじゃないかって?

 追加登録は払うお金が桁一つ違うんだよ…。


「そうですか…、中央競馬としても支援できる範囲で協力させていただきますので何か問題があればご相談ください」


「ええ、その時はよろしくお願いします」


 ガッチリ握手をして部屋を退出する。次は入院している足立さんのところだ。





ーーーーーーーーーーーーー



「こんにちは、お加減いかがですか」


「はははっ、最悪ですよ。死ぬよりはよかったかもしれませんがね」


 やけっぱちにも見える足立さん。人生の半分は捧げた騎手生活をこのような形で幕引きされてはそうもなるか。


「軽度の麻痺が残るとのことですが」


「ええ、左腕の震えが止まらないんです。日常生活に支障が出るものではないですが、馬に乗ると確実に鞭を取りこぼすでしょうね」


 ギプスを巻いた左腕を見ると、なるほど少し痙攣の反応がある。


「これからどうなさるので?」


「羅田先生に調教助手として雇ってもらうことになりました。元々引退後は調教師になるつもりでしたから前倒しで勉強させていただくことになりますね」


「そうですか。よろしければこれを」


 桜花島のホースパークの責任者の名刺をそっと渡す。足立さんはそれをベッドに横になったまま顔の前まで持ってくる。


「これは?」


「もし、調教師が性に合わないと思ったら…。是非にご連絡ください。

 足立さんのスキルならばホースパークに来ていただければ仕事がいくらでもありますので」


「ははっ、こりゃいいです。くいっぱぐれない保証書まで貰ってしまって…。本当に…」


 声が小さく、そして涙声に。

 立ったままだった俺は近くの椅子に腰を下ろして、右手で顔を覆う足立さんをそっと見やる。


「…もっと乗りたかったんです。俺は羅田先生が立ち直ってくれて、本当に嬉しかった。これからずっと先生が引退するまで一緒に戦えると思ってました! なのに! どうして!」


 大声を出したので、開きっぱなしだった病室のドアから看護師さんが心配そうに覗き込んでくる。

 俺はそれに大丈夫だと手振りをし、足立さんに極めて冷静に声をかける。


「まだ、馬に乗りたかったんですね」


「勿論ですよ! まだまだこれからだったのに!」


 足立さんの慟哭が病室に響く。

 セカンドに騎乗を頼んだ俺にも負い目がある、だから提案する。


 成功するかも分からない、悪魔の提案を。


「足立さん」


「なんですか! もう…、放っておいてください……!」





「その腕、治ると言ったら。どうされますか?」



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