ヒヨリの帰厩

 筋トレをナツヒヨリに積ませることが決定した二週間後、そこには見違えるような肉体になったナツヒヨリが!


「思ったより日数がかかったな…」


「倍かかってますからね…」


 三日ほど経った時に再び詳細な検査を尾根さんにお願いしたところ、ナツヒヨリは筋肉が付きにくい体質らしいことが判明。俺たちは頭を抱えた。

 このままではレースまでに何一つ間に合わないと判断し、苦肉の策で魔法の手帳にナツヒヨリの育成案を聞いた。

 答えはアプリ産の飼料と水を使って超回復を繰り返すこと。うん、地道が一番の近道なのね。

 その言葉に従って二週間経った今、彼女の馬体は完成した。長かったよ。


「とは言っても馬体が完成しただけだ。走り方の矯正を今から始めるとして…、諸々含めるとやっぱりギリギリだな」


 オリビアに調教記録を貰ったのが二月の二日、ヒヨリがやってきたのがその三日後の五日。調教に苦心して六日のロスで十一日になり、そこから二週間で今が二月の二十五日だ。

 つまり、レースまで三十三日。レース当日の二週間前にはあちらに返したいので牧場で使える日にちは十九日…。うーん、どう計算しても厳しいな。


「体重管理と走法のフォローを同時にやりつつ、怪我は絶対にさせてはいけない状況ですか…。普通ならお手上げです」


「うちは普通の牧場じゃないからな。死ぬ気でやるしかないよ山田君」


「わかってます。ホースパークは新しく責任者が来てくれましたし今はヒヨリに集中しましょう!」


 山田君の言うようにホースパークには新たに責任者とスタッフが着任した。年度初めにはフルオープンできるだろう。

 五月には医療スタッフと経理事務と広報も増員されるし、本格的に牧場経営は安定軌道に乗ったとみていいな。





ーーーーーーーーーーー




「レジェン今日もよろしくな」


 ブフッと鼻を鳴らすレジェンに笑う。

 アレからナツヒヨリの調教も順調に進み今日が最終日。明日には高知に向けて出発する。

 長い戦いであったがかなりナツヒヨリも仕上がってきた。走り方も矯正を完了し、レアシンジュの逃げ足にもある程度ついていけるようになったので確実に引退レースは勝ち負けまで行けるはずだ。頼むからいってくれ。

 というわけで、今日は牧場内での最後の追い切りだ。設備の関係であちらでは現状維持が精いっぱいになるだろうし、ここである程度のタイムが見込めなければ勝ちは諦めないといけなくなる。


「行きまーす!」


 スターターの声にハンドサインで合図して追い切りを開始する。ナツヒヨリに騎乗しているのは吉騎手。わざわざ都合をつけて乗りに来てくれた。ありがたい限りだ。 


「いいね」


「はい、見違えましたね」


 山田君と二人で追い切りを見て、以前のダバダバ走りとは桁違いの走りを見せてくれるナツヒヨリに感動さえ覚えた。追い切りのタイムはなかなかのものだ。これならイケる。

 俺が確信していると吉騎手が下馬し、こちらにやってきた。


「やー、全然違いますね。重賞とまではいかなくともオープンぐらいまでは大丈夫そうな走りですよ」


「でしょう? 最初は嫌々だったんですが速くなる脚が楽しかったみたいで調教も嫌がらなくなったんですよね。走るのが元々好きだったってのも大きいんでしょうけど」


「だとしてもです。ヒヨリがここまで走れるようになる桜花牧場の育成能力には感服しますよ」


「ははっ、どうも。ウィルさんの調教記録も大きいんですけどね。データとしてかなりメニューを絞れましたから」


 正直、あの記録が無ければ間に合わなかっただろうな。ウィルさんさまさまだ、お礼を考えておかないとな。


「そういえば、まだ世間には引退とか詳しい話は伏せてますけど記者会見の御予定は?」


「あー、山田君は先方から何か聞いてる?」


「いえ、特には。行動を起こすのであれば協力すると伝えてはいますが」


「とのことです」


「なるほど。百十四戦未勝利のヒヨリが引退かつ鈴鹿さんの協力を得ているってのはかなりビックニュースですからね、それこそスポーツ新聞の一面に載るぐらいには。なんらかのメディア対策はあったほうがいいのでは?」


 確かにうちの影響力を考えると真剣に話し合う必要があるな…。


「助言ありがとうございます、明日ナツヒヨリを送り届けるのに同行するのでその時に話し合ってみます」


「それがよろしいかと」


 




ーーーーーーーーーーーー




「ようこそいらっしゃいました、お世話になっております。調教師の山本幸太郎です」


「どうも、桜花牧場社長の鈴鹿です」


 翌日、ナツヒヨリを高知競馬場の厩舎に送り届けて担当の調教師に会った。名前は山本さん、高知で一番多い苗字だそうで高知競馬の中でも三人いるらしい。


「ヒヨリの状態は見せていただきました。あんなに仕上げていただきまして誠に感謝に堪えません。このお礼は必ず」


「いえ、ナツヒヨリが勝ってくれることが何よりの礼ですよ」


 ぶっちゃけ使った費用としては引退レースの賞金全部貰っても払えないんだよな。比喩抜きで小銭扱いだ。アプリ産の食品を大量に使ったからなぁ。

 宣伝だと思って割り切ってるが。


「それは…。はい、勝って見せますよ!」


「よろしくお願いします。引退の件に関してはいつ報知されるので?」


「レースの一週間前の休日…。今週の日曜日ですね。高知競馬のオフィシャルWeTubeで記者会見をしようかと」


「なるほど、必要でしたら私も臨席しますが」


「本当ですか! それはありがたいです。鈴鹿さんに協力していただいたことも皆さんに知っていただきたいですから!」


 そんなに喜ばれるとむず痒いな…。俺は間違いなく負けたまま引退させた方がいいと言う輩が湧くだろうから、それを注意する役回りの人間が必要だと思ってのことだったんだが。


 まぁ、万が一のためにも知り合いの記者に声かけとくか…。


 

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