2039年末のまとめ
「社長」
山田君が声をかけてくる。
「んあー?」
「あ、駄目ですね。使い物になりません」
「皇太子殿下と総理大臣の間を保つのは流石にきつかったみたいですね」
山田君と大塚さんが呆れたように言う。
やめよう、その話は。また一つトラウマが増えたぞ。
「んあー…」
「社長」
「はいぃ?」
「仕事の邪魔なんでお馬さんたちと遊んできてください」
「はい」
大塚ママの手厳しい言葉で事務所を追い出される。レジェン慰めれー?
「レジェーン!」
レジェンの居る馬房に行くと。ブヒュっ、と冷静な顔で飯食ってるから…。みたいな反応をされた。
今日は女性に塩対応される日か?
「社長、なにか御用ですか?」
樫棟厩舎担当のスタッフが俺に尋ねてくる。
「あー、仕事の邪魔だって追い出された」
「ここ二、三日腑抜けてましたもんね…」
レース後のストレスがね…。
仕事自体はやってたから許してちょんまげ。
「よいしょっと…。グリは他の馬と違ってグルメで大変です」
「まぁまぁ、それ以上に稼いでくれてるから」
「それもそうですね。ほら、おかわりだよ」
レジェンは早食いの気があるから、食事は小さな飼い葉桶に複数回に分けて食べさせる。
ガツガツいくと疝痛の原因になるからな。お、デザートはメロンか。幸せそうに食べるなぁ。
「美味しいか?」
無言で首肯するレジェンを見て満足したのでスタッフに挨拶して厩舎の外に出る。
季節は秋から冬に変わり、ジワジワと寒くなってきた。そろそろ新しい馬着を発注しないとな。
「あら社長。寒空の下でなにしてんの?」
白衣の上からコートを纏った尾根さんが俺に話しかけてきた。胸には薄茶の紙袋を抱えている。
「尾根さんこそ」
「アタシはマスターのとこにコーヒー豆を取りに行った帰りよ」
「そういや昨日店に行ったらいい豆が手に入ったってウキウキだったなマスター…」
ウェイトレスの牧島と味の講評をあーじゃないこーじゃない言ってた気がする。
「アンタ暇なの?」
「大塚さんに遠回しに休めって言われてるもんだよ」
彼女に気を遣わせてしまってるね。
「じゃあアタシの城に寄ってきなさいよ。コーヒー出してあげるわ」
「わーい」
ーーーーーーーーーーーーー
「はいどうぞ」
「どもども」
いつものビーカーコーヒーですわ。熱いからってカバーついてるけどビーカーの意味ないのでは?
そんなことを思いつつ、フーフーと冷ましながら一口飲む。酸味が強いな。
「どうよ?」
「すっぺぇ」
「子供ねぇ」
舌を出す俺を見てクスクスと笑う尾根さん。シレっとミルク足したの俺見逃してないからな。
二人でもう一口ずつ飲み、無言の時間が流れる。
「悩んでるのかしら?」
尾根さんが口を開く。
「うーん、多少は」
「当ててあげましょうか?」
「俺が悩んでることなんて一つしかないでしょうに」
「あら、つまんなーい。
で? アンタの娘は今後どうなるのかしら?」
尾根さんは俺の悩みを当然理解しているみたいだな。
レジェンはこのまま現役登録をしたまま来年を過ごす。出走は人気投票で決まるグランプリの宝塚と有馬だけだ。これはもう決定事項。出走の二か月前には栗東のトレセンに戻るが、それ以外は桜花牧場で過ごす手筈になっている。
「アタシはどっちかに振り切ったほうが良かったと思うけど」
「言いたいことは分かりますよ」
レジェンの半引退。原因は脚のダメージだ。
アプリのアイテムは疲労は癒せても脚に残る根本的なダメージは治せない。厳密には治せるアイテムはあるのだが、競走馬としては死んでしまう諸刃の剣だ。アクリームボスに使用したあの薬がいい例だな。
尾根さんの診察、そして魔法の手帳の解答により後二戦。それも間隔をかなり空けての出走ならいけると判断し、それならばと今まで応援してくれたファンのみんなに恩返しするつもりでグランプリを獲って引退しようとオーナーとして決めた。
だが、本当にレジェンのことを考えると、ジャパンカップで引退してしまうべきだったのではと今でも悩んでいる。
きっとこれは彼女が現役を終えるまで答えの出ない問題なのだろう。
「社長」
不意に尾根さんが酷く真剣な声で俺を呼ぶ。
「一度決めたことで悩まない。貴方が私たちの頭なのよ? 貴方が悩めばそれだけ下の意見もブレるわ。
いつも通り頭からっぽのまま自分のやりたいようにすればいいのよ。私たちもそう望んでる」
尾根さん…。
そうか、そうだな…。確かにらしくないかも知れなかった。
「よし! ありがとう尾根さん! 俺! 至らんことをするよ!」
「違う、そうじゃない」
ーーーーーーーーーーーーーーー
早いもので年末。牧場に正月もクソもないがね!
有馬記念ではグレイトフルエリーが王道の先行策で見事後続に四馬身差をつけて勝利し、有終の美を飾り引退した。今後は北海道で繁殖牝馬になる予定だそうだ。
スピード、スタミナ、タフネス兼ね備えた名牝だからな。是非いい仔馬を産んでほしいものだ。
ところで。
「リンガンナーティですって!」
「あのタフネスですよ!? シャルロウショックがベストですって!」
はい。レアシンジュになにを付けるかで新田騎手と山田君が戦争を起こしております。
あー、めんどくせ。
そもそもまだ種付けシーズンじゃないんですけど!? そもそも産駒大暴れのせいでその二頭は種付け料とんでもない額になってるんですけど!?
「大塚さーん!」
「好きにやらせてたら勝手に静かになりますよ」
まさかの対処療法で対応しろと?
相棒だから新田騎手もヒートアップしてるしさー。山田君はいつも通りだしさー。そもそも来年二歳になる馬たちを写真で記録に残そうって放牧地に来てるのにギャーギャー騒ぐせいで誰も寄ってこないじゃなーい!
もう! 大塚さんの後を歩いてる始祖三頭をもふもふしちゃる!
「ダーレー…。お前臭いぞ」
なんか生乾きの雑巾みたいな臭いがする。
「三匹ともさっきミルクひっくり返した中でじゃれてたので酷い臭いがしますよ。散歩ついでに仕事済ませてから洗おうと思ってたので」
どーりで!
「クソ! 分かった、一頭一頭俺が捕まえてくるからさっさと写真撮って事務所に帰ろう!」
「お願いしまーす」
まずはフィンキーから捕まえるか。
奴は以前にも言った通りカンノンダッシュの38だ。スピードはかなりあるがスタミナ管理ができない、そして甘えん坊。短距離のダート向きってところかな。俺自身のルールとして、自馬と依頼があった時しか魔法の手帳でこれから競走馬になる仔馬の情報を調べないようにしている。ある程度の制限がないと全て手帳の情報で済ませてしまいかねないからな。ある種の自重のようなものだ。
いつも通り走り回ってクタクタにさせて、はいチーズ。遊びに行ってきていいぞ。
次はジェネレーションズの38、フレーと呼ばれている。
フレーメン現象をよくやってるからだ。体躯が小さく、このままいくと430キロ前後にしか育たないだろうなと思っている。はいチーズ。
三頭目はウェスコッティの38。俺のトラウマな。
この子は買い手が決まっているからあだ名はない。順当にオールマイティな距離を走れそうな身体になってきている。足元がちょっと弱い気がするのが注意点ってところか。はいチーズ。
四頭目はロストシュシュの38。ヘルスと呼んでる。
病弱気味の子だ。彼女は競走馬になるのは厳しいかもしれないな。成長と共に治ってきたりするし、経過観察中ってところだ。はいチーズ。
五頭目はリリカルエースの38。リトルエースがあだ名。
この子もロストシュシュの38と同じく競走馬になるには厳しいかもしれない。身体のつくりが悪く右足に負担がかかる走り方になってしまっているのだ。競走馬登録するなら矯正は必須だな。はいチーズ。
はい、モウイチドノコイの38。愛称はロドピス。
跳ねも加速も得意な障害競走で大活躍すること間違いなし。ウィルも太鼓版の彼女。
ウィルが二億積むと言っていたがG1で活躍できるクラスの馬だからそれも間違っていないだろう。はいチーズ。
七頭目はセンガンドリルの38。俺はノンと呼ぶ。
のんびり屋で牧場の隅でよく寝ている。走るとなかなかなんだがやる気がないタイプだ。買い手はつくかな? はいチーズ。
最後はタッチダウンの38。おそらく一番の曲者。あだ名はラグ。
気が付いたらずっと走ってるんだよな、こやつは。ステイヤー気質なのは親譲りなんだろうが、イマイチ加速が下手なのでダートの長距離向きかなと思う。はいチーズ。
「よし、終わった」
「それではこの子たちを事務所でお風呂に入れてきますね」
大塚さんは三匹を抱えてピューっと効果音が付きそうな速度で事務所に帰っていった。我慢してたけど臭かったんだろうなぁ。
俺が納得してウンウン頷いていると。
「やっぱりリンガンナーティ!」
「いやシャルロウショック!」
まだやっとんのかいな…。
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