祭りの後の各陣営

 遠い極東の地から十二時間強かけて帰宅したウィルがリビングのソファにゆっくりと腰を降ろす。

 彼はふぅ、と一息を吐いてソファに背中を預けた。

 言葉には出さないが動きが、疲れたと全身から発している。

 ウィルが目頭を揉んでいると玄関から音が聞こえた。この家に住んでいるのは彼と彼の弟と娘しかいない。おそらく娘だろうと、彼は考えた。


「ただいまー。あ、お父さん帰ってたんだ」


「うん、さっき帰ってきたばかりだ」


 買い物袋を冷蔵庫の前に置いて、娘のオリビアは自家製のオレンジジュースを注ぎウィルの目の前のローテーブルに置いた。


「どうぞ」


「ああ、ありがとう」


 ゴキュリゴキュリと音を鳴らし喉が上下して、ドンドンとグラスの中身がウィルの体内に消えていく。

 

「一気飲みは身体に悪いよー」


 冷蔵庫に食品をしまいながらオリビアはウィルに注意する。


「ぷは…。やはり慣れた飲み物が一番肌に合うね。日本では水道水まで美味くて妙に落ち着かなかった」


「美味しくて落ち着かないって何よ」


 クスクス笑いながらオリビアは一切れのミートパイをローテーブルに置き、空いたグラスを持ってキッチンに戻る。

 その後ろ姿を見て、ウィルは帰ってきたんだなと実感した。


「負けたよ」


「見てた」


「強かったよ」


「知ってる」


 身内だけに伝わる短い言葉で語り合う二人。


「だって、鈴鹿の娘だもの」






ーーーーーーーーーーーー




「なにしょげてんだボケナス」


 レース後からずっと落ち込んだままのリッドの尻をトッドが蹴とばす。

 この状態で飛行機での機内食はバクバク食っていたのだから全くお笑いだとトッドは内心呆れている。


「俺がちゃんと乗ってたら勝ててたかもしれない…」


「終わったことを引きずるなっていつも言ってんだろ?」


「でも」


 トッドの手刀がリッドの頭を襲う。痛みを伴わない軽いものだ。


「正直よ、俺はグリゼルダレジェンが最初の坂を超えたときに俺は負けたと思ってた」


 思いがけない父の言葉にリッドは唾をのむ。


「他の陣営もそうだっただろうぜ? それぐらい外から見た時の奴さんの走りは完成されていた。美しささえあったさ。

 諦めなかったのは戦っていたお前らジョッキーだけだ。お前らだけが最後まで勝てると思っていたんだよ。

 精いっぱい戦った結果がアレならしょうがねぇんだ。次があるさ」


「親父…」


 騎手になり初めてかもしれない父親の優しい言葉に、リッドは静かに涙を流す。

 トッドは空を見上げてそれを見てないふりをした。





ーーーーーーーーーーーーー




 フランス某所の会見場でジョアンは数多くのフラッシュに囲まれながら笑顔を浮かべる。


「ボール・ド・レーヌ新聞です。今回の大一番、ズバリ敗因は?」


「いやー、グリゼルダレジェンが強烈に強かったことだね。僕たち、アメリカ、ドイツ、イギリス、日本のその他の陣営、各々がベストのコンディションに持っていけていたのに地力で負けていたよね。作戦勝ちの側面もあるかもしれないが大逃げはそもそもスタミナとスピードと根性がなければ成立しない特殊な脚質だ、それに加えてグリゼルダレジェンはどの脚質もいけると聞いていた。つまり彼女は馬としてかなり賢いんだ。おそらくジャパンカップでは走りつつ鞍上の浅井騎手とペースの相談しながら進んでいたんだろうね。彼女の、いや彼女たちのペースキープは実際お見事だったよ、ラップタイムのブレが殆どなかったんだ。あの速度でだよ? 出来るかい? 僕は無理だよ、本当に凄いことを当たり前にやっているんだあの陣営は。それを踏まえれば負けたのも当然と言えるかもしれないね。HAHAHA!」


 オタクは好きなことを喋ると早口になる。

 記者たちはいつもと違う様子のジョアンに驚きつつも次の質問を飛ばす。


「アイリス新聞です。レースの後グリゼルダレジェンは半引退になると公式で発表されましたがどう思われますか?」


 ジョアンは耳を塞ぎ、記者の話を入れないようにした。


「聞こえない」


「あの…」


「あー、あー、聞こえない。グリゼルダレジェンが引退なんて聞こえなーい」


 過激派オタクは厄介である。

 何とも言えない表情で別の記者が質問する。


「マーガレット新聞です。シースタイルの次走はいかがでしょう?」


「とりあえず、まだなにもってところだね。来年までにオーナーと相談かな」


「国内で凱旋門連覇も視野に?」


「うん、ありえるね。シースタイルも伝説に負けてないって極東に届けないといけないしね」


 ジョアンの凱旋門賞連覇発言でフランス内外が盛り上がるのはまた別のお話。






 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー




「うまくいかねぇ遠征だったな」


「しょーがねぇさ、競馬の九割は事前準備で一割は天運だ。」


「それ言ったらあんな名馬と対戦出来たんだから超ラッキーじゃねぇか俺ら」


「ははは! ちげぇねぇ!」


「あ、シーダ。キャビンアテンダントにビール頼んでくれよ」


「おうおう、おねーさんこの死にかけのおっさん二人にキンキンに冷えたビールをおくれー」


「誰がおっさんだよ!」


「俺とオメーだよ! 間違ってるか!?」


「いや合ってるわ!」


「「ハッハッハ!」」






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「お疲れさん」


「ああ、大河内オーナー」


 吉が美浦のトレーニングセンターでお手馬の調教を行っていると、グレイトフルエリーのオーナーである大河内が彼を訪ねてきた。

 

「クラブ馬見回りのついでですか?」


「んにゃ、クラブ馬の見回りがついでさ」


 大河内は軽口を叩くが個人所有のグレイトフルエリーも自身の経営するクラブ馬の馬も同等に愛していることを吉は知っている。

 …愛しすぎて興奮のあまりレース後に気絶するのはどうかと思うが。


「エリーの次走の件ですか」


「うん、まぁ、先生からは言いにくいだろうから僕から言っとこうと思ってね。

 エリーは次の有馬で引退だ。もっとも人気投票で選ばれればの話だがね」


 言葉の割にはあのジャパンカップでの激走で選ばれないわけがないと自信満々のようだ。


「寂しくなりますね」


「レアシンジュとエリーは今年で引退、グリゼルダレジェンも来期は春秋グランプリだけ。一気に強者が脱落するね」


 吉からすればエリーの鞍上としてグリゼルダレジェンに借りを返せないのが悔しくてたまらない。そんな気持ちを表に出さず、吉は続ける。


「来年は桜花牧場の二世代が出てきますから競馬界隈は盛り上がったままですよ」


「そうか…。そうだったな。吉くん、鈴鹿さんに一頭譲ってくれないか話繋いでくれない?」


「それ、クラブ経営オーナーの皆から言われてます」


「だよねぇ…」


 たはは、と苦笑いを浮かべて頭を掻く大河内。クラブ馬の見回りの途中だったようで挨拶をして厩舎の方へ戻っていった。

 

「俺も…」


 グリゼルダレジェンにもう一度乗ってみたかったなあ。言葉にならない考えが秋風に乗って消えていった。



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