東京1800メートル、府中牝馬ステークス

「やる気満々って感じだな」


 レース前の控室で沼付は新田に声をかける。


「当然ですよ、負けるわけにはいきませんから」


「おーこわ。まぁ、軒並み出走回避で俺も乗り替わりだしな。実際、レアシンジュとグリゼルダレジェンのマッチレースだよな」


「珍しいですね、弱気ですか?」


「油断したら浅井ちゃんとオメーのケツから一着掠め取るから油断すんなよってことだよ」


 勢いよく新田の尻を叩いて水を飲みに行く沼付。彼なりに少し気合が空回りしそうな新田に喝をいれたのだろう。


「新田さん」


 入れ替わりに浅井が新田に声をかける。その瞳には決意が溢れており戦意十分といったところだ。


「浅井さん、今日は。いや、今日こそは勝ちます。これだけは譲れません」


「新田さん…。ええ、全力で来てください。勝つのは私たちです」


 パドック周回も最終周回に入るためジョッキーたちが控室から飛び出していく。

 それに倣い浅井も新田より先に走り出すが、一歩止まって。


「鈴鹿オーナーがこのレースが終わったら島でみんな集まって宴会しましょうって言ってました。レアシンジュが怪我をせずに競走生活を終えられたお祝いを」


 再び駆けだす浅井。それを見て、新田はフッと笑い。


「これは絶対に怪我を出来なくなったな」


 新田は一人ごちると、はよ来いと頭で合図する相棒に向けて走り出した。






ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




『ーーーーー安森さんはそうすると、このレース一体本命は何にされたんでしょうか?』


『私はー、えー、レアシンジュですね。彼女にとって最終レースですから応援馬券として購入しました』


『安森さんはレアシンジュですか。大逃げの彼女、レアシンジュがレースを牽引していくと思われます。最後に、18番ヴァイザシュタインがゲートに入って! スタートしました!


 レアシンジュ最高のスタートで一完歩二完歩、グングングングン加速して突き進む! 既に番手とは七馬身近く開きが出た! 大きく離れた場所におっと珍しいグリゼルダレジェンが先行位置について三番手! 二番手には沼付騎手が操るサファイアブラッドが内を攻める! 速い速い! なんというペースだ! 3ハロンを過ぎた時点でハナのレアシンジュと最後方との差は二十馬身差ではきかないぞ! レアシンジュと先行勢だけの旅になってしまっている!

 レアシンジュが逃げる! レアシンジュが逃げる!!

 四番手以下はもう見えない! なんという高速馬場だ! これはもう存在しない東京1800のG1だ! 一歩も緩めずに先頭のレアシンジュがターフの上を駆け巡る! 1000メートルを通過した! 恐ろしい! 恐ろしいぞ! 最後方とは三十馬身近い差だ! 足は大丈夫なのか! 1000メートル通過時点でのっ!? 56秒9!? スプリント戦と変わらないタイムだ! これはイケるのか!? イケるのかレアシンジュ! さあ! 最終コーナーにレアシンジュが! レアシンジュだけが最終コーナーに入ってきます!

 残り2ハロン! グリゼルダレジェンも芝を抉り飛ばしながら前を狙う! サファイアブラッドここで垂れた! もう前には二頭だけ! 今年の代表馬ともいえる二頭が最後の! 最後の追い比べだ!!

 負けるなレアシンジュ! 負けるなグリゼルダレジェン! 走れ走れ! 余力はいらぬ! これが最後だ! グリゼルダレジェンが今! レアシンジュに並んだ! 並んだままゴールへと駆け抜けた!! 二頭並んでゴールイン! 実況席からでは勝者は全く分かりません!』


『素晴らしい…。本当に素晴らしい戦いでした…』


『えー、写真判定ですが安森さん。どちらが勝ったと思われますか?』


『難しいですねぇー。私はもう同時にしか見えなかったです』


『ですよね。あ、ターフでレアシンジュが立ち止まっています!』


『あー、凄い勢いで呼吸してますね。新田騎手もマズいと思ったのか下馬しました』


『56秒9の殺人ペースですからね…。お、天王寺調教師がターフに出てきました。馬運車を呼ぶのでしょうか』


『どうでしょう…。あ、馬運車が入ってきましたね。自力での歩行は厳しそうということでしょうか』


『怪我がないことを祈ります…。いやに審議が長いですね』


『接戦でしたから、こうも長いと同着の可能性を疑ってしまいますね』


『重賞での同着となるといつぶりぐらいでしょうか、29年のシルクロードステークス以来でしょうか?』


『そうですね、およそ十年間起こらなかったんですねぇ』


『それぐらい珍しいことですね。はい、審議ランプが消えました! 結果は…』


『おおー! 同着!』


『同着! まさかの同着! ライバル同士の最終決戦はまさかの結果! 同着です!』






ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




 疲労でダウンしているレアシンジュの馬房の前で天王寺と新田はレース結果をひたすらに待っていた。


「やったぞ良治! グリゼルダレジェンと同着だ!」


 まさかの同着という結果に天王寺が手放しに喜ぶ。しかし、新田の表情は晴れなかった。

 それを見て天王寺はハァと一つ息を吐き。


「落ち込んでんじゃねぇぞへなちょこ!」


 全力のチョップを新田の頭部に炸裂させた。


「ったぁ! なにするんですか!」


「るっせぇ! どうせテメェまた勝てなかったとか思ってんだろボケェ!

 レアは勝ったんだよ! 同着は両方の勝利だって決まってんだからよ!」


「でも!」


「でももストもねぇ! レアは頑張って頑張って苦しいのも耐えてやっとグリゼルダレジェンから勝利をもぎ取ったんだ! 相棒としてへこむよりまずやることがあるだろうが!」


 痛みで頭を抱える新田がハッとした顔でレアシンジュを見つめる。

 レアシンジュは「さっさと褒めろ」と言いたげな表情を浮かべていた。


「ああ、ごめんなパル子…」


 それに気づいた新田は丁寧に丁寧にレアシンジュの首を撫でる。レアシンジュは気持ちよさそうに新田の手を受け入れる。

 天王寺はその光景を見ながら、小さく呟く。


「最後に勝てたんだ。やったじゃねぇか」


 悔恨や無念をないまぜにしたその声に新田の手は止まった。


「横に並んだんです。次は追い越せると思ったんですけどね…」


「それはレアの子供に任せるってこったな。今は伝説の牝馬に肩を並べたことを喜ぶこった。

 競馬ってのは子供に願いを託すもんだからよ」


「そう…、ですね。パル子の子供に乗せてもらえるように頑張らないと!」


「鈴鹿オーナーのとこで世話になるんだ。グリゼルダレジェンみたいなのが産まれるかもな」


「ははは…。笑えないですね…」


 慈しむようにレアシンジュを撫でていた新田は顔を引き攣らせるのであった。




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