幕引きの理由

 トラウマを抱えたイギリス旅行から帰島して一週間。

 時期は十月の初旬になったので、そろそろ真面目に府中牝馬に向けて作戦を絞らないといけなくなってきた。

 と、いうことで栗東のトレセンにやってきたのだ。羅田さんは所用で席を外しているらしいので厩舎のレジェンの元に。


「レジェーン」


 ブルルと機嫌よさそうに、撫でれ撫でれと鼻先を出してくる。うーん、うちの子めんこいわ。


「お待たせしました」


 息を上げながら厩舎に滑り込んできた羅田さん。ちょっと痩せたほうがいいよ?


「ふぅー…、面倒な事が起こってまして」


「どうせレジェンを秋華賞か菊花賞に出せって上がごねてんでしょう?」


 息を整えながら、困ったように笑う羅田さん。ビンゴのようだ。


「よくお分かりで」


「俺がその人たちの立場なら頭抱えてますからね」


 変則とは言えど、クラシック四冠か牝馬三冠にリーチかかってんのに府中牝馬行きますは最高にアホだからな。


「どうにかして出走変更してくれないかと頼んでくれとしつこいのです…」


「気持ちはわかりますが、鬱陶しいですね」


「実際、私が拘束されて調教に支障が出始めてます」


 迷惑な話ですよ、と羅田さんは冗談めかして言う。

 

「だとしても、府中牝馬だけは走りますよ。これが最後のチャンスです」


「? 対決は来年でも構わないと思いますが?」


「いや、無理なんですよ、それが」


 レジェンの首筋をガシガシ撫でながら答える。


「おそらく、レアシンジュは今年…。府中牝馬の後にマイルチャンピオンシップでも走って引退するでしょうね。もしかしたら府中牝馬で引退かも知れませんが。

 彼女の足はもう限界まで来てしまっていますから」


 羅田さんの顔が驚愕に歪む。聞きたくなかったって顔だ。


「それは新田騎手から?」


「いえ、でも馬を大事にする天王寺さんなら俺と同じ答えを出すと思いますよ」


 レアシンジュの脚質は逃げ、しかも負担が通常よりかなり大きい大逃げだ。

 彼女自身の身体能力で回復自体は速いがダメージ自体はかなり残っているはず。言うなれば、RPGでグングン自動で回復するパッシブスキルがあるけど最大HPの上限が減っている状態だ。

 サラブレッドの足は消耗品、だからな。レアシンジュの足は擦り切れるところまで来ちまってる。

 俺の目で見て判断したが、魔法の手帳の見解もほぼ同じだった。


「なるほど。それで府中牝馬に出走を?」


「いえ、これに気づいたのが夏にレアシンジュが島に遊びに来た時なので」


「名誉を捨てたのは素だったんですね…」


 ボソリと「勘弁してくださいよ」と羅田さんは呟いた。







ーーーーーーーーーーーーーーー





「良治」


「先生!」


 新田が美浦のトレーニングセンターでお手馬の洗いをやっていると、所属先の上司である天王寺が話しかけてきた。

 その声はいつもの厳しい声ではなく、子供を諭す親のような優しいものだった。


「検査の結果が出たぞ」


「そうですか…」


「聞くか?」


「いえ、想定していた通りなんですよね?」


「そうだ。レアの足はもう限界に近い。走れて後二戦、無理をすれば最悪レース中に…」


 新田は洗っていた馬の首元を撫でつつ。ふーっと息を吐く。


「覚悟はしていたつもりだったんですがね」


「鈴鹿オーナーに感謝せんとな。あの人の慧眼のおかげで壊れる前に気づけた」


「まったく馬に関しては凄い人ですよ」


 から笑いでお互いを見合う二人。どうにもいつもの調子ではない。

 それも当然である。厩舎でも特にかわいがられていたレアシンジュだったが、幾たびのグリゼルダレジェンとの死闘を乗り越えて、厩舎陣営一体で勝ちたいと願っていたのだ。それがあと一回だけのチャンスだと知れたら空気は重くなる。


「府中牝馬にわざわざ出走してくれたことと言い、本当に彼には頭が上がらん」


「螺子山オーナーも直接お会いしてお礼を言いたいって言ってましたね」


「鈴鹿オーナーは面倒を嫌って馬主席にはいかないらしいからな…。

 良治、今度島に行ったとき鈴鹿オーナーに螺子山オーナーがお礼を言いたがってるって伝えといてくれるか?」


「了解です」


 言葉を返し、洗いの道具を片づけつつも天王寺のほうを見やる新田。

 彼から見た天王寺の表情は無念に満ちたものであった。






ーーーーーーーーーーーーーーーー




「うぉおん! レアシンジュとレジェンの戦いが次で見納めなんて…」


「山田君、顔がすごいことになってるよ」


 新田騎手からの報告で、やはり天王寺さんはレアシンジュの引退をオーナーさんに進言したそうだ。引き際が分かっているあたり、美浦のトップトレーナーだけはある。

 

「ははは…。そんなに悲しんでもらえるなら彼女も本望でしょう」


 ドン引きだぞ新田騎手。


「むしろ、彼女にとって良かったのかもしれません。次の一戦に全てをかけられますから」

 

「おやおや、これは厳しい戦いになりそうだ」


 したり顔で新田騎手を見る。新田騎手も好戦的な笑みを浮かべていた。


「最後ぐらいはグリゼルダレジェンに膝に土をつけたいもので」


「王者として、そうさせるわけにはいかないなァ」


 表情を解き、新田騎手と笑い合う。

 お互いに最後の戦いを楽しみにしているのだ。


「そういえば、レアシンジュの引退後はどうするんです? 北海道の牧場に帰って繁殖牝馬に?」


「そのことでオーナーから鈴鹿オーナーにご相談が…」


 おや、レアシンジュのオーナーさんがか?

 確か、彼女のオーナーは馬産とは関係ない職業だったはず。写真家だったかな? お互いに予定が合わなくてお話したことはないんだが、なかなかイイ性格してるらしい。


「もしかして! うちで繁殖牝馬に?」


「そのまさかです」


「ほう…。そいつは…」


 はて、レアシンジュの産まれた北海道の牧場はまだ閉業していないはずだが?


「パル子の生まれ故郷の…、レストファームって牧場なんですが経営うまくいってないらしくてですね。

 庭先取引の条件で、引退時に繁殖馬としての引き取りをする代わりに安く売るって話だったんです。でも牧場で引き取っても種馬を付けるお金が捻出できないだろうとのことで…。

 だったら仲のいいグリゼルダレジェンのいる桜花牧場で面倒を見てもらえないかと」


「つまり、繁殖牝馬としての買戻し権がスライドしてこちらに回ってくる代わりにお金が欲しいってことで認識していいのかい?」


「有り体にいえばそうですね」


 ふむふむ、来期は人を拡充するし都合はいいんだが…。

 オーナーさんと牧場の方と俺とで一度話し合いの場を設けるか。


「了解した。一度、関係者で話し合うよ」


「ありがとうございます! あ、桜花牧場に引き取られることになっても次のレースは手を抜きませんから!」

 

「その意気やよし! これを上げよう!」


 新田騎手にイギリス土産を大量に渡す。否、押し付ける。


「こ、これは?」


「イギリス旅行で買いすぎたから持って帰ってくれ。速くさばかないと大塚さんに怒られるから」


 港にお土産の入ったコンテナを置いたら、買いすぎだってマジギレされたからな…。




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