強者無しでは戦えぬ
「うーむ」
「どうなさいました?」
木曜日、レジェンの足のマッサージをアプリ産チートアイテムのコロコロマッサージャー足首癒すクン(お値段二千万円)でしながら唸っていると、羅田さんが様子を見に来てくれた。
「レジェンの体調は戻りました」
「ええ、ほぼ完璧と言っても過言ではありませんね。お見事です」
手放しに褒めてくれる羅田さん。水から餌まで俺が全部管理してケアもやってるからね。金かかってる分、そりゃ回復するよね。
「浮かない顔ですね? 何か問題が?」
「ええ、やる気がないです」
「やる気?」
2400メートルのレースを走って翌週にもう一度なんて、俺たち人間がフルマラソン走った翌週にもう一回と言われているのと変わらない。たとえ身体が回復してもよほど走るのが好きじゃなければ嫌気がさすだろう。少なくとも俺は嫌だ。
つまり、身体はいつでも走り出せるのだがレジェンの気分が全く乗っていない状態。
これがきつい。気分ばかりはどうしようもないのだ。
「なるほど、ならば明日は好きなように走らせて見ましょう」
「よろしくお願いします」
「あ、出走表を提出してきました。無論、除外等はありません」
「ありがとうございます。これでもう本番に備えるだけになりましたね」
明日の調教の打ち合わせをして俺はホテルに帰還した。
スマートフォンの電源を入れると山田君からメッセージが。落ち着いたら連絡をくれとのこと。
そのままスマートフォンを操作して山田君に電話をかけると、ツーコールで繋がった。
「お疲れ様、なにようだい?」
「お疲れ様です。ウィルさんが帰国なされたのでとりあえずのご報告をと」
「うん、ありがとう。彼はどんな様子だった?」
「一番驚いたのはにらめっこですけど、ウェスコッティと気軽に挨拶してたのも驚きましたね。
繁殖牝馬の中では彼女はわりと気難しいので」
「ウィル調教師は馬とのコミュニケーションを欠かさないタイプらしいから覚えてたんだろうねぇ。
ウェスコッティの仔馬はどうだって?」
「購入するとのことです。引き取りと値段交渉は来年行う契約を交わしてたんですよね?
来年に来島するときはキャッシュで三億持ってくるからよろしくとのことです」
「あー、本気で来るつもりだね。資金回りもクリーンになりそうでなにより」
「この規模の牧場でどんぶり勘定って酷いですけどね」
「あーあー、きこえなーい。ほいじゃ日曜日に現地でー」
「あ! ちょっと社長! 大塚さんがーーーー」
なんか言ってたけど切っちゃったぜ。
明日も早いし、ご飯食べて寝よっと。
ーーーーーーーーーーーー
「やはり覇気がありません」
「うーむ、難しいですね」
翌日、元々軽めの運動に済ませるつもりの予定だったが、レジェンはまったくやる気がなくトボトボ歩いたり、ゴロンと寝転んで大きな欠伸をするなどして走り出す雰囲気はまったくなかった。
身体は万全だが気分が乗らず走りたくないのは明白だ。
「いや、困った」
「何か、手はないでしょうか」
「うーん…」
俺たち二人が頭を抱えて悩んでいると。
「よぉ、大人二人が雁首揃えて何やってんだ?」
久しぶりにあった気がする海老原のオッサンに話しかけられた。
そういえば彼のお手馬が目黒記念に出走するから早めに美浦に輸送しているのだったか。
「レジェンのやる気を出す方法知りません?」
「どうした急に」
いきなりの無茶ぶりに少し狼狽した海老原のオッサン。
しかし、ダラッとしたレジェンを見て納得したのかズカズカと近づいていく。
「レジの字、おめえさんの気持ちはわかるぜ。オークスが楽しくなかったんだろ?」
ニタリと笑い、レジェンに問いかける海老原のオッサン。
羅田さんと俺は顔を見合わせて頭上にクエスチョンマークを浮かべる。
「新馬戦、新潟2歳、サウジアラビアRC、阪神JF、チューリップに桜花賞。全部ぶっ飛ばして気持ちよく走ってたもんな。オークスで全力で走らなかったのが納得いかなかったんだろ?」
レジェンはスッと立ち上がり、正解だと言わんばかりに海老原のオッサン、いや、海老原調教師に鼻先をつける。
それを彼は優しく撫でると優しい声で「やっぱりな」と言った。
「羅田、鈴鹿の、これが答えだ」
「凄い今、調教師っぽいですよ海老原さん」
敏腕調教師だぞゴラっとヘッドロックを俺に決めながら拳でグリグリやってくるオッサンはきっと照れているのだろう。
だが、理由がわかっても肝心なことが解決できていない。
「ダービーには強い奴が出るから本気出せるぞー」
首筋を撫でながら言うが「ホントぉ?」と言いたげな顔でレジェンはこちらを見る。
一度も走ったことのない奴らだとそうなるか…。
そうだ!
「羅田さん! 天王寺調教師に渡りをつけられますか?」
「え? ええ、美浦のトレセンの事務所に連絡すればおそらくは」
「では、よろしくお願いします。レジェン! ちょっと歩こう」
ブヒュ? と鼻を鳴らしながらも大人しく引綱を付けられるレジェン。
俺の今考えたプランを聞けばレジェンもきっとやる気を出してくれるはずだ。
「羅田、きっとアンちゃん禄でもないこと考えてるぞ」
「牧場の人曰く、どうにもならないからことが起こってから怒ったほうが合理的らしいです」
「あの子たちも苦労してんなぁ…」
ーーーーーーーーーーーーー
「良治」
「先生、どうかしましたか?」
お昼の休憩時、調教スタンドにある食堂で新田は食事を取りながら束の間の休息についていた。
そこに現れたのは新田が所属している厩舎の主、天王寺。いつも通りの悪役面で近づいてきた彼は新田の正面の席を陣取って顔をグイっと正面に突き出した。
「朗報だぞ良治、神様ってのは頑張る人間にチャンスをくれるもんだ」
「? 何のことです?」
「リベンジできるかもしれねぇぞ、グリゼルダレジェンに」
「本当ですか!?」
バンっ、と椅子を後ろに倒して立ち上がる新田に周囲の視線が突き刺さる。
顔を真っ赤にしながら「お騒がせしました」と言って、再び席に着き新田も顔を突き出す。
周りにいた取材中の記者たちが何かあったと感じて聞き耳を立てているのはご愛敬。
「オークスでの走りがよほど楽しくなかったみたいで、奴さんはご機嫌斜めらしくてな。埋め合わせにレアシンジュと走らないかってオーナーが言ったらやる気だしたってよ。相変わらず頭がいい馬だぜ。
でもこっちが話しに乗らなきゃ約束を果たせないだろ? オーナーが俺に電話くれてな、さっき直接会って相談された。リベンジは府中牝馬でどうだってさ」
「府中牝馬ですか? 十月の第三週ですよ? 翌日は秋華賞ですし、クラシックの菊花は翌週ですよ?」
「奴さん、レアシンジュと戦えるなら牝馬三冠も前人未到のクラシック四冠もいらねぇってさ。まったくトンデモなオーナーだぜ。
ダービーはちゃっかり貰って後は好きに走るってつもりなんだからな」
ケケケと悪魔のような笑い声をあげながら腹を抑えて笑う天王寺に周囲の目がドンドン集まってくる。
それを無視して、スッと真剣な目に戻った天王寺は新田に問う。
「これを飲むか、断るか。お前が決めろ良治。レアのオーナーはお前が決めることを望んだぞ。
東京の1800メートルだ、レアなら走り切れる。それは調教師の俺が保証する、だがな、確実に無理はかかる。それに府中牝馬ステークスは定量じゃなくて別定だから俺らが獲る予定の安田に勝つと斤量が二キロ増える。総斤量は4歳以上と同じになるが、レアの走りは大逃げだ。競争寿命は確実に縮む、選べ」
「……、決まってますよ先生。当たり前じゃないですか。ライバルに戦いたいと言われて引き下がるほど腰抜けじゃないですよ、俺たちは」
「よし、決まりだ! まずは安田獲って奴さんと同一斤量にしないとな!」
ガッハッハっと大声をあげて食堂から出ていく天王寺、その後を何名かの記者が慌ててついていった。
新田は再びグリゼルダレジェンと戦える喜びを抑えながら、周りに詰めてくる記者と伸びきった昼食のラーメンをどうしようかと悩むのだった。
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