樫の戦場を超えて
オークスを終えた翌日。
レジェンはこのまま滞在競馬になるので美浦に厩舎をあらかじめ用意してもらっている。
いくら浅井騎手の手綱捌きで身体へのダメージは最小限と言っても無理は禁物と言うことで、大事を取って美浦に戻るのは今日の朝にしてもらった。
尾根さんのメディカルチェックも問題なしとお墨付きをもらったので東京優駿に出走することが決定だ。つまり、日曜までに体調をどこまで戻せるかがキーになる。
無論、アプリからのチートアイテムは無制限で使う。持てるものをもって戦わないと失礼だからね。
「社長、移動するわよー」
「はいはーい」
尾根さんはこのまま帰島してもらい、俺は美浦のトレセンで泊まり込みのケアをする。
「うぅ、尾根さん御達者で…」
「なにその猿芝居」
「普通に辛辣過ぎない?」
いいからさっさと馬運車に乗り込めと臀部に蹴りを入れられる。
ヒールなのに力の籠った蹴りだ。
ブツブツと恨み言を吐きながら苦笑いする運転手さんに挨拶をして席に着く。
馬運車の窓から尾根さんにじゃあ島で会いましょうと言ったところで、重要なことを伝え忘れたことを思い出した。
「あ、尾根さん」
「あによ? 席ついてシートベルトしなさいよ」
「水曜日に外務省の人が牧場に来るから山田君に牧場から離れないように言っといてー。美浦についたらスマホは必要な時以外切っとくから連絡取れないともお願い!」
一瞬ポカンとした顔をした尾根さんが、
「運転手! 馬運車止めて!!」
大声で叫ぶ。
ゆっくりと走り出していた馬運車はわずかな揺れとともに止まった。
そして、勢いよく馬運車のドアを開けて尾根さんが乗り込んでくる。
「吐け」
尾根さん、仮にも女性が人の顔を掴むときに万力みたいな握力出しちゃいけないと思うの。
ーーーーーーーーーー
制限時間があるので結局美浦のトレセンまで尾根さんが同行して事情聴取される羽目になった。
馬運車には運転手さん、俺、尾根さん、そして羅田さんがいる。
羅田さんは真っ赤な手の跡がついた俺の顔を見て爆笑してノックダウンしているがな。
「なんで、外務省が島に来るのよ」
「あー、ご心配なく。島の所有権がとかそんなんではないです」
「そこは信用してるわよ。それ以外に見当つかないから聞いてんの、さっさと吐け!」
いやん、めちゃくちゃ怖いわ。
「うちのウェスコッティがいるじゃないですか」
「そうね」
「あの子って持ち込み馬なんですよ」
「持ち込みって、外国産馬ってこと?」
イエスイエスと言いながら、ドンドン顔を近づけてきている尾根さんから逃げるように席に着いたまま体を動かす。
「それが何の関係よ?」
「屈腱炎の発症で現役を終えて直ぐにウェスコッティを買ったんですわ。その時の約束で初産の仔馬の購入権を売却してくれた馬主の方が持つって契約したのよ」
アプリ曰くだが。
仕事から帰って、寝て起きたときに座卓に契約書がポツンと置かれてたからビビったよね。
「ウェスコッティ…? うーん、聞いたことが…」
羅田さんが何かを思い出しそうになってウンウンうなっている。
「ちょっと待ちなさい。点と点で線が繋がったわ。つまり外国のお偉いさんの馬を買っちゃったってことね?」
「簡潔に言えば」
「でも、なんで外務省が」
「あああああああああああ!」
羅田さんが突然大きな声を上げる。
顔面は蒼白だ。
「ちょ、ちょっと羅田さん!?」
「尾根さん! 山田さんに早く連絡して差し上げてください! おそらくその島に来るお客さんは英王室の関係者です!」
一呼吸。
「はぁああああああああああああ!?」
ーーーーーーーーーーーー
「前が見えねぇ」
怒りに任せた尾根さんのマジパンチが俺の顔面に命中して、俺は気絶していたようだ。
既に美浦トレセンに到着している。
目が覚めたら馬運車は停車していて車内はもぬけの殻、どうやら置いてきぼりを食らったらしい。
「お、起きましたか」
「羅田さん」
ちょうどいいタイミングで羅田さんが様子を見に来てくれたらしい。
「尾根さんは?」
「既に帰られました。それがその…、伝言が…」
「尾根さんからですか?」
「えー、帰ってきたら覚悟しておけとのことです」
おいおいおい、部下から殺害予告されたわ。
「ウェスコッティはあのウェスコッティだったんですね」
「そういえば羅田さんは種付けの時に来てませんでしたね」
周知の事実だと思ってたがうちの牧場だと山田君しかオークス馬って知らなかったのか。
「普通は日本が絡まない外国の重賞までは確認しないかと。我々でさえ必要に駆られたらが多いので」
「え、オークス馬って伝えてたんだけどな」
「競馬に詳しくない人はオークスと言えば牝馬優駿だと思います…。
英オークスやCCAオークスなんて知らない方のほうが多いかと…」
いかんな、一気に競馬知識を詰め込んだツケが世間とのギャップで露呈してきた。
オークスが何個もあるって常識だと思ってたぞ…。
「とにかく、牧場の方たちは歓迎の準備を急いでするそうです」
「仔馬見に来るだけなんだけどなぁ」
俺の様子を見て羅田さんが胃を抑えながら、息をふーっと吐く。
「桜花牧場の方々も大変ですね」
「あ、わかります? 経営って大変なんですよね」
羅田さんは俺のその言葉を聞いて空を大きく仰いだ。
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