真珠色チューリップの花言葉

「鈴鹿オーナー」


「お疲れ様です、羅田さん」


 レース終了後の競馬場厩舎に入りレジェンと対面する。

 疲れてはいるが十分元気そうだ。


「浅井騎手は作戦を完遂しましたね」


 レジェンの首筋をなでながら笑顔で言う。


「粗はありましたが、見事逃げ切りました。彼女自身も納得しているでしょう」


 羅田さんも笑顔で肯定する。


「では、鞍上は継続ですね」


 新たに騎手を探す必要がなくなってよかったよかった。

 当の本人は12レースに連闘してるけどね。負ける気サラサラなかったってことだ、メンタル強くなって大変よろしい。


「しかし、あの激戦で流石のグリも疲れているようです。少しですが筋肉痛≪コズミ≫がでているみたいです」


「阪神1600メートルのレコードですからね…」


 そう、レジェンはコースレコードを更新したのだ。1000メートルの時点で56秒9の殺人スピードだったらしく前残りの四頭は等しく身体にダメージを残している。

 そんなレジェンにいいものを持ってきた。

 新しいバケツに持ってきた水を入れてレジェンの口までもっていく。

 するとレジェンは凄い勢いでその水を飲み始めた。


「お、おお。この水は一体?」


「スペシャル配合のスポーツドリンクみたいなものですよ。馬に合わせているので疲れきっていても飲みやすくしています」


 あっという間にレジェンは飲み干した。

 もう一杯と言わんばかりに嘶く。


「はいはいちょっとまってねー」


 持ってきていたクーラーボックスから新しく二リットルペットボトルを取り出して、水をバケツに注いでいく。

 その二杯目を飲み干すと満足そうにレジェンは馬房で横になった。

 もちろん、この水はただの水でない。アプリ産の回復薬、現代のポーションともいえる秘薬だ。その名も最高チョウシヨクナール水! 前にセールしていた飲み薬を水に溶かしこんだものである。今回は大逃げ作戦を取るので疲弊するだろうと思って事前に用意していたのだ。


「レジェン? それだけでよかったのか? まだまだあるぞ?」


 お腹いっぱいになったのかレジェンはブヒュンと鼻を鳴らして横になったまま返事をする。お眠のようだ。


「じゃあ、そろそろ俺は行きますね」


「え、ええ。浅井騎手に乗せ換えはないと伝えておきます」


「よろしくお願いします。あ、よければこの水を一緒に走った他の馬にあげといてもらえますか? 結構高いのでもったいないんで」


「はあ…。了解しました」


 よし、牧場に帰るべ。

 山田君は明日の弥生賞見るから別行動だしな。






ーーーーーーーーーーーーーーー



 新田は肩を落として阪神競馬場のレアシンジュがいる厩舎に来ていた。

 肩を落としている理由は誰の目に見ても明白だ。


「そう悔やむな、良治≪りょうじ≫」


「ですが、天王寺先生…」


 そんな新田の肩に手をやり励ます天王寺調教師。天王寺厩舎所属の新田はグリゼルダレジェンにまた勝てなかったことに責任を感じていた。


「最初は大差、次は5馬身、今は2馬身まで縮めた。次は勝てるさ」


 無論、そのような簡単な計算で競馬は成り立っていない。自身が強くなれば相手だって強くなっているのだ。天王寺だってそんなことは分かっている、新田の傷口を塞ぐための軽口なのだ。

 少し心が軽くなった新田はレアシンジュが眠っている馬房を除く。馬とはおおよそ思えない程度に大きな鼾をあげながらレアシンジュは横になっていた。


「激闘でしたから…。よっぽど疲れているんですね」


「おうよ、1000メートルが56秒9だぞ? 四頭の競り合いが加熱したからってとんでもねぇタイムだ、誰かが壊れてもおかしくなかったんだよ」


 サラブレッドの足は簡単に折れてしまう、それを承知で鞭で追った新田は自身の行為を反省した。だが後悔はしていない。


「パル子が行きたがってました。俺は約束したんです、パル子をグリゼルダレジェンに勝たせるって」


「俺もあんなに調教に出たがる馬は見たこたねぇ。今回の負けでまた走りたがるだろうな」


「何時間でも付き合いますよ、俺も次は負けたくないんで」


「バカ、何時間も走らせたら俺が調教師免許取り上げられるわタコ」


 天王寺が手に持った水入りのペットボトルで新田の頭を小突く。

 人が飲むには大きすぎるそれを見て新田は疑問に思った。


「えらく大きなペットボトルですね」


「ああ、羅田調教師が鈴鹿オーナーからの差し入れですが他の馬にもって譲ってくれたんだよ。あんまり量がなかったから俺らとエボルブマリンとグレイトフルエリー陣営にな。

 あのオーナーなら禁止薬物を混ぜるとかしねぇだろうし、何より予後不良間違いなしの馬を治すスーパー陣営だ。せっかくだからレアに飲ませてやろうと思ってな、お前が戻って来る前に飲ませたんだわ。

 そしたらよ、コズミが酷くてキュンキュン鳴いてたのに飲んだとたんグースカ寝やがったのよ。やっぱヤベぇ技術抱えてるんだろうな鈴鹿オーナーは」


「そうなんですか、僕としてはとりあえず怪我がなくてよかったですよ」


「怪我があったらお前がここにいるわけないだろ?」


 一度お手馬を骨折させたときに東京競馬場のダートに埋められそうになったことを思い出し新田は苦笑する。

 すぐに真面目な顔に戻して天王寺に問う。


「先生、オーナーは次走についてなんと?」


「桜花で雪辱を晴らしてくれってさ」


 レアシンジュのオーナーは利益よりロマンを追い求めるタイプの馬主だ、答えは分かっていたが聞きたい答えで新田は安心する。


「だがな、良治。次が最後のチャンスだと思え」


「分かってます先生」


 そうだ、レアシンジュにとってグリゼルダレジェンに勝つ、いや戦える最後のチャンスかもしれない。

 桜花賞は1600メートルのマイル戦、グリゼルダレジェンは勝っても負けても次走は牝馬優駿にするはず。これは非公式だが陣営の発表でもある。そのあとに東京優駿だとか嘯いているが天王寺は本気にはしていない。

 問題は牝馬優駿の距離である。東京競馬場で行われるこのレースは2400メートルの中長距離、レアシンジュはとてもじゃないがスタミナが足りずに走れない距離だ。 

 桜花賞で勝っても負けても、恐らくレアシンジュは六月の安田記念に向かうだろう。古馬に混ざっても勝ち負けに絡む実力は確実にあるからだ。そしてそのあとに秋華賞を目指す形になるはずだ。

 ここで、グリゼルダレジェンの出走が関わってくる。もし、もしもだが、鈴鹿が言ったレースローテーションならば秋は秋華賞でなく菊花賞に出る可能性が高い。日本競馬において五大クラシック競争と比べると秋華賞はどうしても格落ちになってしまう。鈴鹿なら桜花、優駿牝馬、東京優駿、菊花のトチ狂った選択をしてもおかしくないと関係者なら判断してしまうだろう。

 そんな特殊な信頼を鈴鹿は積み重ねているのだ。


「宝塚はどうします? 投票は集まりそうですけど」


「奴さんも出さんだろうしレアに2200は長い、桜花から安田で夏は全休になるだろうな」

 

「ですよね…」


 馬房の中のレアシンジュを見て、新田は闘志を燃やす。

 そんなとき、天啓が舞い降りた。


「先生、失礼します!」


「お、おい、どうした!?」


 急に厩舎の入り口に向けて走り出した新田に驚きの声を上げる天王寺。


「ちょっと恥をかいてきます! 強くなるために!」


 クエスチョンマークを頭に出す天王寺を尻目に、新田はグリゼルダレジェンの馬房へと駆け出したのだった。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る