街道中の霧中

 布団まで動くのが面倒で床で寝たら案の定。全身がバキバキだ。

 這いずりながら投げ捨てた布団の上のスマートフォンを目指す。

 スリープ解除したスマホに表示された時刻は六時ジャスト。家の周りを見て回るにはちょうどいいかもしれない。

 カッコつけてみるが視線は座卓の上の通帳。夢だけど夢じゃなかった!

 金庫なんてアパートの一室にあるわけないのでせめてもの抵抗として布団の下に隠しておく。

 昨日は着の身着のままで寝たので靴下だけ履き替えて玄関ドアの外へ。


「おぉ、絶景かな絶景かな」


 ドアを開けたらそこはオーシャンビューでした。

 今更疑っていないが目の前の景色は元々の俺の家があった中途半端な都会の光景ではない。オカルト状況をしょうがないで済ませる金の力ってすごいなぁと思いつつスマートフォンのマップアプリを起動。

 現在地は桜花島と表記されており、結構な大きさの島であることがうかがえる。

 マップアプリの現在地を記録しておく機能を使い自宅をメモしておく。これで迷っても大丈夫だ。


 家の目の前の左右に分かれた道を右側に歩き始めて十分ほどで青草が生え、馬柵がある場所に到着した。おそらくここが牧場だろう。

 なんとなく付近を眺めていると、


「社長。もう到着なさってたんですね」


 ツナギを纏った初老の男性が話しかけてきた。彼がアプリの指し示した職員だろうか。


≪職員と会話しよう。をクリアしました≫


「えぇ、昨日夜遅くに到着したのでね」


「それはそれはあの子に社長も夢中ですね」


「まぁ、そういうことです」


 玉虫色の回答でごまかす。あの子って誰よ。


「頼まれていました島の移動手段の確保ですが事務所の裏に置いてますんで後で確認お願いします」


「ありがとうございます。家から牧場までは近いとはいえ助かります」


 なるほど、自然な感じで受け渡されるわけか。


「お気になさらず。どうされますか? 事務所に行ってから厩舎へ?」


「そうしましょう。事務所はどちらだったかな?」


「あちらです。世話も終わっているんでご案内しますよ」


 男性はそう言って馬柵沿いの道を歩き出す。後を追っていくと大きな一軒家が見えてきた。

 牧場に携わったことはないが明らかに異質だ。


「まだ片付けが終わってないのでリビングスペース部分しか使えませんが今は十分だと思います。将来的には他の部屋は夜番の仮眠室にする予定になってます」


「なるほど。そのあたりは現場の判断に任せるよ」


 彼は笑みを浮かべて「お任せください」と言った。

 一軒家の鍵を開け中に入ると、なるほど。これは片付け中だというわけだ。

 玄関を入り右手の引き戸に行くまでの道しかフローリングが見えない。二階へ続く階段も段ボールで埋まってしまっている。

 引き戸を開くと一般大衆が想像する事務机が二つ鎮座してある。その奥にはシステムキッチンが備え付けてあり完全にただの一般家屋に事務机を置いただけだ。

 

「必要な書類はまとめて置いてます。飼い葉の発注書や馬柵の請求書などですね。事務員の大塚さんは三日後に到着予定ですんで急ぎの決済があるかもしれないので社長が目だけでも通しておいたほうがよろしいと思われます」


「あぁ、どうもありがとう。あの子に会う前に先にやっつけてしまうかな」


「そうですか? でしたら私は弁当屋に行って朝食を受け取ってきても?」


「構いませんよ。適当に私の分もお願いできますか?」


 わかりました。と彼は外に出て行った。原付特有の軽いエンジン音が聞こえるので弁当屋までの距離は結構あるのだろう。

 それより俺にはやることがある! 名簿探しだ!

 ふんわりした会話をしたが彼の名前がわかんないし! 大塚って誰って感じだし! 死活問題が降ってわいたぞ!


 必死になって机の上にある書類や立てかけてあるファイルを探っていく。

 これは資材の発注書! これは機械農具の領収書! これは芝の張替え工賃の見積もり! これは職員名簿! あった! しかも写真付き!

 どうやらあの初老の男性は妻橋さんと言うらしい。事務員らしい大塚さんは女性のようで、しかも美人。他にも俺を除いて三名在籍しているみたいだ。

 

「社長、買ってきました」


「あぁ、妻橋さん。ちょうど目を通し終わったところです」


「それはそれは、それでは朝食を食べてから参りますか?」


「そうですね。そうしましょう」



 朝食(のり弁だった)を取った俺たちは厩舎に向かった。

 事務所からあまり離れていない厩舎は二十頭が同時に生活できるように設計されており、十頭ずつの厩舎が大仲(厩舎にある関係者休憩所)を挟んで存在している形である。

 妻橋さんは大仲から向かって右を樫棟、左を秋華棟と呼んでいるらしい。よろしいでしょうかと聞かれたが分かりやすいほうがいいので追認した。

 あの子とやらは樫棟にいるので秋華棟から見ましょうとのこと。なにやら設備が少し違うらしい。

 秋華棟に入ってみると馬こそいないものの馬房がずらりと並び、新しい木の匂いが香る。


≪自厩舎の馬房に赴こう。をクリアしました≫


「秋華棟は繁殖牝馬用で通常の馬房より大きくスペースをとっています。これにより出産時に機械による補助を行うためのスペースが確保しやすくなります」


 とのことだ。


「社長。繁殖牝馬の買い付けはいつごろの予定で?」


 キラーパス。考えてないよ。


「まずは職員が全員そろってから考えようと思ってね。この牧場も動き始めたばかりだしあの子にまず注力しよう」


「なるほど。了解しました」


「それでは待望のあの子を見に行こうか」


「あの子も喜びますよ」



 秋華棟から大仲を抜けて樫棟へとたどり着く。

 妻橋さんが説明してくれたように秋華棟の馬房よりかなり狭く感じる作りだ。

 厩舎の廊下を歩いているとキュフンキュフンと興奮したように鳴く声が聞こえた。


「社長に気づいたみたいですね。私には塩対応なのに…」


 妻橋さんがブツブツ言いながら先行してくれる。

 

「ほらほら社長が来たよ。落ち着け落ち着け」


 妻橋さんが馬房から出た鼻先を優しくなでる。

 馬房に近づき、馬の顔を見てみる。顔には縦一直線の真っ白な流星。黒鹿毛の愛くるしい表情をしている。

 幼駒ゆえに身体はまだまだだが将来強くなるような風格を感じさせるものを持っている。そんな馬だ。

 何より。


「かわいいな」


「ですよね」


とてもプリティーなのである。今なら小動物を見てカワイイカワイイ連呼する女性の気持ちがわかる。


「まだ小さいですし、この子以外に管理馬はいないので困っていませんが社長に呼び名を考えていただきたいです」


「おぉ、それじゃあ…リュウセイってのは?」


「牝馬です」


 先に言ってよ。


「うーん、じゃあスターで」


 安直だが競走馬登録の時に真剣に考えよう。

 

「スターですか…。社長は星がお好きで?」


「いやそういうわけではないが、第一印象がね。顔の流星に持っていかれたから」


 俺も撫でようと手を伸ばすとスターは自分から手のひらにこすりつけに来る。

 高速で擦りつけてくるもんだからイタイイタイ。


「懐かれてますね社長。スターは閉場する牧場からの引き取り場ですよね?」


「あぁ、会ったこともないんだが自分を引き取ってくれたことを分かるくらい賢いのかもね」


 適当に返事をする。そんな牧場知らんのだ。勝手に縁が紡がれていくんだが?

 妻橋さんはそんな俺の気持ちを露知らずに笑顔でそうかもしれませんねと返す。


「ではスターを放牧してきます」


「はい、よろしくお願いしますよ」


 放牧準備をする妻橋さんに背を向けて事務所に戻ろうとすると。


「おわ! 落ち着け! スター落ち着けって!」


 悲しげな声をあげてスターが大暴れしだした。

 これは落ち着くまで何もできない奴だな?



 結局、この後はスターに一日中付きっ切りで今日は何もできないのだった。

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