鶯の巣

藤間 保典

第1話 幸一郎

「ただいま」

 僕がマンションのドアを開けると、中から妻の茜の声が聞こえる。

「パパ、おかえり。今日は早かったね」

 玄関に散らばっていた子ども用の靴を片付けていると、トマトケチャップと肉汁の薫りが鼻をくすぐる。今夜のメインディッシュはハンバーグのようだ。キッチンへ行くと、彼女はフライパンを見張っていた。僕は答える。

「当たり前じゃん。だって、今日はかわいい悠一の誕生日だろ。はい、これケーキ」

「ありがとう。冷蔵庫に入れといて」

「かしこまりました」

 アニメのシールがペタペタ貼られた冷蔵庫には、悠一の好きな料理がいっぱい詰まっていた。記念すべき五歳の誕生日だ。茜ちゃん、きっといつもより早く仕事を切り上げて、準備していたんだろう。

「で、悠一は?」

「英雄くんが迎えに行ってくれてる」

「そっか。英雄もすっかりパパが板についてきたね」

「何言ってるんだか」

 茜が苦笑する。

 ピンポーン。玄関でチャイムが鳴った。

「私は料理で手が離せないから、出てきてくれない?」

「もちろん」

 僕がインターフォンを確認すると、英雄と悠一が映っていた。インターフォンを押すのは、悠一の最近のブームだ。他の家ではやらないように、自分の家でその欲望を解消してもらっている。さて。僕は玄関へ急ぐ。幼稚園の制服を着た悠一は僕を見て、ぱぁっと笑顔になった。

「パパ、ただいま」

「ゆうちゃん、おかえり」

 僕は悠一をぎゅっと抱き締める。

「幸一郎。悠一はまだ靴を脱いでないんだ。後にしろ」

 英雄が不満そうな声で僕に抗議する。

「そんな口うるさいこというなよ。悠一は僕たちの宝物なんだぞ」

「だぞ」

 悠一が僕の口真似をするのを聞いて、英雄は吹き出した。

「しょうがねぇな。もう」

 親子の再会のハグを充分堪能して、僕は悠一に尋ねる。

「今日は幼稚園、楽しかった?」

「うん、楽しかった。今日はね、はるくんと、さなえちゃんと遊んだんだ」

「おお、そっか。良かったね」

「あとね。帰る時、なおこ先生がうれしそうだった。たぶん、ひでおが迎えに来たからだと思う」

「へぇ」

「だってね。なおこ先生、ひでおのことが好きなんだって。この前、となりのクラスのゆり先生に言ってるの、ぼく聞いちゃった」

「そっか。英雄、随分先生たちと仲良くなったんだな」

 僕は英雄を見上げる。

「まあな。最初、茜ちゃんと一緒に行った時は、かなり警戒されたけど」 

「そりゃぁ、血がつながってない同居人が迎えに来たって言われたら、幼稚園だって『何事か?』って思うもんな」

「本当。しかも、ダンサーなんて社会的信用力、ゼロだから。まあ、所詮人間同士だ。会っているうちにね」

「お前、人と仲良くなるの得意だもんな。なおこ先生の心をがっちり掴んだ、って訳だ」

「まあ、あの人。本当の俺を知らないから」

 英雄はプイとあっちを向いてしまった。なんて声をかけようか。考えていたら、悠一が割り込んでくる。

「パパ。ゆうちゃん、くっく脱げたよ」

「そうか。ゆうちゃん、偉いな。じゃあ、家に帰ったら、次は?」

「手を洗う」

「そうそう。じゃあ、洗面所に行こうか」

「うん。ぼく、ひとりで出来るよ」

 そう言うと、悠一はバタバタと音を立てて、洗面台へ走って行った。

「あっ、コラ。待て」

 僕は慌てて立ち上がる。

「じゃあ、俺は茜ちゃんを手伝ってくるから」

「サンキュ、頼んだ」

 僕は英雄に感謝して、悠一を追いかける。案の定、悠一は洗面台を水浸しにしかねない状況だったので、僕が一緒に洗いながら手助けをした。

 そして、僕と悠一は着替えのために、部屋へ行く。僕がスーツを脱ぐ横で、悠一もがんばってひとりで着替えをしている。要所要所で手伝っていたら、悠一が僕に聞いてきた。

「ねぇ、パパ。どうしてひでおは、僕たちと一緒に住んでるの?」

「誰かに聞かれた?」

「うん。さなえちゃんが『家族じゃないのに、いっしょに住んでるのはおかしい』っていうんだ」

「そっか。パパと英雄はね、とっても仲が良いんだ。で、ママも『一緒に住んでいいよ』っていってくれたから、一緒に住んでいるんだよ」

「そうなんだ。じゃあ、ぼくも、はるくんと、さなえちゃんといっしょに住めるかなぁ?」

「みんなが『いいよ』っていったら、きっと住めるよ」

「そっか」

 悠一は笑顔になる。

「よし。お着替えできたね。悠一、すごい」

「うん。ぼく、すごい」

「じゃあ、ママと英雄のところに行こうか」

「はぁい」

 僕は悠一の手を取って、ダイニングへ向かった。英雄が手伝ったからだろうか。準備はすっかり終わっていた。テーブルの上に並んだご馳走を見て、悠一は目を輝かせている。茜が悠一に声をかける。

「ゆうちゃん、おかえり」

「ママ、ただいま。これ、ぼく、食べていいの?」

「もちろん。ゆうちゃんのために作ったんだから。さぁ、椅子に座って」

 茜が子供用の椅子を引いたら、悠一はそこへダッシュした。僕と英雄もいつもの場所に腰かける。

「ねぇ。早く食べようよ」

 急かす悠一を僕はなだめる。

「いただきます、を言ってからだよ」

「じゃあ、はやくしよ」

「わかったよ」

 みんなで「いただきます」を済ませて、食事をはじめた。茜は悠一を手助けしながら、食事をする。英雄はハンバーグを箸で器用に分けて、一口放り込んだ。

「茜ちゃん。今日のハンバーグ、美味しい」

「ソースが特製だからね」

「そっか。今度、俺にも作り方教えてよ」

「いいよ」

 料理をしない僕は、かやの外だ。

「なんだよ。お前らばっか仲良くして」

 僕は二人に抗議した。しかし、茜はなに食わぬ顔だ。

「だって、パパは料理しないじゃん」

「じゃあ、僕もするよ」

「本当、助かる」

 そこで、英雄が割り込んでくる。

「ダメ、ダメ。前から言ってるけど、コイツ、料理は本当に下手くそなんだから。二人で暮らしてた時に作らせたけど、食材に申し訳ない気分になったわ」

「六年以上も前の話じゃんか。もしかしたら、上手くなってるかもしれないだろ」

「無理だね」

「むりー」

 悠一が英雄の真似をして、全てを笑いでかっさらっていく。

 出された料理があらかた食べ終わって、残すところはケーキだけだ。茜は僕と英雄に目配せをする。

「ママ、ちょっとお茶を入れてくるね」

 茜は席を立って、キッチンへ行った。彼女は作業をするフリをしながら、準備を進めていく。僕も悠一が極力キッチンの方を見ないように、悠一の注意を引いた。

 茜からの合図に従って、英雄が立ち上がる。

「トイレ、行ってくる」

 そうやって、ダイニングの出口へ向かい、そこにある電灯のスイッチを不意に切った。

 真っ暗闇だ。

「ハッピバースディ、トゥーユー」

 僕が歌い出す。英雄もそれに続く。茜は歌いながらローソクに火がついたケーキを持って、テーブルへ戻ってきた。

 ローソクの明かりに照らされて、悠一の瞳がキラキラ光る。僕は悠一に促す。

「ゆうちゃん、ふーして」

 悠一は一生懸命、息を吹きかける。そして、全て吹き消したのを見計らったように、英雄が明かりを点けた。茜が悠一にお伺いを立てる。

「ゆうちゃん、どれにする?」

「くまさんがのってるの」

「はぁい」

 茜はケーキを切り分けはじめる。いつの間にか綺麗にラッピングされた袋を持って、英雄が帰ってきた。

「ゆうちゃん、お誕生日おめでとう。これ、プレゼント」

「ありがとう。これなぁに?」

 悠一が乱雑に包装をはがす。中から出てきたのは、悠一がお気に入りのアニメのDVDだ。

「わぁ、これ欲しかったんだ。ひでお、何でぼくが欲しいもの知ってるの?」

「ゆうちゃんのことは、何でも知ってるからね」

「そっか。ねぇ、パパ。これみたい」

「今日はもう遅いから、また明日にしような」

「えー。でも、わかった」

 悠一はしょんぼりして、うなだれる。せっかくの誕生日に、そんな顔は似合わない。僕は悠一の頭を撫でる。

「ゆうちゃん、いい子だな」

「うん。ぼく、いい子」

「そんなゆうちゃんに、パパとママからプレゼント」

「えっ、なになに?」

「自転車」

「ほんと?」

「うん。明日、自転車屋さんに取りに行って、練習しよ」

「わぁい。僕、自転車も欲しかったの。パパ、ママありがとう」

「どういたしまして」

「ぼく、このうちの子でよかった」

「どうして?」

「だって、他のおうちよりもプレゼントもらえるもん」

 あまりの現金さに僕は思わず吹き出してしまった。茜と英雄も笑っている。悠一もつられて笑い出す。

 みんなでケーキを食べて、ゆっくりしていたら茜が悠一に話しかける。

「ゆうちゃん、そろそろお風呂に入ろうか」

「うん。今日はね、パパと入る」

「そっか」

「あとね、ひでおも」

「お風呂、狭いから三人は難しいよ」

「やだぁ。三人がいいの」

「えぇ」

「茜ちゃん、大人が交代で入れば大丈夫だって」

 英雄が助け船を出す。

「そう? そうしてくれると助かるけど」

 茜はちらりと僕の方を見る。

「僕たちに任せとけって」

「わかった」

「じゃあ、ゆうちゃん。三人でお風呂入ろっか」

「わぁい」

 お風呂が終われば、もう寝る時間だ。茜が風呂に入っている間に、僕は準備をはじめる。英雄に髪を乾かしてもらった悠一が、僕の寝間着の裾を引っ張る。

「ねぇねぇ。パパ」

「なぁに? ゆうちゃん」

「今日はね。みんないっしょに寝よ」

「そうだね。パパとママ、ゆうちゃんと一緒だよ」

「ひでおは?」

「うーん。俺も一緒だと、ちょっと狭いよ」

 英雄が悠一をなだめる。確かに、ダブルベッドに大人三人と子ども一人だと少々窮屈だろう。

「えぇ、やだやだ」

 悠一がごねていたら、風呂から上がってきた茜が帰ってくる。

「どうしたの?」

 僕は彼女に答える。

「いや。ゆうちゃんが英雄も含めて四人で寝たいっていうから、『ちょっと狭いよ』って言ってたんだ」

「いいじゃん。ぼく、今日はみんないっしょがいいの」

「そっか。まぁ、いいんじゃない?」

 茜は何でもないことのように答える。

「わぁい」

 悠一は喜んでいるが、英雄は茜の顔を伺うように尋ねる。

「茜ちゃん、いいの?」

「ゆうちゃん小さいから、なんとか入るでしょ。それに今日の主役はゆうちゃんだからね。言う通りにしなくちゃ」

「茜ちゃんが良ければ、いいけど」

「うん、大丈夫。英雄くん、枕持ってきて」

「わかった」

 悠一を真ん中にして左右に僕と茜。英雄は僕の隣だ。実際に寝てみたら、思ったよりも余裕がある。眠そうな悠一が僕に言う。

「みんないっしょでいいね」

「そうだね。ゆうちゃん、良かったね」

「うん。ぼく、しあわせ」

「そっか」

 悠一の頭を撫でていたら、寝息をたてはじめる。茜は小さな声で言う。

「ゆうちゃん、しあわせそうだね」

「そうだな」

「私も眠くなってきちゃった。おやすみなさい」

「おやすみ」

 僕と英雄は彼女に言う。

「じゃあ、俺も寝るね」

 英雄が僕の耳元でささやく。僕は悠一の手を握っていない方の手を英雄に貸す。

 みんないっしょでいいね。

 悠一はそう言ったが、みんなは実際、どう思っているんだろうか。考えているうちに、僕のまぶたも自然に落ちてくる。

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