勿忘草 ~忘れないあの日、今を駆ける風~
きむち
第1話 夏の風、その匂い
蝉が、鳴いている。
五月蝿くて煩わしい。
体にまとわりつくような湿気が汗を滲ませる。
僕は、そんな夏が嫌いだ。
「あっつー」
僕の隣で1人の友人が、青い空を見上げて呟く。
高校2年。7月だったろうか。
陽炎が揺らめくアスファルトの道を歩いて、ある場所へクラス全員で向かう。
そこにあるのは、あまりにも煌めきすぎる水。
夏の陽射しはプールの水を輝かせ、生ぬるく温める。
擦り切れた緑色に舗装されたプールサイドで教師に合わせて準備運動を行う。
プールを挟んだ向こう側で、女子も同じ動作を行う。
その中にいる1人の女の子を見つめ、その胸に自然と目が落ちる。
「──」
高校生特有の少し膨らんだ胸を無意識に見つめてしまう。
その時に僕が彼女に対してどんな感情を持っていたかは知らない。
「それじゃあ、ゆっくりプールに入れー」
教師のその言葉が聞こえると、男子は一斉にプールに飛沫を上げて飛び込む。
教師は一応ゆっくりと、と言っていたが、既にそこは諦めているらしい。
「きもちぃー!」「つめった」
様々な感想が飛び交う。
やがて僕の顔に水飛沫が飛び散る。
「うわっ……!」
驚いて間抜けな声出してしまった。そんなことを覚えている。
「何ボケっとしてんの、らしくないじゃん」
友人だった。
「ああ、ごめん。暑すぎてやられた」
「バッカだなぁ。でもお前らしい」
はっははっと笑って水の中に潜った友人を、僕もマネするように深く潜る。
反射的に閉じてしまった目を、ゆっくりと開けると、鮮やかな陽射しが水面を照らし、その光が水に刺さって見える。
友人とゴーグルの奥から見たその景色を僕は今でも覚えている。
やがて
「おら!」
「お!やったなぁ!この!」
友人が僕が腰に巻いていたタオルを剥ぎ取って、裸にさせる。そうして僕も同じことをやり返す。
それを見て幾人かの男が声を上げて笑う。
ここは更衣室なので生憎女子は一人もいなくて、男子にしかわからないノリというものが生まれる。
くだらない。本当にくだらないのだけれど。
なぜか、
笑えてしまう。
そうして着替えが終わって教室に戻る。
やがて次の授業が始まって、体育の後の気怠い雰囲気が教室に漂う。
いつしかほとんどの生徒が眠りに落ち、コクリコクリと眠ったり、机に突っ伏して眠る生徒が多くなる。
そうして唯一生き残る少数の人間の1人である僕は、教師の講義を聞かず、窓を見やる。
ふんわりと爽やかな風がカーテンをなびかせる。
「……みんな、寝ちゃったね」
「あ、うん」
途端、僕の隣にの席に座る女子が話しかけてくる。
プールで見つめた子だった。
頬を風が撫でる。
「眠くないの?」
「ん、まあ、俺は眠くないかな」
「そっかぁ、私はすごい眠いよ」
「じゃあ──」
蝉の音が教師の声と混じる。
再び頬を風が通る。
「────話そうよ」
「──うん、いいよ」
そうして小声で少し笑い。少し楽しみ、また笑う。
夏の風がカーテンをなびかせる。
とても楽しかった。そう思った記憶があった。
僕が彼女のことをどう思っているかは知らない。
けど、
プールの後の頬に当たる風はとても心地よかった。
蝉が、鳴いている。
五月蝿くて煩わしい。
僕は、そんな夏が
嫌いだ。
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