第13話 母が女体化した僕のことを別の名前で呼ぶ。意味がわかる(side理佳)
なんとなく勢いで言ってしまったことを後悔しながら、
「だってしーちゃんも作ってくるって言ってたし」
誰もいないキッチンで一人、言い訳を並べる。
一番好きなのは
気が利いて、優しくて、料理の上手な女性。それは結局虎徹そのものなのだが、理佳はそんなことに気付いていない。
「虎徹だって、きっと料理上手な女の子の方が好きだよね」
虎徹は子どもの頃に母が家を出ていってから、家の家事を一人で切り盛りしている。料理の経験年数が理佳とは全然違う。だが、それを理由にやらなければ虎徹との差は開いていくばかりだ。
「最初は簡単なのでいいから、玉子焼きとタコさんウインナーとか」
虎徹に作ってもらったお弁当によく入っているものを思い浮かべる。それでも素人の理佳にはかなりハードルが高いことに本人は少しも気付いていない。
一時間もしないうちに、炭と化した食材だったものがサイドテーブルに並んだ。
「ただいまぁ。って焦げくさっ! 火事? 消防車! 救急車!」
「違うよ、ママ。大丈夫だって!」
「きゃーきゃー。水、まずはお水を!」
「かけるんじゃなくて、まず飲んで落ち着いて。ほら、お水!」
理佳はコップに入れた水を差し出す。ゴクゴクと飲み干した理佳の母はようやく落ち着く。てんやわんやの事態がようやく落ち着きを見せる頃には、すっかり理佳は女の子になっていた。
「あ、今日は
「今、ママのせいでこうなったんだよ」
「今なったの? どうしよう。もう病院は閉まっちゃってるし、
「平気だから。まずは着替えてきなよ。片付けは僕がやるからさ」
キッチンから母を追いだして、理佳は失敗作たちを眺める。どれもこれも真っ黒で誰がどう見ても食べ物には見えない。虎徹が料理をしているところは何度も見ているから、簡単にできるものだと思い込んでいたことを知る。
「なんで虎徹はなんでもできるのさ」
八つ当たりのようにこの場にいない虎徹に文句を言う。
勉強はもちろん、料理も得意。空手ではプロ相手でも戦える強さ。虎徹は何でも持っている。
「そんな人が僕のことを本当に好きになってくれるのかな?」
ごめんなさい、と心の中で謝りながら、失敗作をゴミ袋へ詰めていく。お花見までは数日あるが、この調子では完成品を持っていける気がしなかった。
「はぁ、落ち着いた。どうして理佳ちゃんがお料理なんてしてるのぉ?」
仕事帰りのスーツから部屋着に着替えた母が戻ってくる。化粧も落として髪も背中でゆるく束ねている。
理佳の母は、また『りか』と呼ぶ。女の子の体の時は『ただよし』なんてかわいくないから、というのが理由だった。戸籍にふりがなは申請しないからなんて呼んだって問題ないわ、というのが母の言い分だ。
理佳はなんだか着せ替え人形みたいだし、女扱いされる呼び方が嫌だった。でも今はそこまで嫌じゃなくなっている。虎徹にそう呼んでほしいといつかは言おうと思っているが、それはまだ先になりそうだった。
「なんて、って僕がやったらおかしいみたいじゃない」
実際のところ、理佳がキッチンに立つのは一年に数回もない。それもほとんどは隠れてコーヒーを飲むためにお湯を沸かす程度だ。
「今週末にね、虎徹たちとお弁当持ってお花見に行くんだ。それで、何か作ってあげたいと思って」
「彼女としてぇ?」
「違う! 幼馴染として! 友達も何か作ってくるって言ってたし、虎徹のお疲れ様会だし。僕だけいつも食べるだけなのってなんか嫌なんだもん」
子供の成長を見守るように微笑む母を見ていると、気持ちを全部見透かされているようでたじろぐ。虎徹への気持ちはまだ母にもはっきりと言える気がしなかった。
「虎徹くんにねぇ。だったら、とりあえずそこに出してあるわさびとからしととうがらしとデスソースはいったん片付けましょうか」
「ママ、なんか誤解してない?」
「してないわよぉ。理佳ちゃんの気持ちはよーくわかってます」
呆れたように理佳が背中で隠した調味料を回収して冷蔵庫にしまっていく。
母は理佳のTS病で体を壊すことは心配しているが、女として何かをすることを否定したことはない。どっちの性別にもなれるんだから、他の人よりできることが少し多く与えられただけなのよ、といつも言っている。
「虎徹くんに渡すならとびきりおいしいものを作らないとね」
そう言って、理佳がテーブルに置いていたレシピ本をパラパラとめくった。
「教えてくれるの?」
「娘の努力は応援してあげないとぉ。あと虎徹くんの命は守らないと」
「今、最後なんて言ったの?」
「なんでもないわよぉ。さっきは何を作ってたの? ビターチョコレート?」
「違うよ。玉子焼き」
母の顔が引きつる。どうして玉子と辛味調味料からあんな
これは長い戦いになる。そう確信した母は、翌日会社に有給休暇の申請をするのだった。
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