第5章 非情な運命
第48話 多恵子
11月22日木曜日。
空は相変わらず、厚い雲に覆われていた。
天気予報によると、明日から大雪になるらしい。
折角今夜から、春斗くんが来るのに。
部屋の窓から空を見上げ、奈津子がため息をついた。
待ちに待った、春斗との再会。
この日をどれだけ待ち望んでいたことか。
辛かった時。何もかも投げ出したくなった時。
今日のことを思い、じっと耐えてきた。
会ったらどんな話をしよう。
まだ二か月しか経ってないのに、随分彼と会ってない気がした。
会えなくなって初めて気付いた。
自分にとって春斗という存在が、どれだけ大きかったかということに。
一緒に海が見たい。山にも行ってみたい。
そんなことを思いながら、指折り数えて待っていたのに。
そう思い、恨めしそうに空を見上げる。
「あ、あれ……」
奈津子が体の異変を感じた。
立っていられなくなり、尻餅をつく。
「……これってまさか」
重い体を引きずるように机に向かい、引き出しから体温計を取り出す。
「……」
39.2度という表示にため息をついた。
「なんで今日なのよ……」
吐き捨てるようにそうつぶやき、布団へと戻る。
「いつもこうだな、私って……肝心な時に限って、こんなことになるんだから……」
「具合はどうだい?」
穏やかな声に、奈津子がゆっくりと瞼を開ける。
祖母の多恵子だった。
「少し食べられるかい? おかゆ、作ってきたんだけど」
「……ありがとう、おばあちゃん」
うまく体が動かなかった。多恵子に支えられて何とか起き上がる。
「なっちゃん、ずっと頑張ってたから」
多恵子が微笑み、奈津子の背中を優しく撫でる。
「だから少し休みなさいって、体が言ってるんだと思うよ」
「でも……今日でなくてもよかったのに」
「うふふふっ、そうね。何と言っても今日は、なっちゃんの大切な人が来るんだからね」
「その言い方、恥ずかしいよ」
「うふふっ、ごめんなさい」
赤面する奈津子に微笑み、多恵子が食べるよう促す。
「春斗くんが駅に着くのって、7時だったわよね」
「うん……」
「おじいさんが迎えに行ってくれるから、心配しなくていいよ」
「……ありがとう」
「それまでしっかり休んでなさい。おかゆを食べて薬を飲んで、いっぱい汗をかきなさい。そうしたら大丈夫、春斗くんが来る頃には、楽になってるから」
「そうだね……うん、頑張る」
「うふふふっ。本当なっちゃん、口癖みたいに頑張るって言うわね」
「そうかな?」
「ここに来てまだ二か月だけど、なっちゃんからその言葉、いつも聞いてる気がするわ」
「自分では意識したことないけど」
「そうだろうね。それがなっちゃんにとって、当たり前のことみたいだから」
そう言って、優しく優しく背中を撫でる。
「頑張るってすごいことだと思うし、それを続けているなっちゃんは偉いと思う。でもね、たまにはこうして、ゆっくりすることも覚えた方がいいと思うよ」
「そうなのかな」
「ええ。なっちゃんは今まで、本当に頑張ってきたから。どんなことがあっても挫けずに、歯を食いしばってきた。頑張らなくてはいけない、休んではいけないって」
「……」
「多分明弘さんが、そういう風に躾けたんだと思う」
「お父さんは……関係ないよ」
「そう? なっちゃんを見てて、ずっとそう思っていたんだけど」
「そうなんだ……」
「ええ。なっちゃんは本当に頑張り屋さんで、甘えを許さない強い子。でもね、そこまで自分に厳しくなれる子供なんて、多分いないと思うの」
「……」
「なっちゃんはずっと、明弘さんの望む子供であろうと頑張ってきた。例えそれが、自分の気持ちを殺すことだとしても、そうせざるを得なかった。父親に逆らえる子供なんて、そうそういないから」
そう言って小さく笑う。
「でもね、なっちゃん。こんな言い方をするのは駄目なんだけど、もう明弘さんはいないの。今のなっちゃんはこの場所で、新しい生活を始めたの。
なっちゃんが自分で決めたことなら、私もこんなこと言わないと思う。でも私はなっちゃんに、もっと伸び伸びとした子供になってほしいの。
「おばあちゃん」
「私の大切な宝物、それがなっちゃんなの。なっちゃん、いつも笑ってておくれ。毎日楽しく過ごして、新しい発見をいっぱいしてほしい。誰に言われたからでもない、自分の為に」
そう言って奈津子の手を優しく握る。
奈津子はうつむき、肩を震わせた。
「……ずるいよ、おばあちゃん……弱ってる時にそんな……優しい言葉……」
「うふふふっ。そうね、大人ってみんな、ずるいのかもね」
「私……
「いいと思うわよ。だって子供って、
「……そうだね」
「少しずつでいい。この場所で、いっぱい空気を吸い込んで、お日様を浴びて。ゆっくり大人になっていけばいいよ」
「……ありがとう、おばあちゃん」
多恵子の手を握り返し、奈津子が微笑んだ。
涙が落ちる。
「ずっとね、こうしてなっちゃんとお話したかったの。だけどなっちゃん、いつも忙しそうにしてたから。でも……やっと叶ったわ」
「私も……もっともっと、おばあちゃんと話したい」
「今度一緒に、料理をしましょうか。なっちゃんも料理、興味あるって言ってたでしょ」
「でも、うまく出来るかな」
「出来るわよ、なっちゃんなら。何なら明日、一緒に何か作ってみましょう。春斗くんも、喜ぶと思うわよ」
「……どうしてそこで、春斗くんが出て来るのかな」
「うふふふっ。でも、やってみたくない?」
「うん……やってみたい」
「じゃあ、今日の内によくならないとね。ゆっくり休んで明日、一緒に作りましょう」
そう言って奈津子を寝かせ、布団を掛ける。
「ありがとう、おばあちゃん」
「薬も飲んだし、少し眠るといいわ。後で体を拭いてあげるから」
「おばあちゃん……」
布団から手を出し、照れくさそうに頬を染める。
そんな奈津子に微笑み、その手を多恵子が優しく握った。
「おやすみ、なっちゃん」
「うん……おやすみなさい、おばあちゃん……」
胸の奥が温かかった。
こんな気持ち、初めてだった。
病気になった時、母からこんな風にしてもらった記憶はない。
父からは、油断しているお前が悪いと咎められた。
病気になった時、それが普通なんだと思っていた。
だから多恵子の優しさが心に染みた。
これが家族の温もりなんだ。
そして私は今、その中で生きているんだ。
天井を見上げると歪んで見えた。
涙が溢れていた。
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