第42話 宗一の思い


「あくまで仮説の一つに過ぎん。直感みたいなもんじゃ。それでもな、その可能性も考えんといかんような気がするんじゃ」


「目的が……怖がらせること、絶望させること……」


「もしそうなら、全てのことに説明がつく。お前が無傷で乗り切ってきたことにも合点がいく。意図は分からんが、やつはお前の心を壊しにかかっとるということじゃ」


「心を……壊す……」


「心を壊すのに手っ取り早いのは、絶望させることじゃ。生きていることに何の希望も見い出せず、死を渇望する。そうすれば自ずと心は壊れていく。親の死、小太郎の死、亜希ちゃんの死は、確実にお前の中に絶望の種を植え付けた」


「……」


 お父さんたちのことは、少し違うかな。そんな言葉を奈津子は飲み込んだ。


「そしてもう一つ、心を壊す手段として有効なのが、恐怖の感情じゃ。人は恐怖に囚われた時、孤独や絶望を感じる。そしてそれが一線を超えると、心が死んでいくことになる」


「恐怖……」


 宗一が話す言葉を、奈津子は否定出来なかった。それは正に、この数か月で感じていることだった。


 両親の事故の時は、特に何も感じなかった。また別の場所で、これまでと変わらない生活を続けるだけのことだと思っていた。

 正直何も期待していなかった。

 しかしこの新しい環境は、自分を受け入れてくれた。世界がこんなにも温かいものだと気付かせてくれた。

 新しい家族。初めて出来た友達。

 興奮の毎日だった。


 そんな中で起こった、数々の事件。

 それは自分の中に、暗い影を落としていった。

 何者かに狙われている感覚。目の前で失われる命。

 その度に恐怖した。そして思った。

 次は自分の番なのかもしれないと。


 正直これまでは、自身の命に対しても執着がなかった。

 生きていたところで、自分は父の人形なのだから。

 しかしこの土地に来て、私は生きる喜びを知った。

 人生に希望を見出していった。

 そう思った時、生きることを渇望している自分に気付いた。


 そんな自分をあざ笑うかのような、あのメッセージ。

 どこにも逃げ場のない恐怖に、心は疲れ切っていった。

 そう思うと、心を壊すことが目的だと言う宗一の解釈にも合点がいった。

 でも、何の為に?

 私の心を壊して、犯人に何の得があるの?





「お前は今、こう思っとるんじゃないか。目的が分からんと」


「え……あ、うん、そうだよ。流石だね、おじいちゃん」


「お前の顔を見てたら分かる。それにわしも、同じことを思ったからの」


 そう言った宗一の笑みに、奈津子は少しほっとした。


「じゃが、分からんからと言って何もしないのでは、本末転倒じゃ。わしらが何もせんでも、やつはこれからも行動を起こしてくる。お前はそれに立ち向かっていかなくてはいかんのじゃ」


「……そうだね」


「もしわしが言ったように、お前の心を壊すことが目的だとしたら……これからお前は、今以上に凄惨なものを見ることになるのかもしれん」


「……」


「それに対して今、打てる手は何もない。じゃが心構えがあるだけでも、少しは対処出来ることもある筈じゃ」


「そうだね……」


「一連の事件は物の怪もののけの仕業じゃと、益々思うようになった。亜希ちゃんのことがあってな」


「どういうことかな」


「お前、刑事にこんなことを言ってたな。『亜希ちゃんが自殺する動機は理解出来ました。彼女はずっと悩んでましたから。でも、あの時の亜希ちゃんには違和感を感じました。まるで亜希ちゃんの中に別の人がいて、操られているような……そんな風にも見えましたから』と」


「うん、言った。あの時の亜希ちゃん、本当に辛そうだった。お父さんとお母さんが離婚することになって、当たり前に思っていたものが壊れようとしていた。そんな世界に絶望して、それならいっそ、壊れてしまう前に人生を終わらせたい、そんな風に思っても仕方ないと思った。

 でもあの時亜希ちゃん、私に何度も言ったの。助けて、助けてって」


「……」


「あれは亜希ちゃんの、心の叫びだと思った。亜希ちゃんの本心はそこにある、そう思った。私には、まるで二人の亜希ちゃんがせめぎ合ってる、そんな風に見えたの」


「……薬物を使用してた可能性も考慮して調査されたが、何も検出されんかったらしい。あの子の死は、発作的な自殺として処理された。じゃが……お前の話は、わしの中で物の怪もののけの存在を改めて考えさせることになった」


「……」


「お前に絶望を与える為に、彼女が犠牲になったということじゃよ」


 その言葉は、奈津子の心に重く響いた。


 宗一の目を見る。

 宗一は、力強い視線で真っ直ぐ奈津子を見つめていた。


「……友達の葬儀の後に、あの子はお前が理由で死んだのかもしれん……そんな話をするわしは、鬼なのかもしれん。すまん奈津子」


 そう言って頭を下げる。


「わしの言葉にお前は悩み、苦しむことになる。じゃが……それでもわしは、お前に告げなければいかんと思った。わしにとってはな、奈津子。お前が全てなんじゃ。お前が幸せで、いつも笑っている。それ以上に大切なことなどないんじゃ。それはきっと、ばあさんも同じ筈じゃ。

 じゃからな、奈津子。今の話、わしを憎むなら憎め。いくらののしってくれても構わん。じゃが……これからも起こるであろう災厄に、心を強く持って立ち向かって欲しい。わしも全力でお前を守る」


 ゆっくりと顔を上げる宗一。その表情に、奈津子の胸は熱くなった。


「これを渡しておく」


 戸棚から古びた本を取り出し、奈津子に差し出す。


「これは」


「短刀と共に、宮崎家に代々受け継がれてきたもんじゃ。簡単に言えば、ご先祖様たちが打ち取ってきた、物の怪もののけについて書かれた書物らしい。流石に古すぎて、わしには読めんかった。じゃが、お前なら読めるかもと思っての」


「……」


 A4サイズほどのその書物を指でなぞる。表紙には「神代風土記」と記されていた。


「ありがとう、おじいちゃん。辞書もあるし、何とかなるかもしれない」


 そう言って笑顔を向けた。


「私はおじいちゃんのこと、憎んだりしないよ。だっておじいちゃんは、私の大切な人なんだから。そしておじいちゃんは、私の為に厳しい言葉を投げてくれた。だから……ありがとう、おじいちゃん」


 宗一の手に自分の手を重ね、奈津子が照れくさそうにそう囁いた。


「ああ、ああ……負けるんじゃないぞ、奈津子」


 宗一は目頭を抑え、何度もうなずいたのだった。



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