第4章 壊れていく日常

第36話 作り笑い


 二日後の10月27日。丸岡の葬儀が営まれた。

 葬儀に参列したクラスメイトは約半分。

 凄惨な事故を目の当たりにした級友たち。ショックで家から出れなくなった者も多かった。


 当たり前だと思っていた日常が、いとも簡単に崩れてしまう現実に彼らは恐怖した。

 あの時、もし自分があの場所に立っていたら。

 そう考えただけで震え、嘔吐した。


 そんな中、目の前で彼の最後を見ることになった奈津子と玲子。彼と最後の言葉を交わした二人。

 その精神的負荷は考えるまでもなかった。

 教師たちは二人の心のケアに努め、無理に参列しなくてもいいと気遣った。

 しかし二人は参列した。その気丈な姿に、教師たちは頭が下がる思いだった。


 玲子は会場に入ってから、ずっと泣いていた。奈津子に支えられて祭壇の前に立つと、心の糸が切れたかのようにその場に崩れ号泣した。

 そんな彼女に寄り添う奈津子。沈痛な面持ちの両親に深々と頭を下げ、玲子を伴って葬儀場を後にしたのだった。





 奈津子は思っていた。

 自分たちをさげすみ、あざ笑っていた丸岡。

 それなのに玲子は、彼の死を心から悼み、哀しんでいた。

 傍で見ていた自分には分かる。演技でも、状況に酔っている訳でもない。本当に哀しんでいた。

 そんな彼女に対して芽生える敬意。本当に優しい人だ、そう思った。

 そして自分を顧みた。果たして自分はどう思っているのかと。


 正直言って、奈津子は何も感じていなかった。彼に対し、憐憫の気持ちもない。泣いている両親を見ても、特に何も感じない。それが不思議だった。


 この感覚。

 奈津子には覚えがあった。


 一か月前、両親が死んだ時。

 その事実だけを冷静に受け止め、やるべきことを粛々としていた時と同じだった。


 丸岡がこの世から消えた。しかしそれが何だと言うのか。

 彼がいなくなったところで、自分の生活に何の影響もない。

 教室に、空席が一つ出来るだけ。

 読んでいる小説の登場人物が一人いなくなった、その程度の感覚しかなかった。


 どこまでも他人事。


 頭の中にあるのは、未だ姿を見せない亜希のことと、忍び寄る不可思議な存在について。そして文化祭のシナリオを仕上げること、それだけだった。

 そんな自分を俯瞰して、やはり自分はおかしい、壊れていると思った。

 震える玲子を支えながら、奈津子は改めて自分の異常さを知り、戸惑っていた。





 10月29日月曜日。

 シナリオを完成させた奈津子は、伏し目がちに教室に入っていった。

 がらんとした教室。生徒たちは半分も登校していなかった。


 あんなことがあったんだ、仕方がない。でも……

 文化祭、もうすぐだよね。そろそろ練習を始めないと、間に合わないよ。

 そんなことを考えている自分に気付き、また嫌気が差した。


 その時、背後から声がした。

 ずっと待ち望んでいた声が。


「姫、久しぶり」


 その声に振り返る。


 亜希だった。

 照れくさそうに額を掻く亜希の姿が、涙で歪む。


「亜希ちゃん……!」


 そう囁き、亜希を抱き締める。

 亜希は一瞬戸惑ったが、やがて微笑むと、奈津子を優しく抱き締めた。


「ごめんね、長いこと休んじゃって」


 亜希の言葉に奈津子は首を大きく振り、「いいの、いいの」と何度も言った。


「家の方も落ち着いてきたし、いつまでも休んでられないからね」


「いいの、いいの……よかった、元気そうで……」


「あはははっ、ありがとう。でも、今日は代わりに玲子が休んでるんだ」


「え? そうなの?」


「うん。私が休んでる間に、色々あったみたいじゃない? 私もその……丸岡のことを聞いた時、すごくショックだった。

 玲子、ちょっと疲れたって言ってた。だから今日一日だけ休ませてほしいって、昨日電話してきたんだ」


「そうなんだ……玲子ちゃん、大丈夫かな」


「まあ、玲子だからね。丸岡みたいなやつのことでも、かなりきつかったみたい。そう思って学校に来て見たら、クラスの連中も結構休んでて驚いた。

 だからね、姫も来なかったらどうしようって心配してたんだ。気てくれてありがとう」


「そんなこと……亜希ちゃんが戻ってきてくれて嬉しい」


「あははっ、ありがとう」


 まだ声に覇気がない。笑顔も作ってる、そう思った。

 でも、それでもいい。彼女が来てくれた、それだけで満足だ。奈津子がそう思った。


「でも……あれ? 亜希ちゃん、何か雰囲気違わない?」


「え? ああ、それって多分、髪型のせいじゃないかな」


 言われてみればそうだった。

 亜希はいつもポニーテールで、赤いリボンをつけていた。そのリボンは、高校入学の時、父からプレゼントされたものらしい。お気に入りのリボンなんだ、そう言った亜希の笑顔が強く印象に残っていた。

 しかし目の前の亜希は、そのリボンをつけていない。離婚の話が進んでいることを思うと、奈津子の胸はざわついた。


「変……かな?」


「ううん、全然変じゃない、いいと思う。すごく可愛いよ」


「ありがと」


「でも、どうして」


「まあ、気分転換ってところかな。たまにはこういうのもいいかなって思っただけ。姫が可愛いって言ってくれるなら、これからはこれでいこうかな」


 そう言って笑った亜希。

 亜希の空虚な笑顔に、奈津子の胸は痛んだ。

 でもそれでもいい。

 再び会えたことに感謝しよう、喜ぼう、そう思った。


「とにかく……おかえりなさい、亜希ちゃん」


「うん。ただいま、姫」



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