その少女、闇に魅入られて
栗須帳(くりす・とばり)
第1章 新しい世界
第1話 はじまり
体が重かった。
悪夢から目覚めた時の様な、嫌な感覚。
体中にへばりついた汗。その不快さに顔をしかめ、手で拭おうとする。
しかし腕が動かなかった。
何かが自分の上に
何なの、これ。すごく嫌な感じなんだけど。
頭痛もするし、最悪な目覚めだ。
仕方ない、一度目を開けよう。
そう思い、不機嫌そうに口をとがらせた奈津子が、ゆっくりと瞼を開けた。
血まみれの母の顔が、目の前にあった。
恐怖に見開かれた目が、自分を凝視している。
首がありえない角度に曲がっていた。
大きく開かれた口からは、今にも絶望の叫びが聞こえてきそうだ。
血に混じった唾液が、だらりと垂れている舌を伝い、奈津子の胸元にぽたりぽたりと落ちていく。
「……」
奈津子は無言で母の体を押しのけ、ようやく自由になった腕で汗を
そして分かった。
汗だと思っていたものが、母の血だということに。
「……そっか……そういうことか……」
少しずつ意識がはっきりとしてきた。
今日は9月23日。
三連休を利用した旅行の帰りだった。
隣家で、家族同然の付き合いをしている大野家との合同家族旅行。
父の運転するワンボックスカーに、奈津子と両親、幼馴染の大野春斗とその父。総勢5名での旅行だった。
旅先では意外と楽しめた。今年別々の高校に進学し、以前に比べると交流も減った春斗ともたくさん話が出来た。
もう少しここにいたいな。そんな名残惜しさを胸に、車は高速道路に入った。
運転席の父は上機嫌な様子で、助手席に座る春斗の父と話をしていた。
奈津子は疲れ気味で、少しうとうとしていた。そんな奈津子に春斗が、「次の休憩所まで寝てなよ。着いたら起こしてあげるから」そう言って優しく微笑んだ。
その時だった。
全身に衝撃が走り、奈津子の意識は途切れたのだった。
押しのけた母の死体は、足元にずるりと落ちていった。
奈津子が視線を運転席に向ける。
「……」
運転席と助手席の二人は、フロントガラスに頭から突き刺さっていた。
頭蓋骨が砕け、顔の原形をとどめていない。最早どちらが父なのか判別もつかない。
おびただしい量の血に交じり、灰褐色の脳漿が辺りに飛び散っていた。
シートベルト、これだけの衝撃だと意味ないんだな。そんなことを思いながら、奈津子はため息をつき、隣の春斗に視線を移した。
「よかった……」
シートベルトに守られた春斗は、前のめりの状態で気を失っていた。
呼吸は規則的で穏やか。こんな状態でなければ、うたた寝しているようにしか見えない。
頬についた血は、恐らく奈津子の母のものだ。奈津子は力なく春斗の頬に手をやり、指で
しかし血まみれの自分の指は、春斗の頬を更に汚してしまった。
「ははっ……駄目だ……」
力なく笑い、天井を見つめる。
「そっか……事故ったんだ、私たち……」
誰に話す訳でもなく、奈津子がつぶやく。
春斗の手を握り、何度も何度もつぶやく。
車内は気持ち悪いほど静かだった。
何も聞こえない閉ざされた空間に、奈津子の声だけが響く。
「あっけないんだな、人って……」
そう言って微笑む。
倦怠感が蘇ってくる。
瞼を閉じると、猛烈な睡魔が襲ってきた。
「まあ……どうでもいいけど、もう……」
そうつぶやき、奈津子は再び意識を失った。
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