「月がきれいですね」と言え #先輩と後輩

七谷こへ

第1話 好きって言ってみてと言われて言ったらなんかちがうと言われる


「ちょっと、好きって言ってみて」


 本を読み終え、聖書にするように手を置いて、しばらくひたるように目をつむっていた先パイはカッと開眼すると突然宙に向かってそう言った。


「あ、いや無し。いまのは無し。ちょっと待ってストップ。この先は一時停止だ進むんじゃあない」


「一時停止どころか勝手に急ブレーキ踏まれて事故らされてますけど。なに、どういうことですか」


「推しがね、推しが、すばらしい告白をしてたんだ……。人が人を好きになる気もちというものは、こんなにもすばらしいものなのかと感動してたんだけど、あれ、ちょっと待てよと。私のところにそのようなすばらしい青春がおとずれてないのおかしくない? 現実、おかしくなぁい? 調整ミスってるよね確実に、っていういきどおりがですね、そういう、人生に対するあらがいを、私に課したんですなどうやら」


「ぼくに好きって言わせたら、人生に対するあらがいになるんですかね」


「うるおいが、人生にうるおいがほしいんだ……。年下・生意気・背が高いという生意気な要素が生意気にもそろっているかえでくんのような存在であってもね、まあ、好きと言われたことがない人生よりはいくぶんかマシであろうと判断したんだろうね。私の脳内スーパーコンピュータが」


「とりあえず、先パイがぼくのことを生意気の化身けしんであるとスパコン(笑)に登録してることは伝わりました」


「ほらほらそういうとこ! 私のこのたぐいまれなる頭脳(笑)を小ばかにしてくるとこだよ!」


 先パイが指をさして糾弾きゅうだんしてくるので、「自分も半笑いじゃないですか」とこたえてつい笑ってしまった。

 読みかけていた本を閉じて、手もとの机に置く。


 わが文芸部にはもともと部員が少なく、あつまりは非常に悪い。といっても、年に1~2度刊行する部誌に短文さえ書けば活動とみなしてもらえるので、日常的に参加する必要性はとぼしい。


 だから先パイとふたり、放課後の部室で本を読むだけになることは多いのだが、たいていいつもじゃまをされる。


「先パイ」


 先パイの肩までのびたまっすぐな髪と、前髪をまんなかでわけたことで姿をあらわすかわいらしいおでこと、大きなまるっこいひとみを視界に入れて言う。


「好きです」


 先パイは眉根を寄せてむずかしそうな顔をつくると、腕組みして「うーん」「ちがうなー」とうなった。


「ときめきがねー、ときめきが足りんのだよ。やっぱり強引に言わせたんじゃー意味がないのかな。推しがしていた愛の告白というものは、『本来むすばれることのない立場であることを理解しながら、それをのりこえるために危険をおかして伝えるもの』だったからこそ、より私の胸にせまったんだね。つまり、『好きだ』ということばだけでなく、前提や過程をふくめることではじめて伝わるものがあるわけだ」


 しゃべりながら突然立ちあがると、なぜか窓にむかってこんこんと話をつづける。


「ま、まままあ協力してくれた楓くんには感謝しておこう。ありがとう。人生をじゅんじゅんにうるおわせるには、そういう過程が重要なんだという発見があった。そうするとなかなか道のりは長そうだねー。来年、大学生になったらバイトでもはじめてみようかな。『なんでこんな仕事もできないんだ!』と、むちゃぶりのはてに店長から叱られ、うちのめされる私。そこを颯爽と助ける正社員との、身分をこえた運命の恋がはじまる――」


「身分のちがいが浅すぎる」


 と冷静に指摘を入れながらも、べらべらとしゃべる先パイのようすをじっと見つめた。


 これをチャンスととらえるべきなのか、まよう。


 まよいながら、ためしに、あえていろいろはしょってひと声かけてみた。


「そしたら、いっしょにお出かけしないとダメみたいですね」


「へあっ!? お出かけ? ダメですねってなに、なんの話」


「いや、過程が重要だって言ってたので、過程をつむ練習でもしたらいいんじゃないかと、後輩としての配慮です。練習としていっしょにお出かけでもどうかなと」


「い、いやーそんな練習なんてつきあわせるのもわるいのかなーって。で、デデデデッデッデッデートみたいになるしなっちゃうし」


「そんな、重く考えないでもいいですよ」マシンガンのようなデのどもりをおもしろく感じ、声を出して笑ってしまいそうになるが、タイミング的に感じがわるくとらえられるかもしれないので、口もとぐらいにとどめておく。


「そうだな、いっしょに本屋でも行きません? ちょうど買おうかまよってる文庫本があって」


「あっ、ほっ、本屋ねっ。なーんだ大げさなんだよ表現がっ。いいでしょ行きましょ本屋ぐらいならば。過程のためにね。われわれの大いなる過程のために」


「なんだか家のほうの家庭みたいですね」


「われわれの大いなる家庭……生意気っ! 生意気だぞ楓くんっ」


 ふんふんと鼻息をあらげる先パイを見ながら、とりあえず、要求を小さくして出かける約束をとりつけることには成功したなと考える。


 同時に、「好きって言ってみて」と、だいぶまえにも同じことを元恋人から言われたことをふと思い出す。

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