僕がTwitterを辞め、また復帰した理由。

無色陽失

SNSは合わなかった。

 SNSというものは、僕には合わなかった。

もともと、コミュニケーション能力が低い人間の部類なのに、SNSでなんて話せないのだ。思いっきり全く以て話せない。しかも、創作活動があまり進まなかった。だから、これが理由だったりする。

 SNSというものは、この世のどのサービスとも同じように、良い面と悪い面を持っている。いい面は二つある。一つ目は、単純にいろんな人に知り合えることだ。これは楽しいし、良い影響を得られるものだ。だって他の人の意見や、考え方を学べるのだから。二つ目は、同じ活動者に出会えることだ。これも嬉しい。その人の作品や、活動内容などを拝見できるし、しっかりとそれを参考に考えることもできる。なんとも、SNSらしい有用な運用の仕方だ。

 では、悪い面を述べよう。悪い面とは、簡単なもので集団心理が働くということだ。人間は集団で生活している。でも、その集団心理というものは、時として邪魔になってくるものだ。だが、この心理はとても、有用である。集団で生活している人間という生き物は、この力で大きな生物学的な地位を得た。この集団で生活しているからこそ人間はこの世界というか、地球の頂点(自然は除く)に立つことができた。この団結という力は、人間の三大の力とも呼ぶべきものだ。一つは、知恵。二つはコミュニケーション能力。三つはこの集団の心理、所謂、社会性だ。この三つで人間はどうにかなった。

 だが、今は、悪い面も見えてきている。それは、正義をすぐに振り翳す事だ。SNSは顔が見えない。見えても写真か、アイコンだ。簡単に言えば、その時点では実際には会えていない。だからだろうか、ツイッターを見ていると、その状況をよく見るのだ。いろんなところでだ。批判したのに、否定したと思われて交流を何もしない。すぐ批判し、自分の正義を振り翳す、悪と判断した者に対して皆で、攻撃する。または、人格的な批判をするなどと、ホントに酷いことをする。人としてどうなのだと言いたくなるものだ。「ホントか?」と疑問に思う人もいるだろう。

 では例をあげる。これは動画で見た。ある動画でひったくり犯がいた、女の子は「キャー」と悲鳴を上げて、この人を捕まえてと言った。その人に応じた人達がその男を捕まえに行った。捕まえたかと思ったら、車が走っていきその男を引いた。そのまた、別の男はその男に馬乗りになってその男をタコ殴りにした。

 これはホントに分かり易いものだ。ホントに分かり易い。正義という名の剣を手に入れた者はそれを振り翳す。その正義が正義と信じて止まないのだ。自分の物差しで物事をはかるが、他人の物差しも自分のものと同じと信じて止まないのだ。そして、その正義という名の酒に酔い散らかしているのだ。何とも、面白い。実に人間らしい。だが、気づいた、この人間らしさが私に合わないと思ったのはSNSを始めてだ。惰眠を貪る僕が人間らしさに嫌気が差したのは人生で初めてだ。

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