第94話 解体と帰還

 皆はまず血抜きをするために、血を溜める穴をスコップで掘っているようだ。植物採取のために持ってきていたスコップがこんなことに役立つなんて……喜んで良いのか悲しんで良いのか分からない。


「血を抜くだけでもかなりの時間がかかりそうですね」


 フレディが忙しく動き回る皆を見てそう呟いた。確かにこの大きさだと血の量も相当だろう。でもあんまり時間をかけてると、血の匂いに引かれて他の魔物が来てしまう。


「魔法陣魔法で地面を隆起させて、ジャイアントディアの体を傾けるだけで時間短縮になるかな?」

「そのようなこともできるのですか? それはかなりの助けになると思います」

「じゃあそれだけやりに行こうか。そのぐらいならまだ魔力も足りるから」


 そうして俺はフレディを連れて少しだけ解体を手伝い、また最初と同じ場所に下がった。ここまで下がっても血の匂いが漂ってきてるな……さらに風も吹いてるから、風に乗って血の匂いが森の方向に行ってるかも。


 ジャイアントディアがいたことで他の魔物は逃げていたからすぐには襲ってこないだろうけど、強大な気配が消えたことを察知してる魔物は多いはず。そこに濃密な血の匂いが漂ってきたら、おこぼれに与ろうと寄ってくる魔物は多そうだ。


 ちょっと対処を考えた方が良いかな……魔力が十分にあれば俺が風を起こして匂いが流れる方向を変えるんだけど、さすがにそんなことをできる魔力はもうない。シリル達は解体に魔力を使わないとだし……頼めるとしたら後から合流してくれた騎士達かな。


「君、ちょっといいかな?」


 俺はすぐ近くで見張りをしていた騎士に声をかけた。まだ若くて緊張しているのか、肩に力が入っている。……授業で顔を見たことがあるかも。


「はっ!」

「君は魔法陣魔法を使える?」

「いえ、まだ発動に成功したことはございません」

「そっか。じゃあ見張りをしてる騎士で発動できる人はいるかな。いたら教えてほしいんだ」

「かしこまりました」


 その騎士に教えてもらった情報によると、三人魔法陣魔法を習得している人がいた。確かにそう言われると、街の外の授業に出席していた気がする。授業を受けてる人数が多すぎて、さらに騎士は格好が同じだから覚えられないのだ。


「フレディ、あの騎士のところに行くよ」

「お供いたします」


 風魔法を発動させるのに一番良い場所に立っている騎士を選び、近づいて声をかけた。


「見張りをしてるところごめんね。実は使ってほしい魔法があるんだけど、お願いしても良いかな?」

「……私にできることでしたらお手伝いしたいのですが、なにぶん魔法陣魔法はまだ初心者でして」

「うん、それで大丈夫。ちょっと待ってて」


 俺は空間石から紙とペンを取り出して、匂いが流れる方向を変えるための魔法陣を描いた。しかしそんな大袈裟なものではなくて、ただ風を発生させるだけの魔法陣だ。繊細なコントロールも必要ないので、効果範囲なども適当に決めてある。


「この魔法陣、簡単でしょう?」

「確かに……これならば私でも描けそうです」

「良かった。じゃあお願いしても良いかな。俺は魔力がもうほとんどないんだ」

「かしこまりました。こちらは一度だけで良いのでしょうか?」

「効果時間が一時間にしてあるから、もし一時間経っても解体が終わってなかったらもう一度発動してほしい。多分風が止むから魔法が止まったことは分かると思う」


 俺のその説明に頷いた騎士は、周りで見張りをしていた騎士達に自分の担当範囲まで見張りを代わってもらえるように頼み、それから数分間かけて必死に魔法陣を描いていった。緊張しているのか額に汗をかきながら描いている様子に、俺までなんだか緊張してくる。


「っ……成功しました!」

「おおっ、おめでとう」


 騎士の満面の笑みに釣られて、俺は思わず拍手をしてしまった。時間はかかってたけど、初見の魔法陣を一発で成功させるのは素直に凄い。相当努力してるんだろうな。


「この紙は渡しておくから、また一時間後に必要だったらよろしくね」

「かしこまりました」


 そうして解体の見学をしつつ色々と必要なことをこなしていると、街の方から馬が駆けてくるのが視界に入った。ニルスが戻ってきたみたいだ。


「フィリップ様、ただいま戻りました」

「ニルス、お疲れ様。取りに行ってくれてありがとう」

「いえ、当然のことでございます。こちらの空間石に必要なものは全て入れてあります」

「ありがとう。じゃあ早速皆に渡しに行こうか」


 道具が揃ってからは早かった。皆が連携しながら解体は急ピッチで進められ、みるみるうちにジャイアントディアは素材へと形を変えていく。


「それにしても肉の量が凄いね」

「本当ですね。新鮮なうちに処理しきれないのではないでしょうか」

「だよね……塩漬けにすると言っても塩もそこまで潤沢じゃないし、食べるのにも限度がある。貴族が全員肉を買ったとしても相当残るよね」


 腐らせちゃうのは勿体なさすぎるから、平民にも売るのが一番かな。思わぬ収穫なんだしかなり価格を下げても良いと思う。健康のためには平民も肉を食べるべきだからね。


「陛下に報告する時に相談するよ」

「それがよろしいですね」

「あ、フィリップ様、ツノの解体が終わったようですよ」

「本当だ。さすがシリル、早いね」


 フレディの言葉に従ってシリル達を見てみると、ちょうどツノを空間石に収納しているところだった。魔力も足りたみたいで良かった。

 それに魔道具工房で働く皆は、結構仲良くなってるみたいだ。シリルも慕われてる様子で、和気藹々としていて楽しそうな雰囲気が伝わってくる。



 それから数十分後、全ての解体が終わり不要な部分は土に埋めて、片付けも完了となった。代表してヴィッテ部隊長が報告に来てくれる。


「フィリップ様、解体が完了いたしました」

「ご苦労様。皆、突然の緊急事態にも関わらず冷静に対処してくれてありがとう。皆のおかげで一人も怪我人を出すことなく、ジャイアントディアを討伐することができた。色々と積もる話もあると思うけど、とりあえずここは安全じゃないから王都に戻ろう。最後まで気を抜かないように」

「かしこまりました!」


 そうして俺達は城壁の中に入るまでは気を抜かずに行動し、ついには全員無事で王都の中に帰ってくることができた。


「はぁ……やっと帰ってこれた。凄く長かった気がする」

「フィリップ!」


 街の中に入って安心し思わずそんな言葉を呟いていたら、遠くから声をかけられた。そちらに顔を向けると、マティアスとファビアン様が手を振ってくれている。

 なんだか二人の顔を見ると落ち着くな。日常に戻って来た気がするし、もう俺一人で対処する必要はないんだと安心できる。


 俺は詳細を報告するためにも、皆に道を開けてもらい二人の下へと向かった。

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