第2話 ライストナー公爵家
それにしてもフィリップの記憶は、まだ十歳だからか曖昧な部分が多い。この世界のことを正確に知りたいのに、ぼんやりとした記憶が多くてもどかしい。もっと学ばないとダメだね……
ただ現状で分かるこの国での暮らしは、ちょっと現実を直視したくないほどに酷いものだ。公爵家でこれって平民の暮らしなんて怖くて聞きたくないレベル。
まず食事が記憶にある限りでは毎日ほとんど同じもの。何かしらの芋を蒸して潰したものと、肉を塩で焼いたもの、それから野菜が少しだけ入った味の薄いスープだけみたいだ。
本当にあり得ない……前の世界ではもっと豊かな食事内容だった。肉一つとっても何通りもの調理法があったし、さらに調味料だって何十種類もの組み合わせがあり、それは料理人の腕次第だった。食後に甘いデザートも頻繁に食べていたし、デザート専門店もあったぐらいだ。
主食だってこんな味気ない芋だけでなく、穀物を挽いて焼いたものや茹でたもの、穀物をそのまま炊いたものなど多くあり、またそこにも多くの調理法が存在した。
衣類もそうだ。この世界では染めの技術があまり発展してないのかくすんだ色の服装が多いし、そもそも布の質がかなり悪い。
そして教育についても。フィリップは公爵家嫡男として教育を受けているようだけど、それは公爵家で生まれたから奇跡的に受けられているだけだ。
この国では貴族の子息子女が辛うじて教育を受けられる程度で、平民は全く教育など受けられないみたい。前の世界では貴族や平民に関係なく、六歳から十五歳までは教育を受けることができた。さらに望めばその先の高等教育も誰でも受けることができた。
ここまででも十分驚きだけど、一番の驚きは魔法についての認識だ。さっき魔法陣が問題なく発動したことから、この国でも魔法陣魔法はあるはずなのに、フィリップはその存在を一度も聞いたことがないのだ。
魔力という概念はちゃんとあるのに、その魔力の使い方が何とも勿体無いというか非効率だ。
この世界で魔力とは誰もが持つ力で、魔力量が多い人は魔力の塊を打ち出すことができて魔物を倒せる。その程度の認識しかないらしい。
確かにそれは間違いではない。魔力は塊として打ち出せばそこそこ強い攻撃にはなる。でも魔力とは魔法陣を描いて魔法を発動させてこそ真の力を発揮するんだけど……、その技術はこの国に全く伝わっていないらしい。
――そういえばさっきここがどこなのかって思ったけど、よく考えたら魔法陣が使えたんだから同じ世界である可能性が高いよね。……そうなるとここは過去なのかな。
魔法陣魔法は神話の時代に神様から授けられた神聖語が使われてるものだ。ということは……ここは神話の時代以前ってこと?
――話が壮大すぎて頭が痛くなってきた。
とにかく今この国には魔法陣という概念はないらしい。なので魔法陣を刻んで作る魔道具も一切存在しないということだ。魔道具がない暮らしとか……ちょっと気が遠くなるレベルで不便だろう。
この世界に慣れたら魔法陣を広めて魔道具も広めようかな。さすがにフィリップの記憶にある生活をずっと続けるのは耐えられない。それに食事もだ。まず食事から改善したい。でもまず食材が手に入るのかって問題もあるし……
俺がベッドに横になりながらそこまで考えたところで、部屋の扉がまたもやバンッと勢いよく開かれた。そして部屋に入ってきたのは母上だ。さらに弟妹達も一緒に来てくれたみたい。
「フィリップ!」
母上は泣きながら俺に駆け寄り、ぎゅっと強く抱きしめてくれた。それに続いて弟妹達も手を伸ばしてくる。
「母上、そんなに泣かないでください」
「フィリップ……もう、もう大丈夫なの?」
母上はさっきの父上よりも大粒の涙を零しながら俺の手を握った。手が震えてる……
「もう大丈夫そうです」
安心させようと思ってにっこり微笑んで見せると、その笑顔を見てより激しく泣き出してしまった。逆効果だったかな……
「母上……大丈夫ですか?」
「ええ、ええ、大丈夫よ。これは嬉し涙なの。あなたがこうして生きていてくれて本当に良かった」
俺の無事をこんなに泣いて喜んでくれる家族がいるって幸せなことだよね……凄く暖かい家族なんだな。
母上はヴィクトリア・ライストナーと言って、金髪に綺麗な青い瞳の超絶美人だ。俺は金髪に緑の瞳で父上と同じ色。両親共に美形だからか、俺の容姿もかなり良い方だと思う。少なくともハインツよりは確実に美形だ。ハインツは……良くも悪くも目立たない外見だったから。
「一週間も起き上がれなくて、二日前からは水もほとんど飲めなくて、もう、もうダメなのかと……」
マジか、俺の体はそんなにヤバかったのか。何かやばい病でも貰ったのかな? ……中級治癒魔法陣で治って良かった。
フィリップは子供にしては魔力量がかなり大きいけど、まだ子供で成長しきってないから上級を発動できるほどの魔力はないだろう。危うく記憶を取り戻した途端にこの世から去るところだったよ……
「兄上、ごぶじでなによりです」
「あにうえ、もうだいじょうぶ?」
「マルガレーテ、ローベルト、もう大丈夫だよ」
俺の弟妹達だ。マルガレーテが五歳でローベルトが三歳。二人ともすっごく可愛いなぁ。マルガレーテが綺麗な金髪に青の瞳の可愛い女の子で、ローベルトは薄めの茶髪に金の瞳の可愛い男の子。全員美形のキラキラ家族だな。
「……っ、ひっ……あにうえ、よかったぁ……」
「ローベルト泣かないで。マルガレーテも。もう大丈夫だからまた一緒に遊ぼうね」
フィリップの記憶を思い出しても、このライストナー公爵家はかなり仲の良い家みたいだ。貴族にしては珍しいほどだよね。……それともこの国ではこれが普通なのかな。
「二人とも、まだフィリップは本調子ではないのだから無理をさせてはダメよ。そろそろ休ませてあげましょう」
俺が二人を抱きしめて頭を撫でていると、母上がそう言って二人を引き取ってくれた。そして俺の頭をそっと撫でてくれる。
「フィリップ、良くなったからって無理しちゃダメよ。ちゃんと寝ていなさい。また明日薬師に来てもらうから、それまでは寝ているのよ。ニルス、フィリップのことをよろしくね」
「かしこまりました」
ニルスは俺の筆頭従者だ。濃いめの茶髪に茶色の瞳で優しげな顔をしている青年。フィリップとニルスは良い関係を築いていたらしい。
家族皆が名残惜しそうに部屋から出て行くと、ニルスは木の桶にお湯を入れて布を持ってきてくれた。体を拭いて着替えさせてくれるみたいだ。
「フィリップ様、起き上がることはできますか?」
「うん。問題ないよ」
「……本当に良くなられたのですね。良かったです」
ニルスは心からの安堵を顔に浮かべ、俺の服を脱がせてくれた。そしてお湯につけた布で丁寧に体を拭いてくれる。
「ニルス、このお湯ってどうやって作ってるの?」
「お湯でございますか……? 厨房の鍋でお湯を沸かし、そのお湯と水を混ぜて適温にしております」
やっぱり魔道具がなければそうなるよね……多分厨房でも薪を使って料理してたりするんだろう。
フィリップの記憶からしてこの国は基本的に一年中気温が変わらず、夜はかなり冷え込み日中は暖かい程度らしい。ということは、夜寝る時は寒いから暖炉に火を入れるだろうし……燃料をどれだけ使うんだろうか。
「そうなんだ。教えてくれてありがとう」
「いえ、疑問に思ったことは何でもお聞きください」
「ありがとう」
お言葉に甘えて疑問点をひたすら質問しまくりたいけど……さすがにおかしいやつだと思われるので自重した。少しずつさりげなく聞いていこう。
そして現状を把握できたら、ハインツの知識をこの国に浸透させたいな。前の世界での一般常識や食事のこと、それから魔法陣も。高熱にうなされている時に神の御業で知識を授かったって言えば、納得してもらえるかな? その辺の見極めも慎重にやっていこう。
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