北見崇史

室 (むろ)

「よいしょ」

 一軒家に引っ越してきて、ようやく荷物を片付け終えた。

 以前のアパートは、家賃が高いうえに生活音がダダ洩れだった。上の階には親の仕送りで生きる中年ニートオヤジが住んでいて、朝の四時から音楽をガンガンかけるし、アニメキャラの名前を大声で連呼したり、のべつまくなしに大きな屁をこいたりする迷惑野郎だった。

 管理会社に連絡して注意してもらう選択肢もあったが、逆恨みされて、あとあとトラブルになるかもと思い止めた。争いごとは好まないし、心配するぐらいだったら私が引っ越したほうが気楽というものだ。 

 マンションやアパートは周囲に気を使ったり、隣人とトラブルになってしまうことがある。一軒家だったら気兼ねすることないだろうと、不動産屋で中古の物件を探していた。

「これか」

 紹介してもらったのは、築年数が半世紀近くになる二階建ての住宅だ。昭和時代に建てられた物件で、周囲に隣接する家がなく、農家の畑の脇にポツンとあった。

「まあ、古いですけど格安ですし、庭も広いから畑にしてもらっても結構ですよ」

 べつに畑仕事がしたいわけではないけれど、近くに他の家がないというのは好都合だ。じつはドラムを叩きたいのだ。アパートでは近所迷惑になるので、ドラムセットは実家に置いてある。ここならば多少無茶しても苦情がくることはないだろう。

 寝室は二階にして、居間の隣の部屋にドラムセットを置いた。休日に叩くことを日課にしている。そうして一か月が経った。

「ん」

 一曲叩き終わって一服していると、どこからか打撃音が聞こえてきた。

なんだ、コダマでもしているのか。山の頂上でもあるまいし、そんなことはありえないだろう。気のせいか。いや、耳を澄ませてみれば足元から響いてくる。床下に野良犬でも入ってきたか。

 ここは一階の和室で、畳の下には地面しかないはずだ。古い住宅ではあるが、一応コンクリート基礎の上に載っているので、外から有害生物が侵入したとは考えにくい。基礎部分に埋め込まれている通気口が壊れていて、その穴から入ったのではと思ったが、購入する際に破損のないことを確かめている。もともといたネズミが悪さしているのだろうか。

 最初は気楽に考えていたが、叩く音が大きくいつまでも止まないので気持ちが悪くなってきた。警察でも呼ぼうかと考えたが、ちょっと大げさなのではと躊躇ってしまう。ためしに、その場に腹ばいになって畳に耳をつけてみると、ハッキリとした音が鼓膜を叩いた。 

 間違いない、この下からだ。ひょっとして大きなアライグマでも侵入しているのか。怖かったが、確認してみたいと思った。

 懐中電灯と、念のためにカナヅチとマイナスドライバーも用意した。ドラムセットを居間に移し、畳を二枚ほど上げてみる。年代物の新聞紙が敷かれていて、その下に板があった。幅二十センチくらいで細長の板が隙間なく置かれている。

 なにかを叩く音は、その下から聞こえてきた。板に足をのせると、ふわふわと動く。釘が打たれていないので、畳を全部剥がすと除けられそうだ。

 床下をいじくったことが刺激になったのか、叩く音が頻繁に、さらに大きくなってきた。デタラメにならされていると思っていたが、聞いているうちにリズムがあることに気づいた。あきらかに三々七拍子である。これは獣のたぐいではない。

 床板を外して懐中電灯で照らしてみた。昭和時代に建てられた古い住宅なので、砂地の地面がむき出しだ。いまはベタ基礎が主流なので、床下はコンクリートで固められている。野良猫が砂遊びをしづらい家がほとんどなのだ。

 あれは何だろう。

 覗き込んだのは窓側なのだが、押し入れの前が変だ。地面が妙に盛り上がっているのだが、ここからではわからない。場所を移動して確認してみることにした。

 押し入れ側の長板を除けて、首を入れてみる。懐中電灯で照らすと、それが何でありかわかった。 

「蓋だ」

 いかにも重そうな鉄の板があった。ほぼ四角形のそれは、縦横八十センチくらいの大きさだろうか。とても厳めしく見えるのは、その蓋が錆だらけなのと、四辺をたくさんのボルトで止められていたからだ。

 これは何だろうか。家の中に造られているので、おそらく貯蔵庫か地下室だと思われる。問題なのは、内部から何かが叩いていることだ。耳を当てるまでもなく、音はそこから聞こえていた。

「おい、誰かいるのか」

 いるとしても動物だと思うが、一応声をかけてみた。

「お願い、お願い」と声が聞こえる。蓋の下からだ。

「誰だ」

「ここに閉じ込められているの。出して、お願いだから早く出してよ」

 女性の声だ。しかも若い感じがする。多少かすれてはいるが、ハッキリとした口調だ。

「閉じ込められているって、どういうことだ」

「捕まって、この中に入れられたの。ここは狭くて真っ暗。お願い、早く出して、出してよ」

 それは大変だ。拉致監禁とは凶悪犯罪ではないか。ここはしばらく空き家だったと不動産屋が言っていたので、犯罪現場に使われてしまったのか。すぐにでも助け出さなければならない。

「ちょっと待って。いや、しばらく待ってくれ」

 これはさっきから気づいていたことなのだが、この鉄蓋を開くことは困難が予想された。

「どうしてよ。早く出して」

「ボルトで止めてあるんだ。素手じゃ無理だ」

 錆びだらけの鉄板の端にボルトが埋め込まれている。しかも、四辺すべてにびっしりとだ。全部で四十は超えているだろう。犯人は、なぜこれほどまで厳重に封印したのだろうか。誰がやったのか知れないが、これを施した者の心に闇を感じる。

「警察を呼ぶから待っててくれ」

 私は技術系の作業は苦手だ。この手の凶悪事件は、司直の手に任せるべきだと思う。

「待って、待って、おいてかないで。お願いよ、一人は嫌なの。とっても嫌なの」

 警察に通報するにも、ケイタイは二階の寝室に置きっぱなしだ。一刻を争うのであれば、いま自分でできることをすべきだ。幸いにも、小型のモンキーレンチが台所にある。蛇口の根元がゆるかったので、さっき締めたばかりだ。

「人に知られたら恥ずかしいの。だから、とにかく出して。誰も呼ばないで」

 ひょっとしたら裸なのか。乱暴されて閉じ込められたとも考えられる。もしそうであれば、無粋な男性警察官に根掘り葉掘り訊かれるのは苦痛だろう。

「わかった。モンキーをもってくれるか待ってて」

 私が台所に行って戻ってくるまで十数秒ほどだったが、ドンドンと叩く音は続いていた。

「いまからボルトを回すから」

「早く、早くして」

 急かされると、スムーズにできることもモタついてしまう。工事屋さんが腰からぶら下げているクルクル回るレンチならすぐに外せると思うが、モンキーレンチだと、ほんの少しずつしか動かせない。しかもボルト間の距離が近すぎて角が隣と干渉してしまう。だから、レンチを立てて回さなければならないのだが、そうすると、かなり回しにくいのだ。

「ねえねえ、あなたは誰なの」

 女が話しかけてきた。私は口下手なのだが、会話することで相手の不安を和らげることができると思った。なにせ拉致監禁の被害者である。相当に動揺しているはずだ。

「誰って、この家に引っ越してきたものだよ。ちなみに独身で一人暮らしだ」

「ふ~ん」

 反応が薄い。やはり、精神的なダメージが大きいようだ。

「この家を買ったの」

「いや、賃貸だよ。かなりの期間、空き家になっていたみたいだけど」

 よし、一個がとれたぞ。ボルトの頭が錆びついているので、力の加減が難しい。下手をすると、なめてしまいそうだ。

「ところで、君はどうしてこんなところに監禁されたんだ。誘拐されたのか」

「誘拐ではないよ」

 二個目が外れた。一個目よりは楽だった。

「じゃあなんだ」

「知らない」

 知らないとはどういうことだ。ひょっとして親による虐待なのか。家族のことで、他人には言いづらいトラブルがあったのだろうか。性的虐待とかだったら根が深いぞ。

「ねえ、今日って何曜日」

「今日は土曜日だよ」

「じゃあ、昨日が金曜日だ。見逃しちゃった」

 狭い暗闇に閉じ込められているのに、いやに切迫感のない口調だ。

「金曜日になにかあるのか」

「テレビでプロレスが見れるから。夜の八時から楽しみなの。わたし、女だけどプロレスが大好き」

 フフフ、と笑みが聞こえてくる。よほど楽しみにしているのだろう。いまは女性でも格闘技ファンが多いからな。

 それにしても、金曜日にテレビでプロレスなんかやっていたか。格闘技番組も、最近はめっきり減ってしまった。衛星放送かネット動画だろうか。

 やっと一辺が終わった。残りは三辺あるのだが、ボルトを十数個も外すとさすがに指がつかれた。これほど厳重に封印した奴は、どれほどの執念を燃やして閉じ込めたのだろう。

「ねえ、紅白見た。ひばりさん出てたかな」

 この子、よほどテレビが好きなんだな。その歌手は祖母が好きだったので知っている。よく歌詞を口ずさんでったっけ。

「もうなん十年も前に亡くなったろう。テレビなんて出られないよ」

「うそ。この前も生番組に出てたじゃないの」

「いつの話をしてるんだよ」

 その歌手が生番組に出ていたのなら、それは私の生まれる前だ。この女、監禁されて頭がどうかしてしまったのではないか。

 なにか言ってくると思ったが、下は静かだった。会話していると手元がついついおろそかになってしまう。黙っていてくれたほうが作業しやすい。

 いや、ちょっと待てよ。

 おかしいぞ。

 私はここに来て一か月ほど経つのだが、この女はその間に監禁されたわけではない。だって、家の鍵はしっかりとかけていたし、誰かが侵入した形跡はない。そもそもこの地下の室(むろ)は大分前に作られたものだ。鉄蓋とそれを留めているボルトの錆具合から察すると、少なくとも十年以上前に閉ざされたのではないか。

 うわあ。

 どうしてそのことに気づかなかったのだ。あきらかにおかしいだろう。下にいる女は、昨日今日に閉じ込められたわけではない。ずっと前からいることになる。

「ねえ、早く出してよ。八時から全員集合やるんだから」

 それをネットの動画で見たことがあるので知っている。昭和時代のテレビ番組ではないか。この女、そんな昔から閉じ込められているのか。三十年以上も前だぞ。

「おい、そこにどのくらい監禁されていたんだ」

 もっと早く、この質問をするべきだった。

「ずっとだよ」

「ずっと?」

「狭くて真っ暗なこのむろに、ずっとだって」

 数十年も地下の室に監禁され、しかも生きているなんてあり得ない。 

「ねえ、おなかすいたよ」

「なにっ」

「おなかすいたって」

 こいつは何を食べて生きていたんだ。この扉が唯一の出入り口なら、食料や水の供給はできないはずだ。あらかじめ食料を入れておいたとしても限りがある。せいぜいもって、数か月だろう。空気は、どこかのすき間から流れ込んでいるかもしれないが、それも多くないはずだ。

「おまえ、なに食って生きてたんだ。何十年もなに食ってたんだって」

 返事はなかった。驚愕しながらも、私はボルトを回し続けている。そんなことよせばいいのにと心のどこかが震えているが、どうしても会いたくてたまらなくなっていた。好奇心とは違う情動が、私の手を動かしている。

それは告白し始めた。

「最初はね、自分の足の指を食べたよ。親指じゃなくて、小指のほうから。すっごく痛かったけれども、すごくおいしかった」

 三辺のボルトを外し終えた。試しに持ち上げてみるが、数ミリほどのすき間が開いただけだ。思ったよりも、頑丈な蓋だった。

「骨はね、奥歯でかみ砕くの。力を入れて踏ん張らなきゃだめよ。砕いた瞬間は痛くはないんだけど、痛い感じがする。軟骨の柔らかい脂がコリコリしていて大好き」

 ひどい臭いがする。わずかに開いた暗闇から、ムワッと立ち昇ってきた。

「口が届くから、膝まで食べるのは早かったわ。でも太ももは齧れないのよ。わたし、からだが硬くてさあ。だから、爪を立てて、お肉をね、力いっぱい掻き毟ったさ」

 早く早くと焦るほどに、手元が震える。ボルトの頭を左に回しているのか右にひねっているのか、わからなくなった。

「ねえ、自分の盲腸を食べたことがある? あれっておいしいのよ。肝臓は苦手だった。とにかく血が出るんだもん。鉄臭いし。でも、食べなきゃもたないから。我慢したよ」

 漏れ出てくる臭いがきつくて、鼻がひん曲がりそうだ。最後の列のボルトは錆びの具合がひどくて、一本外すのにえらく時間がかかる。

「背骨はね、節ごとに折って、一つ一つ食べたよ。髄がとび出して、目の奥で火花が散るくらい痛いけど、おなかがすいていると、なんでもおいしいの。わたし、歯が丈夫だから、骨なんて平気」

 ちくしょう。目の中に汗が入ってきた。こすればこするほど沁みて、そのたびに手が止まる。

「食べちゃったから、もうほとんど残ってないんだよ。肺も心臓も食べちゃったから」

 ボルトの残りは、あと二本だ。これがまた死ぬほど硬い。レンチを半端にかけると、ボルトの頭が丸くなってしまうので、焦りながらも慎重に動かした。

「ねえ、わたしってどうなっていると思う」

 ようやく外れた。残るは、強い錆に覆われた一本のみだ。震える手を叱りつけながら、モンキーレンチをグイグイと回す。

 外れた。

 重量感のある鉄蓋を持ち上げた。真っ暗な室の奥から、耐えがたい臭気を立ち昇らせながら、それが這いあがってきた。常軌を逸したモノに驚愕する私の顔に、ねっとりと絡みつく生臭い息を吐きかけて、それはこう言うのだ。

「こんばんわ~」

 

                                   おわり


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北見崇史 @dvdloto

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