004 孤独な者同士の同盟

「第三の……選択肢?」


 ルタの思わせぶりな笑みに、カズキは眉根を寄せていぶかしむ。


「出すか出さないか、ではなく、言うなれば“絞って調整する”ということができるのじゃよ。……『魂装カルマ』はの」


 ルタは“絞って調整する”というのを表現するためになのか、小さな身体を目一杯に縮めて膝を抱え込んだ。そのすぐ後に、四肢をぴんと伸ばして大の字に立つ。


 うん、元気の良い小学生だ――カズキはルタの背中に赤いランドセルを幻視した。


「今のように、実は小さくしたり大きくしたりと、変質させることが可能なのじゃ。これは俗に古代種と呼ばれる、わしらドラゴン族か、もしくはエルフ族のみが知っていた知識じゃな」


「ドラゴンと、エルフ……」


 いよいよファンタジーらしくなってきた――カズキは状況も忘れて、少し胸が高鳴っていた。


「今もいるのか? その、ドラゴンとかエルフは」


 好奇心がそのまま、言葉になってカズキの口から発せられた。


「ここにおるじゃろうが、立派なドラゴンが」


 ルタはなぜか腰に手を当てて、胸を張った。


「……なに言ってんの?」


「ぬ、言うておらんかったか? わしは古代種ドラゴン族の生き残り、ルタリスア――」


「いやいやいや、それは聞いたしわかったけど……いや、ドラゴンと言えばもっと恐竜みたいな、トカゲ感とか羽とか尻尾とか。あるでしょ。こんな……」


 つ○ぺたロリではないはず、とカズキは言いたかったが、すんでのところでなんとか耐える。


「この姿には色々と事情があるのじゃ。追々説明するが、とにかく、わしは偉大なるドラゴン族王家の血筋。敬い、奉るようにの」


「そんな姿で言われてもな……」


「たわけ! 昔は皆、食べきれぬほどの捧げものをよこしたものじゃ! うぬもちっとは敬い、奉れい! 具体的には甘い物をよこせ!」


「んなもん持ってるわけ……いや、待てよ」


 カズキは、学ランの内ポケットにチョコバーを常備する癖があった。

 この世界に来る寸前もお菓子を食べながら漫画を楽しんでいたので、もしかしたらと思ったのだ。


 ボロボロになった学ランは、今は腰巻のようにしている。

 一度外して、ポケットを探ってみる。


「あー、ダメだ。ボロボロだ……って、ん?」


 学ランの内ポケットでチョコバーを発見する。


 しかし案の定、踏みつけられたりしたせいでほとんど圧し潰されてボロボロになっていた。袋も破けてしまって、所々砂ぼこりまで付着してしまっている。


「………………じゅるり」


 だが、そんなチョコバーにも関わらず、ルタは興味津々といった様子だった。引き結んだ形の良い唇から涎の滝を流し、こちらを凝視している。


「……食いたいのか?」


「…………(こくんこくん)」


「別にいいけど……腹壊すなよ」


 カズキは左手で包装紙を破き、地面に一度置いた。右手がない煩わしさに苛立ちを覚えながらも、その上に転がっているチョコバーの破片を指でつまみ、ルタの方へと差し出す。


 すると。


 ぱく。


 指先ごとルタが食いついた。


「いででででで! おいルタ! 指まで食うなっ!!」


 ルタはカズキの指からちゅるりと唇を外すと、チョコレートの甘さに感嘆の声を漏らし、震え出した。


「な、な、な、なんなんじゃ、この世のものとは思えぬ、得も言われぬ甘さは!?」


「おい、落ち着け」


「一口食べればまた欲しくなる……永遠にこの甘さの虜となってしまうのじゃな!? なんということ、なんということじゃ!? わしはもう、この黒き甘味の奴隷となってしまったのか……!?」


 おののくくように膝をつき、大袈裟に悔しがるルタ。

 どうやら、もっと食わせろということらしい。


「お気に召したようでなによりだけど……指ごと食うなよ?」


 カズキは今度はおそるおそる、チョコのひとかけらをルタに近づけた。


「あむんっ」


「あいでで、バカ! 手、手ごとかぶりつくな! 口デカすぎっ!!」


 確かに指ごとではなかったが、今度は左手丸ごとかぶりつかれた。


 左手まで失ったら冗談じゃねーぞ。

 つかどんだけ気に入ったんだよ。


「むううううん、甘いっ! なんという甘さ!! 病みつきになるわっ!」


 まさに喜色満面のルタ。

 反してカズキは、涎でべちゃべちゃになった左手を地面にこすりつけて拭いていた。


「もう好きに食っていいよ……」


「いただくぞい!」


 また涎まみれにされてはかなわないと、カズキが放棄したチョコへ、勢いよくがっつくルタ。

 ほんの一瞬で、チョコバーの残骸は消えた。


「うぬよ、おかわりはないのかっ!?」


 口の周りをチョコで黒くしたルタが、慌てたように言う。

 しかしカズキにはもう、チョコバーの持ち合わせはなかった。


「ごめん。もうないんだ」


「なん……だ、と…………!? この甘さを口に残したまま、一生を過ごせというのか!?」


 愕然とした様子で、ルタは口元を震わせた。


 いや歯を磨けよ、とカズキは思ったが、歯ブラシも歯磨き粉もなく、水道などのインフラも整っていないこんな場所では、確かにチョコの甘さはこってりとしていて口の中に残るよなぁ、となんとなく思った。


 しかも、チョコバーはさすがにもう手に入らないかもしれないな、と漠然と思う。


 カズキは以前、チョコ好きが高じてチョコレートの歴史を調べたことがあった。それによると、あの甘いチョコレートができたのは、西暦で言うと千八百年代後半だった。


 城やコロッセオなどの建築物を思い出すと、この世界は中世ほどの文化レベルであることが見てとれた。そう考えれば、チョコレートはまだ存在していないと考えるのが妥当だった。

 

 ルタはもっと食べたがっているが、どうしたものか。


 なんとなく材料は分かる(チョコとウエハースかな?)ので、それが揃えば作ることはできるかもしれないが……いや、今はそんなことより。


「つかそんなことより、ルタ以外のドラゴンはいるのか? って話だったろ」


「……………………いる……はずじゃ」


「? いる、はず?」


 カズキの質問に対して、ルタはあからさまに言いよどんだ。チョコバーを食べて幸せそのものだった明るさはすでにない。

 その理由がカズキにはわからなかったが、ルタの表情が暗くなったことだけはよくわかった。


「なにか……あったのか?」


 カズキはできるだけ平坦な調子を意識して――できたかは定かではないが――聞いた。


「表向きは………………ドラゴン族は絶滅した、と言われておる」


「ぜ、……え?」


 絶滅。

 種が滅んだ、ということ。


 街を歩けば大多数の他人と、出会いたくなくとも出会うことになる都心部に住んでいたカズキには、絶滅という言葉の重みが、正直に言えばわからなかった。

 わかるはずもなかった。


 しかし、目の前のドラゴン――幼女に見えるが――は、自分一人を残して仲間が滅んだ、と言っている。


 そして、こんな山奥で、その小さな体でたった一人で暮らしていた。


 陥った孤独の深さは、どれほどのものなのだろうか。

 カズキはぐっと奥歯を食いしばった。


「人間の争いに巻き込まれて……何百年も前に滅ぼされた。

 わしだけが、ある者によって生かされたのじゃ……わしだけがっ! そやつの余計なお世話によっての!」


 悔しそうに、唇を噛むルタ。


 まだカズキは、この美しい金髪碧眼の幼女のことをドラゴンだとは到底思えなかったが、しかし孤独を語る真剣さは、胸に迫るものがあった。


 カズキ自身も、右手を失い山に捨てられたとき、激しい怒りと同時に、絶望にも似た深い孤独を感じた。

 それを思い起こすことで、カズキはルタの感情に寄り添おうと努める。


「……じゃが、わしは信じておる。必ず逃げ延び、どこかで、わしの仲間が生きながらえているとな。…………まぁ、諦めきれぬのだよ、ただ単にな」


「…………」


 冷たい風にそよぐ金髪を気にする素振りもなく、遠くを眺めているルタの横顔に、カズキは沈黙する。


 種族すべてが絶える、ということは、当然だが家族も、親しい者も、そうでないものも――すべてがいないということだ。


 いすぎるほどに人がいた街で暮らしてきたカズキは、その街からすべての人が消え失せる情景を想像してみる。


 ……どこにも、自分と同じ種族の者が、いない。


 想像の中の誰もいない街は、寒々しく、冷たく、そして恐ろしかった。カズキの背筋が冷たくなる。


 このうすら寒さは所詮、自分が精いっぱいイメージした感覚の産物でしかない。


 実際にたった一人、誰もいやしない環境下で暮らしてきたルタが体感した孤独は、どれほどのものなのか。どれほどの、寂しさなのか。


 わかったような気になることは、カズキは失礼だと思った。


「……ルタ」


「……なんじゃ?」


 しかし、だからと言って声をかけずにいることは、カズキにはできなかった。


 目の前の命の恩人の、力になりたい。


 どんな形でもいい、彼女の抱える孤独を微かにでも、和らげることができるなら。

 自分が寄り添うことで、それができたなら。

 命を繋いでもらった恩返しに、わずかにでもなるのなら。


 カズキはルタの横に立ち並んだ。


「――俺と、仲間を探そう。そういう約束だろ?」


 少しの沈黙のあと、前を向いたまま言った。ルタがこちらを見るように顔を向けたのがわかったが、カズキがそちらを向くことはない。


「俺も、この世界じゃ孤独だ。もう、一人でやってくしかない。でも、生きていくには知識や常識、なにもかもが足りない。だからお前に色々と教えてもらう」


「……ふむ」


「その見返りに、俺はルタの野望を手伝う。地の果てまで、仲間を探すのに付き合う。

 でも、これはあくまでも利害関係の一致、ギブアンドテイクってやつだ。友達になるとか、そういう馴れ合いじみたもんじゃない。

 いわば、同盟みたいなもんさ。けどこの方が、下手な仲良しごっこなんかより、よっぽど信用できるだろう?」


 カズキは捲し立てた。


「ほほう、それは確かにな。

 しかし、うぬと同じ人間はこの世界にもいくらでも蔓延っている。いつうぬが人間の暮らしに染まってしまうかもわからぬのでは――」


「俺は人間には属さない」


 ルタの言葉を遮るように、カズキはきっぱりと言い切った。


「俺はもう、この世界で人間に与することはない。利用することはあっても」


「……はっ、言い切るのう。潔し」


「俺にとって人間はもう、憎悪の対象でしかないから。……だから、絶対にお前との同盟を裏切ったりしない」


「……っ!」


 カズキの言葉に、ルタが息を飲むのがわかった。


 すべてを言い終え、カズキは自身の言葉を頭の中で反芻はんすうする。


 よくよく考えると、知り合って間もない幼女になかなか照れ臭いことを言っている――そう思い至り、恥ずかしくなってくる。


「……よかろう。その同盟、乗った」


 ルタは、はじめて会ったときのあの凶悪な笑みで、拳を突き出してきた。

 小さな手の意味するところを知り、カズキも左手の拳を握る。


「あえて付け加えるならば、うぬが元の世界に帰れるまで、わしも付き合おう。それが孤独な者同士、対等な条件というものじゃろう?」


 悪戯っぽく笑う、金髪の幼女。

 カズキはその笑みを見て、この世界に来てはじめて、心が温かくなった気がした。


「……こりゃ、なんとかしてチョコバーを調達しないといけないな」


「うむ、期待しておるぞ!」


 カズキが伸ばした左の拳と、ルタの小さな右拳が、こつんとぶつかる。


 こうしてカズキとルタは、孤独な者同士の同盟を結んだ。



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