002 金髪碧眼のルタ


 巨石のヒビでできた深い谷底のひとところに、カズキは仰向けに横たわっていた。その目元を照らすように、上から光が斜めに入り込んでいる。


「う……」


「気が付いたかの?」


 意識を取り戻したカズキがゆっくりとまぶたを上げると、陽光と混ざってしまいそうなほどの光沢を放つ金色が、視界に飛び込んでくる。


「うむ、生きとるの」


 目も眩むような金髪を棚引かせて、幼女は鋭い犬歯を見せて笑った。


 どうして、と言おうとして、カズキは激しく咳き込んだ。


「まだ安静にしておれ。ただ命を繋いだだけじゃ。油断ならんぞ」


 彼女の言う通り、まだズキズキと全身が痛む。体を動かそうと考えただけで、電流のような激痛が体中に流れ込んできた。


「……っ!」


 と。


 カズキはあることを思い出し、右手を自分の視界に映り込むよう宙に掲げた。

 動きに伴い、深く針で刺されたような痛みが関節や筋肉を襲ったが、そんなことはどうでもよかった。


 右手は、どうなった?――


「…………っ」


 ――右手は、なかった。


 命を繋ぐことはできたが、それだけだった。

 落胆が、カズキの胸に広がっていく。


「……さすがに元には戻せなんだ。すまぬ」


 申し訳なさそうに言う、金髪幼女。

 カズキはその声を聞き、彼女にいらぬ謝罪をさせてしまったと後悔した。


 今、彼女に感じてもらうべきは、感謝だ。


「いや…………ありが、とう」


 確かに、苦々しい思いはあった。しかし今、自分は生きている。

 その事実だけで、どれだけ救われたか。


 カズキは、彼女に対する深い感謝の念を精一杯、言葉にした。


「うむ、そうか。……ほれ、水を飲め。汲んできてやったぞ」


 彼女は石を削って作ったらしき小さな器に水を汲んでいた。ゆっくりとカズキの口元へ運んでくれる。


 カズキはついばむように水を啜った。


 水が、深く深く染み込む。

 これほどまでに水がうまいと思ったことはこれまでなかった。生き返るような心地だった。


 それほどまでの潤いが、カズキの全身に染み渡っていった。


「もっと…………もっと、くれ」


「待っておれ」


 一つ渇きが癒えると、またすぐに次の渇きがやってきた。


 カズキは少女の助けを借り、何度か水分補給を繰り返した。そうして焼けるような喉の渇きが満たされると、だいぶ全身の痛みが和らいだ気がした。


「世話が焼けるのう。まったく、わしが千歳を迎えて成人を果たした、甲斐性のある立派な大人であるから良かったものを。うぬのような幼くか弱い人間など、ここではあっという間に息絶えるところじゃぞ」


 くふふ、と得意げに笑う金髪の幼女。


 わしが千歳?

 甲斐性のある大人?

 俺が、幼い?


 状況的に理解に苦しむ単語をいくつか並べられ、カズキは少しだけ冷静な思考を取り戻した。


 カズキは改めて、彼女の全身を眺めた。


 足首近くまで長く伸びた美しい金髪に、仰ぎ見た青空をそのまま閉じ込めたような碧眼。雪のように白い肌は土埃に汚れてはいるが、彼女のたたえた神秘性を曇らせるまでには至らない。


 衣服だけがボロボロに擦り切れたボロ布のため、みすぼらしかったが、よくよく見れば見るほど、その容貌はやはり天使のようだった。


「さて、それじゃ色々と聞かせてもらおうかの」


 本題に入ると言わんばかりに、カズキの横に腰を下ろして胡坐をかく幼女。


 カズキは横たわったままだったが、首を回して頭だけを彼女の方へと向けた。


 聞きたいことは、カズキにも山ほどあった。


「衣服を見たところ、うぬは近隣諸国から来たようには見えなんだが……いったい何者じゃ? 人間であることだけは、わかるのじゃがのう」


 千年生きたこのわしでもそんな服には見覚えがない、と不思議そうに首を傾げている金髪幼女。


 カズキは何度か深呼吸をして唾を飲み込み、喉の状態を確かめてから言葉を紡いだ。


「あの、その、前に……だれ、なんですか? あなたは」


 カズキは、念のためうやうやしく聞いた。天使だったら失礼があってはならないと思ったのだ。


 千年生きてるとか言ってるし。見た目幼女だけど。


 でもまさか、本当に天使じゃあるまいし……だって俺、死んでないし。

 迎えに来られても困るし。


 そんな思考を抱きつつ。


「おぉ、忘れておったな。心して聞くがいい。我が名はルタリスア・I・アイシュワイア。この世界最強を誇ったドラゴン族の、正当なる王位継承者であるぞ!」


「……な、長い」


 率直な名前への感想を述べるカズキ。


 さらに、命を繋いだとは言え、体力の回復していないカズキからしたら、名前に付属する諸々の説明は、正直うざかった。


 なにこの子、中二病なの? 一人称わしだし。

 つかやっぱり天使じゃなさそうだな。


 カズキは、自分よりどう見ても年下の女の子で、さらに重度の中二病(この世界でのこういった症状が中二病と言うのかどうかはわからないが)を相手に、敬語を使うのも馬鹿らしいと感じた。


「じゃあ……ルタで」


「な、なんと馴れ馴れし――」


「だって長いだろ」


 まだ万全でないカズキとしては、色々話すのに呼び名が長いのは非常に面倒だった。ごねる幼女を遮るように言い切る。


 金髪碧眼の幼女――ルタは、一瞬不機嫌そうに表情を歪めたが、カズキが身体の痛みに一度うめくと、観念したように息を吐き、何も言わなくなった。


「まったく、人間の分際でなんとふてぶてしい……今だけじゃぞ、その呼び名を許すのは」


「ああ……」


 渋々と言った様子のルタではあったが、あだ名呼びを一応は了承してくれた。


「で……ここは、どこなんだ?」


 まずカズキは、自分が召喚されたこの世界、今いるこの場所について知りたかった。


 すでに自分の知っている日本ではなく、外国でもなく、どこか遠くの世界に来てしまったことだけはわかっていたが、だからといって不安がなくなったというわけでもない。


「『忘却の連峰』と呼ばれている大山脈群、アリリストルカ山岳地帯じゃの。

 ここは、その中の最高峰『オブリビオン』と呼ばれる霊峰じゃ。ここは中腹とはいえ、うぬのようなひよっこが、そう簡単に到達できる場所ではないぞ」


 場所を教えつつ、やはり訝しさを持ってカズキを見つめてくるルタ。


「なんか……変な鏡で、飛ばされたんだ」


 カズキは自分でもよくわからない、といった感情を言外に含ませ、言った。


「ほう……それはおそらく『魂装道具カルマ・サーダン』じゃの」


「かるま……さーだん?」


 聞いたこともない単語に、カズキの頭の中に大量のハテナが浮かぶ。


「それを説明にするにはまず、『魂力チャクラ』と『魂装カルマ』から話さねばならんな」


「ちゃく……? ……かる?」


 なんだか、少年漫画っぽい単語が出てきたな――カズキは思った。


「『魂力』というのは、端的に言えば、この世の人々皆が持つ超自然的な力の総称じゃな」


「へぇ……」


「この『魂力』じゃが、次に述べる『魂装』を使用できないものにとっては、あまり意味はないものじゃ」


 カズキは、RPGの魔力のようなものだろうかと考えた。


 魔法が使えなければ、魔力がどれだけあっても意味はない――というような。

 そう、自分なりに解釈した。


 いよいよ、現実離れしてきたな……いや、とっくの昔に現実離れしているか。

 顔を少しだけ起こして、カズキは右手のない腕を見やる。


 胸に再び、どす黒い感情が湧く。


「次に『魂装』というのは、体内の『魂力』を使って、武具を精製する超常的な異能のことを言う」


「武具の、精製……異能」


 カズキは、並べられた単語を噛み締める。


 この世界に来たばかりのとき、ジプロニカ王らによって勇者とはやし立てられた。


 豪奢な城の前に陣取った国民の前に晒されたと思ったら、次はこの『魂装』を見せてくれ、と国民全員から気圧され、わけもわからず不思議な呪文を叫ばされ、『魂装』を実現したと思ったら――


「おい、聞いておるのか?」


「あ、ああ。ごめん」


 カズキは怒りによって思考が別の方向へと向いてしまっていたことに、ルタの声でようやく気付く。


「詳しい説明はまた後にするかのう。集中力が続かんじゃろうて。うぬもまだまだ、万全ではないのじゃからの」


 言ってルタは、話して喉が渇いたのか、石の器で水を飲んだ。

 その水は、カズキが先ほどまで飲んでいたものだった。


「まずはしっかり休め。人間の肉体は脆弱じゃからの」


「……そう、させてもらう」


 ルタの言葉に素直に頷き、カズキは再び瞼を閉じた。



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