スイッチ・スターズ〜薬瓶は虹色〜
水無月やぎ
眩い薬瓶
1st Overture
シアタープリメールの地下通路は、大勢のスタッフと少年達でごった返していた。
舞台上で流れる音楽や、客席から発せられているであろう数多の歓声が、この地下通路にも止めどなく聞こえてくる。
地下通路でひしめいているのは、芸能事務所
彼らは一旦舞台を下りて各自持ち場に移動し、再びセリで上がったり、袖から出たりするタイミングを待っていた。
赤地に金の太いスパンコールラインが引かれ、胸元に白い羽根があしらわれたジャケットを身につけているのが、デビューしたてのΦalのメンバーだ。
一方、デビューが決まっていないその他のメンバー15名ほどは、グレー地に細い色とりどりのスパンコールラインが引かれただけのジャケットを羽織っている。スパンコールラインの色は、青、緑、オレンジ、ピンクの4色で、各自ランダムに振り分けられていた。ちなみに彼らは、練習生と呼ばれている。
『りく様〜!』『天馬くーん!』『姫ちゃーん!』
『いっくーん!』『みっちゃーん!』
少年達の再登場を待ち望む歓声。練習生の名前を呼ぶ声も時折聞こえてくる。息を切らして走ってきたスタッフが、セリ下のΦalの5人に声をかけた。
「ファ、ファイナルだから、
「行け……あ、待って。
待ったをかけたのは、その中では最年長の少年だった。180センチを優に超える長身を折り曲げ、過呼吸気味の金髪の少年を、メンバー4人が取り囲む。最年長の少年は彼を簡易チェアに座らせ、スタッフに指示を出した。
「一旦酸素と水、お願いします」
「無理すんな、星衣」
「はぁっはぁっはぁっ、はぁっ」
「みんな、良いよな。……アンコールは一回だけで」
「了解。ナナさん酸素と水持ってきて。えっと、『セリ下よりB班へ。予定変更。アンコールは一回、曲はSweet Drugで』……星衣くん、大丈夫?」
スタッフが無線で連絡を入れている間に酸素と水が届き、少しして、星衣と呼ばれた少年の呼吸が落ち着いた。予定より少し遅れて、スタンバイのカウントダウンが始まる。
Φalのデビュー記念ツアー最終日。
これまでホールクラスの会場を周ってきたが、このツアーの千秋楽は彼らの原点、つまり正式デビューを知らされた、ここシアタープリメールで行うことになっていた。ホールより少し箱が小さい分、抽選倍率は高くなり、ファンの間で熾烈な争いが巻き起こったという。
その血肉の争いを勝ち抜いた猛者が集った千秋楽。今、彼らがアンコールを求める声は、これまでで最も大きく感じられた。
生まれつきだという茶髪に緩くパーマを当てた少年が仲間を呼び、円陣を組む。
「オーラス行くぞっ!」
「っしゃあ!」
スタッフの合図でセリが上がり、Φalの5人が再び舞台に上がる。ひときわ大きな歓声と同時にΦalにスポットライトが当てられ、前奏が始まると、上手と下手から、練習生達がバク宙やターンをしながら登場した。
☆
無事に一曲歌い終え、色とりどりの衣装に身を包んだ少年達は、手を振ったりお辞儀をしたりしながらハケていく。歩いて舞台袖にハケてきたグレーの衣装の練習生は、観客の前から姿を消すと途端に走り出した。先輩のΦalに声をかけるためだ。芸能界の上下関係を舐めてはいけない。
Φalがセリで地下に潜り込み、舞台装置から降りたのと、コンサート直後にも関わらず全力疾走の少年達が、彼らの元に辿り着いたのはほぼ同時。互いに労いの言葉を掛け合い、控え室へ移動しようとすると、そこを衣装のかかったキャスターを慌てて引っ張るスタッフが横切った。酸素と水を星衣のもとへ運んだナナである。
ガッシャーン!!
「わっ!」
「あっ、ごめんなさいっ!」
衣装キャスターと二人の少年が、ぶつかる。少年達はキャスターと互いの頭に体をぶつけ、尻餅をついた。ナナの顔から血の気が引いていくのを見て、彼らは慌てて立ち上がる。
素直な少年達は「俺達こそ、前見てなくてごめんなさい」と謝り、ナナに道を譲った。少年達も自分の頭をさすりながら、「大丈夫か?」「大丈夫です、すみません」などと声をかけ合った。
派手な音を立てたのに、周囲は二人に気づかない。混雑のせいでまだ会場を出られないファンがごった返し、歓声の余韻が地下通路まで響いてくるからだ。
当人達はまだ、打った場所をさすっていたのだが……。
(あれ?)
赤い衣装に身を包んでいたデビュー組、Φalの
何だろう……箱と中身が一致していないような、妙に気持ち悪い感覚……。
体調を崩したわけではない。多少息が上がっているが過呼吸ではないし、めまいも起こしていない。でもなんだか、自分のものではない血液が体を駆け巡っている気がした。
そこで亜央は背中をさするのをやめて、衣装を見つめる。
「えっ?! あれっ?!」
さっきまで着ていた赤い衣装が、グレー地にピンクのラインが入った衣装に変わっていたのだ。
魔法? さっき衝突した時に赤いジャケットが脱げて、これを着てしまった?
いやそんなバカな。
「あの……ひっ!!」
少々震えた声がして、亜央はそちらに目をやる。
視線の先にいたのは、赤い衣装を来た亜央だった。
「いや嘘だろ……」
「そ、それはこっちのセリフです……」
二人は明かりの少ない地下通路で、目を見合わせた。他の少年達はいつの間にか、控え室やシャワー室を目掛けて我先に走り抜け、もう周りにはいない。取り残された二人に注目する者はいなかった。彼らは何度も互いと自分の服を見やる。
でも何度見たってデビュー組の亜央はグレーの衣装を着て、目の前で敬語を使ってくる羽根付きの赤い衣装は亜央自身の顔をしたままだった。
反対にグレーの衣装を着ていたはずの練習生の
「いやいや待てって」
「僕も……ついて行けてないです……」
後輩のグレージャケットがタメ口を使い、先輩の赤いジャケットが敬語を使う、奇妙な状況。タメ口を使う亜央は少し考え込み、敬語を使う李智に再び話しかけた。
「なぁ李智、ちょっとあっちから走ってきて」
「は、はい」
こちらへ向かってくる李智に右半身を軽くぶつけてみた亜央だが、違和感は消えない。
「変わらない、な……」
「亜央くん、どうしましょう……」
「…………」
非科学的だと言っている場合ではない。事態を飲み込まざるを得ない亜央と李智は、同時に思った。
これは、とんでもないことになってしまった、と。
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