3-68 いつまでも夢を見よう!


「結局、ここに住むことにしたんだな」


 場所は――エヴァの屋上。ミカルドが柵塀にもたれかかりながらあたしに言った。

 雲一つない空からの陽射しに照らされて、あたしたちを含むそこにあるすべてがときらめいているようだった。


「うんっ! ずっと住み慣れたところの方が居心地よいしね。――ここがあたしの〝帰る場所〟なの」


 本当は森の外に出て、あたしたち以外のたくさんの人がいる街で暮らしてみようという考えがなかったわけではないけれど、それはやめておいた。

 今更っていう部分も大きいけれど……一度滅ぼしちゃった世界の人に合わせる顔もないしね。これはあたしなりの(自分勝手な)、みたいなものだった。

 

「……そうか」


 ミカルドが短くうなるように言った。

 

「どうしたのよ? なにか不満でもあるわけ?」


 彼はふふんと笑って、あたしに顔を近づけて、

 

「いいや。この場所で充分だ――なにしろ、カグヤおまえがいるからな」

 

 そんな気障キザな台詞を。

 まっすぐ瞳を見つめながら言ってきたのだった。


「うぅ~……やっぱりずるいわよ……!」


 このモードのミカルドにはまだ免疫がない。

 あたしの中のミカルドはぶっきらぼうで、わがままで――どこまでもな王子様なのだから。


「それで、だ」


 ミカルドはぐい、とさらに顔を近づけてきた。

 

(あーもう! 近い! 面長おもながととのいフェイスが近いから! あたしの顔が真っ赤になっちゃう!)

 

 もちろんそんなことは声に出さずに、あたしは視線を宙に泳がせながら訊き返す。


「ど、どうしたのよ?」


「そろそろ〝答え〟を聞いてもいいだろうと思ってな」


 答え。

 とミカルドは言った。

 

「あらためてになるが――我はカグヤが好きだ。お前を。その答えをまだ、我は聞いていない」

 

 こほん、とミカルドは口の前に手を当ててわざとらしく咳をしている。

 その頬は心なしか紅く染まっている。エデンの実ほどまではいかないけれど。


 それはふだんの彼からしてみたら申し分ないくらいの〝さ具合〟だった。


「そうね、そうだったかしら――」


 あたしは一歩後ろに下がって空を見上げる。

 昼間だからということは関係なく、そこにはもう〝月〟は浮かんでいない。


「ミカルド――っ」


「……む?」


 それまで真剣そのものだった表情のミカルドの眉間に、いつもの倍くらいのしわが寄った。


「どういう、ことだ」


「どういうこともなにも……あたしはミカルドの気持ちにこたえることはできないわ。だから、ごめんなさいっ」


「し、しかし……! カグヤは前の世界での〝真実〟を知ったのであろう――」


 前の世界での真実。

 それはクラノスが【悪い魔女】になって、あたしとミカルドをはじめとした王子様をだましていたという、子どもの教育に悪いおとぎ話。


 もちろんあたしはその物語の顛末てんまつを知っている。

 あたしが記憶世界の中で【最愛の人】として選んだのは、クラノスではなくて――他ならぬ【ミカルド】だったのだ。


 それが真実。だけど。


「知ってるよ――」


 何かを言いかけたミカルドの口を、あたしは指先を向けて制してやった。


「知ってるけど……それが?」


「む?」眉間の皺の量が3倍に増えた。


「あのときも話したじゃない。前の時にミカルドを選んだからって、今のあたしがミカルドを選ぶかは限らないでしょう?」


「な、なんだと……!? しかし、その時と現在いまでは状況が異なるではないか……!」


「同じよ。だってやっぱり〝今ここにいるあたし自身〟には、ミカルドと一緒に過ごした記憶は数か月しかないし……でも、そうね。世界を滅ぼしてしまったあの時と違うことといえば――あたしがここにいて、ミカルドもここにいるっていうことかな」あたしはできるだけ微笑みを絶やさないようにして言ってやる。「あたしたちの関係は、これからもずっと続いていくの」


 それでも何かを言いたげだったミカルドに、『今はこれで全部よ』とまとめるように言葉を突き付けた。


 なんてったって、あたしたちが〝恋〟をするには。

 

 ――〝すき〟が〝あいしてる〟になるまでには。もうすこし時間が必要そうなのだから。

 

 なにせ、人を愛するためには――その人のためならって思えるくらいに劇的な気持ちになることが必要なのだもの。

 

「……そうか」ミカルドは残念そうな表情を浮かべて、「〝〟までには、まだなれないか?」


 と聞いてきた。なのであたしは首を振った。「そうね、まだ道の途中よ」

 

 でも。

 でもね。口にはしなかったけど。5文字までにはまだ遠いけれど。

 

 ――もしかしたら〝4文字〟くらいにはなれてるかもね。


 えへへ、とあたしは意味深にも映る微笑みを浮かべていたら、


「あ、おい押すな!」

「んあ? てめーが押したんだろ」

「痛いべさ~!」「うぎゃあっ、余に何をするのだ……!」

 

 ドタドタドタ。急に騒がしい音がした。

 振り向くと屋上に通じる扉の影から他の〝残念王子ーズ〟が姿を現し、床に重なるように倒れていた。


「む? 貴様ら! 盗み聞きか!」


「盗み聞きじゃないよ? 日課の日向ひなたぼっこしてたらたまたま」とクラノス。


「日向ぼっこなど今までしたことがなかっただろうが!」とミカルド。


「ほらほら、喧嘩しないの」とあたし。いつものあたし。なんだか懐かしいあたし。


「話は聞かせてもらったよ~」と元気にマロン。


「色々あったみてーだけどよ……ま、ミカルド。元気出しやがれ。こういう時は筋肉を苛め抜くとすべて忘れられるぞ」と白い歯でアーキス。


「やはり貴様ら、聴いていたのではないか……!」


 ミカルドがふるふると震えている。

 他の王子がニヤニヤと口元を歪ませている。


 とうとう我慢ができなくなったのだろうか。

 やがてミカルドは指笛を作ってぴゅうううと音を出した。


「出でよ、我が相棒――!」


『ごあああああああああ!!』


「うわー! こいつ、ドラゴン呼びやがった! ……まさか」


「喰らえ――≪ 偉大なる龍の火息吹きグレイト・ドラゴンブレス ≫!!!」


「「やっぱり燃やしてきたーーーーーーーー!」」


「ちょっと!! 何してくれてるのよ!!」

 

 逃げ惑う王子たちと燃える屋上を見てあたしはやれやれと嘆息する。

 ……っていうか!

 ドラゴンが火をいても『やれやれいつものことね』で流してる今のあたし、やっぱり人間としてな気がしてきた!


「やーめなさいってば! 後片付けは自分たちでやるのよ! まだぐちゃぐちゃになった塔の中を掃除しきれてないっていうのに……」


 溜息をついていたところで、あたしはに気づいた。


「……あら? ちょっと、みんなー! みてみて!」


「「うん?」」


 あたしの呼びかけにドラゴンは火炎の息を吹くを止め、逃げ惑っていた焦げかけの他の王子たちもこちらに近寄ってくる。


「どうかしたか?」


「ほら! これ――」


 あたしが指で示したのは、屋上の端にある花壇だ。

 その土の中心から浅緑色の【新芽】が出ていた。


「んあ? 雑草か?」


「違うわよ!」


「んでもな、どうしたって雑草にしか見えねえ。ひっこ抜いていいか?」

 

「うるさいわね、を抜くわよ?」


「何を!? 何を抜きやがるんだ!?」


 がくがくとおびえるアーキスを無視してあたしは続ける。


「昔ね、ミカルドの記憶世界に行った時に持ち帰ってきた【エデンの実】の種を植えておいたの。あれからいろいろあったけれど――こうしてちゃんと芽吹いたのね」


 その小さな緑の芽は、表面に白い産毛を生やしていて、陽の光を受けて優しく輝いていた。


「――いつか、実をつけるのが楽しみね」


「……そうだな」とミカルドが言った。「


 あたしはぱっとミカルドのことを振り返って、その灰色の目を見つめる。


「どうした? 我の顔になにかついてるか?」


「ううん、なんでも。なんでも、ないよっ――えへへ」


 どうやらミカルドは〝エデンの実嫌い〟を克服したようだった。

 きっとその理由は――ううん。ここではっきりさせるのはなんだか恥ずかしいから、それ以上追及しないことにする。


「「ミカルド!」」


「む?」


 今度は他の王子たちがミカルドに言った。


「……足元、すくわれるなよ?」


 ミカルドは一瞬目をぱちくりさせてから、口角をあげた。

 

「ふん。だれに言っている――望むところだ」


 あたしたちを照らす太陽の光はまばゆい。

 目の前に広がる森の樹々は活き活きとその葉を天に向けて伸ばしている。

 風の音が聞こえる。鳥が鳴く声が聞こえる。虫や動物の気配がある。


 ここはだ。

 そしてあたしは――その気にさえなれば、いつだって〝外〟に出ることができる。

 外に出たら、いつかまたこの場所に帰ってくることができる。帰る場所がある。


 そうしてそこには――理想には程遠い、な王子様たちが待っている。

 

「……えへへ」

 

 あたしは想像する。

 いつかこの屋上に立派なエデンの樹が生えて。

 その広々こうこうと茂る葉の下に白い椅子を置いて。

 

 周囲には色とりどりの花壇。見渡せるのは活き活きと広がる樹木の緑と空の青、雲の白。

 黄金こがね色の鳥が鳴いて。瑠璃るり色の蝶が舞っている。

 近くの川の上では魚が跳ねた拍子に飛沫しぶきが空に散って、小さな虹を創り出す。

 

 そんなうららかな日差しのもとに、あたしのことを慕ってくれる〝王子様〟たちが集まってくる。

 

 互いに目を合わせて、ほんのりと頬を染めて。口角を微かに上げて。

 憧憬しょうけいを滲ませた表情で、彼らはあたしと一緒に他愛のない話を語り合う。


 ふと、遠くでピアノの音が鳴り響いて。


 背後に茂る木から〝真っ赤な果実〟が落ちる。

 ダレカがその深紅の丸い実を拾い上げて、あたしに向かって手渡してくれる。


 そんな穏やかな幸福に満ちた光景の中心で。


 

 ――あたしはいつまでも、夢を見ている。


 

 

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