3-37 誤解を解こう!

 

「ちょっと待って……【中庭のエデンの樹の前】を指定したのは、のほうよね?」


「……っ?」


 ミカルドは舌打ちをしてから呆れるように首を大きく振った。


「なにを言う! 我はあの日、カグヤから中庭を指定され、その【エデンの樹の前】で朝になるまで待ち続けていたのだ!」


「で、でもそれじゃ、クラノスのことと都合が……」


「む? クラノスのこと? なんの話だ……」

 

 あたしとミカルドは。ゆっくりと。

 そのクラノスを振り向いた。


 表情は夜の影に紛れていて読み取れない。


「………………」


 彼はなにも喋らない。

 

「………………」


 そんなふうにたっぷりと沈黙をとったあとに。

 クラノスは一歩、前に出て。

 星の光があたる微かなに立って。

 

「……ふうん。ミカルドの、勘違いじゃない?」

  

 いつもみたいに笑って言った。

 否。違う。その笑顔には。


 いつものなクラノスであれば決して浮かべることのない〝ひび〟のようなものが微かに存在していた。

 

 ミカルドは眉間に皺を寄せ、怒りを交えて言う。

 

「……は? 何を言っている。我がこのことで勘違いなどするわけがないだろう」

 

「どうして言い切れるのさ」クラノスの声はどこか上ずっているようにも聞こえる。「記憶の思い違いなんて、だれにでも――」


「あるわけがない!!」


 ミカルドは叩きつけるように叫んだ。

 ひとりの少女への強い想いがほとばしる、激しい声だった。


「あるわけがないだろう。我はそのことで……【エデンの実】を嫌うようになったのだからな」


 ――え?


 あたしは目を見開いた。

 そうだ。

 記憶世界ではミカルドの部屋の中に【エデンの実】が大量に積まれていた。彼の好物のようなきらいもあった。

 だけど今のミカルドは、そんな【エデンの実】を『嫌い』だと言い、見るだけで吐き気がすると言っていた。

 

 その原因が。

 昔の輝夜あたしが【エデンの樹の前】に来ることなく、恋愛競争ロマンスに敗れたことでその紅い果実がになっているとしたら。


 辻褄つじつまはたしかに、合うのだった。


 そうなると不都合が生じるのは――

 

「我は間違うわけがない。もし待ち合わせの場所の勘違いでもあるとすれば……お前のほうだろう、クラノス」


 そうだ。クラノスの言葉と。行動と。

 矛盾が生じてくるのだった。


「………………」


 彼はふたたび沈黙をしている。


「ねえ、クラノス?」


 あたしは勇気を出してを尋ねてみることにした。


「あたしね、知ってるのよ? だって、記憶世界で見てたから」


 を言うのはミカルドの前ではためらわれたけれど。

 きちんと〝真実〟を明るみにする必要があると思ったから。

 それはあたしにとって。ううん、にとって。


 とっても重要なことのような気がしたから。


 あたしはひとつひとつの言葉を丁寧に頭の中でシミュレーションしながら、言った。

 

「あのね。あたしがみんなからの告白に〝答え〟を出すことにした夜」


「……やめて、」クラノスが目も合わさないまま間に入ってきたが、あたしは構わずに続けた。

 

「みんなの中から〝たったひとり〟を選ぶことを決意した夜に、クラノスはあたしの部屋に来て、」


「……やめてよ」


「クラノスは。あたしに【待ち合わせ場所の変更】をしてきたのよね」


「やめてってば!」


「やめないわよ!」


 あたしの語気に思わず力がこもった。

 はあ、はあ、というクラノスの乱れた息遣いが夜の音の中に満ちている。

 あたしはその不穏な音を振り払うように、確固とした思いで続けた。


「やめないわよ……だってね。クラノスが待ち合わせ場所を変えたのは――【】から【屋上】にだったんだもの……!」


「なっ……!?」


 ミカルドが切れ長の目が見開き、眉が跳ねた。

 それもそうだ。

 彼からしてみれば〝自分が指定されたはずの待ち合わせ場所エデンのきのまえ〟を、なぜか【クラノス】が変えていたからだ。

 

「………………」


 とうのクラノスはふたたび沈黙の世界に入り込んだようだった。

 薄闇の中に紛れる場所に移動して、身体を横に向けその表情を悟らせないでいる。


「どういう、ことだ……?」


 ミカルドが首を捻るのも無理はない。


 筋が通らず、疑問も尽きないのだ。


 【クラノスが指定された待ち合わせ場所】をクラノス自身が変えたとしたら何の問題もない。

 しかし、今回のケースでは【が指定された待ち合わせ場所】=【中庭のエデンの樹の前】を、なぜか〝他人〟であるクラノスが【屋上】に変えてもらえるように輝夜あたしにお願いしたのだ。


 本来であればこの時点で違和感しかないはずだが……。

 あの時の輝夜はそれを何の疑問もなさそうに受け入れ了承した。


 さらに謎は深まるのだが……本来であればの待ち合わせ場所の変更先である【屋上】へと、その夜に輝夜は向かって。


 そこにいるのことを見つけ、嬉しそうにその胸に飛び込んだのだ。

 一切の疑念も抱かずに。とろんと幸せそうな表情を浮かべて。


「一体、どういうことなの……?」


 それらの行動のどれもが不可解だった。

 どれだけ考えても腑に落ちないことが多すぎる。

  

「「………………」」

 

 沈黙が闇の中に溶けている。

 これ以上重苦しくなると、息ができずにその場に倒れこんでしまいそうだった。

 それでもあたしは踏ん張って、答えを探る。答えを求める。


 すると、ついに。


「あははははははははははははははは!!!!!」


 せきを切ったかのように、クラノスがわらい出した。

 けたたましい声が夜の闇の中に不気味に響きわたる。

 まるでクラノスじゃないみたいだった。

 その闇の世界に生きる不気味な生物のようにもみえた。


 けれど。

 闇陰の内側からすっと星の明りの中に踏み入れた彼は。

 その姿を光のもとにさらした彼は。

 

 金色に輝く髪色の、静謐な人形のような彼は。


 やはり見る者の胸を一瞬でかき回してしまうくらいに〝美しい〟のだった。

 まるでどこかの星の化身だとも思えるくらいに。


 彼は言う。


「そうだよ。ぜんぶボクが

 

「え?」あたしは二三度目を瞬かせる。「一体、何の話……?」

 

「分からない?」


 フッ、とそこでミカルドはいつもの微笑みを浮かべたが……それは一瞬だった。

 それ以降はこれまでに見せたことのない激情とともに叫び始める。

 

「ミカルドを利用して! カグヤを惑わして! ――ふたりを。みんなを。このボクが裏切ったのさ!」

 

 体裁もつくろわず、醜く表情を歪めている。

 そのクラノスらしくないあられもない態度は、すべてを諦めてしまったかが故のようにも思えた。

 

「ふん。意味が分からん。最初から説明しろ」あくまで落ち着いた声でミカルドが言った。

 

「……そうだね。どこから話せばいいのか」

 

 すこし落ち着きを取り戻したようだったが……それでもいつもの笑顔じゃない。

 どこか物寂しく酷く空虚な表情で、彼は真実を語り始めた。


「すべては――この【魔道具】のおかげさ」


 クラノスはポケットから何やら小さな箱を取り出した。

 開けると中には、トップに紫紺色の宝石がはまったネックレスが入っている。

 

「! それは……!」

 

「見覚えはあるでしょ? なにしろキミは過去のボクに会ってきたんだから」


 見覚え。

 もちろんあった。


 それは告白の――〝待ち合わせの夜〟に。

 輝夜の部屋の前に訪れたクラノスが自分自身で身につけたものだ。(あたしはてっきり輝夜にプレゼントするものだとばかり思っていたけれど)


 そしてクラノスは首飾りを身につけ部屋の中に入り、輝夜あたしに対して例の【待ち合わせ場所の変更】を行ったのだった。

 

「そのネックレスが、どうしたの……?」


 クラノスは口元を歪めて、なんの悪びれもなく続ける。


「これはね、魔法の首飾りなんだ――、ね」


「っ!?」


 人の記憶に干渉する。

 その言葉にも、あたしはどこかで聞きおぼえがあった。

 

 ――本当に良いのでしょうか。人の記憶に干渉する魔道具など、まさに神の意に反する〝禁術〟にございますが。

 

 最初にクラノスの記憶世界に迷い込んだ時。

 その水上王国の箱型の小船の中に乗り込んだあたしは、クラノスと側近のそんな会話を耳にした覚えがあった。

 

「人の記憶に干渉する――この首飾りにかかっているのは、〝つけている人の姿が【自らの最愛の人】に映る魔法〟さ――対象はもちろん、カグヤに向けて」


「ちょ、ちょっと待って……ということは、まさか」


「そのまさかだよ、お姫様。過去の輝夜きみが見ていたのはボクじゃない。その時の姿だ」


 どくん。どくん。

 心臓の音が早鐘を打っていく。


 クラノスの言葉についていくのは精一杯だったけれど。

 この話の続きにある真実を、あたしはきちんと見届けなければならない。そんな気がしている。


「当時の輝夜キミにとっての最愛の人。つまりは、会っただけで目元がとろんととろけてしまうような。思わず駆け出しその胸に飛び込んでしまうような」


 どくん。どくん。

 激しい鼓動はおさまることはない。

 

「それはつまり。お姫様の約束を純粋無垢に信じて――【】に朝まで居続けるような――そんな諦めも目つきも悪い〝王子様〟の姿に、キミの目には映っていたことだろう」


「「……!!」」

 

「……うそ、よね」


 クラノスの話す相手のことが。その諦めも目つきも悪い王子様のことが。

 ここまで来たらあたしには。

 もうどうしたって、想像できてしまう。


 それでもクラノスは。

 すべての希望を断ち切るように――言った。


 

「そう。記憶世界の輝夜キミが【最愛の人】として選んだのはボクじゃない――姿さ」



 

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